本を選ぶセンスもないくせに



(【アズカバンの囚人 18】のドラコ視点になります)
 


 前の椅子が静かにひかれた気配にハッと顔を上げた。が、座った人物を確認して瞼の力が一気に抜ける。僕は一連の流れをなかったことにして羊皮紙に視線を戻し、レポートの続きに取り掛かった。

 絶対に他意があって座ったはずのそいつ──ロングボトムは、しかしこちらに声をかけてくる様子は見せない。羊皮紙に羽ペンを走らせる音に紛れて、向かいからぱらぱらと本を捲る音がする。何の気なしに目で確認すると、ロングボトムはいやに澄ました顔で『雪男とゆっくり一年』とかいうふざけた題名の本に目を傾けていた。それ、二年の時のおちゃらけたスターかぶれが書いた書籍だろう。どこにあったんだ。というかそんな真剣に読める箇所なんてあったか? 意図せず色々な感情が込み上げてしまい、手を止めて本を注視して顔を顰める。そんな僕に気が付いたのか、ロングボトムは本から目を外した。

「終わったの?」

 そう尋ねながらやつは本を閉じ、机に置く。しまった、のせられた。まんまと罠にはめられたという気持ちになって悔しくなる。くそ、こんな奴に。ロングボトムなんかに。僕はむしゃくしゃした気分で顔を伏せ、返事をしない代わりに黙って黒い羽根ペンを動かした。

「エレナじゃなくてごめんね」
「……うるさい」

 腹が立つ。その名を使えば僕が反応すると思っているこいつの思考が。そしてその通りに動いてしまう単純な自分も。そもそも完全に無視してやったのに、よくもめげずに声をかけられるものだ。そのふてぶてしさはいっそ称賛に値するだろう。絶対にしてやらないが。

「ホグズミード行かなかったでしょ」

 手に力がはいり、鋭いペン先が羊皮紙に押し付けられる。黒いインクが一気に滲み、羊皮紙のふやけた個所から穴が開いた。結果的に机へ書き込んでしまったことになるが、僕は悪くない。変なこと言ってきたロングボトムが──そう、ロングボトムだ。今日もあの日も、悪いのは、僕じゃない。


 もはや苦々しい記憶でしかないあのハロウィーン。何事もなければ楽しく周れるはずだったあの日は、あいつがどれだけこのぼけっとした兵六玉を大事にしているかを思い知らされただけに終わっている。僕はあの日以降、あいつと(ついでにこいつ)を見かけるたびにそのことを思い出して、気道に石を詰められたような苦しい感覚に襲われていた。

 でも元はと言えばあいつが遅刻したから──いや、遅刻はいい。それよりディゴリーなんかと一緒に来たとかいうから。ディゴリーなんかを庇うから。僕よりディゴリーのほうが大事だとか……、……さすがにそこまでは言っていないが。でもはっきり僕の方が、とも言わなかった。僕ははっきりクラッブたちと比べるまでもなくお前が大事と言ったのに、なぜか怒りだすし。やっぱり悪いのは僕じゃなくあいつだ。それに御守りとか言っていたくせに髪飾りだってつけてなかった。この僕がせっかく選んで贈ってやったものを失くすなんて! 何度思い出しても腹立たしい。人からの贈り物だというのに、いったいどれほど杜撰な管理をしているのか。もっと欠かさず身に付けるようなものでなくてはダメなのか。ならばと今年はピアスを贈った。


 話が逸れたが、まあ僕の方も、頭に血が上って余計なことを言ってしまったというのは自覚している。ディゴリーはともかく、わざわざロングボトムのことまでつつく必要はなかった。ロングボトムが特別なのは分かっていたことなのに。……けれどあんな、ほんの少し貶しただけだったのにあそこまで怒るなんて普通思わないだろう。『一緒にいたくない』と告げた冷たい声を思い出して吐き出しそうなほど嫌な気分になった。

「なんで喧嘩したの?」
「(お前のせいだよ)」

 厳密にいえば違うがまああいつが気分を損ねた決定打ではある。無言で睨みつけると意図が伝わったのかロングボトムは「僕?」と驚いた顔をした。ふん、珍しく察しがいいじゃないか。そうだやっぱりなにもかもお前のせいだ反省しろ。

「もしかして僕の悪口でも言ったの?」
「何か問題でもあるか?」
「問題っていうか……」

 顎を突き出して挑戦的に見返したが、ロングボトムは狼狽えることもなくまじまじと僕を見ていた。その眼差しからはなぜか憐れみを感じる。

「それで怒らせてちゃ世話ないよねっていうか」
「……、……うるさいな」

 こんなことしか返せない自分に情けさすら覚えはじめてきた。いや、同じようなことを何度も言わせるこいつがいけないんだ。そう無理やり正当化しなきゃやってられなかった。

「仲直りしなくていいの?」
「……見てただろ」

 ついさっきの出来事を思い出してみろと声を絞り出す。僕だって、歩み寄ろうとはしている。本当にごくごく微小ではあるが、僕に非があるのもまあ事実。だから、この数ヶ月何度か接触は計ってはいる。「見てたけど」ロングボトムは不思議そうに首を傾げた。

「たしかにエレナ、すごく静かに怒ってたけど」
「ぅ……」
「……え? もしかしてそれが怖くて話せないの?」
「怖くない!」

 反射的に返して睨みつける。こわいわけない、別に、あんなのこわくなんか。普段笑顔で、いつも僕に甘かったはずのやつが突然真顔になると違和感があるってだけだ。あの顔を向けられると用意していた言葉が一つとしてでてこなくなる。こわいわけじゃない、ただちょっと驚くだけだ。臆されてるとかでもない、こわくない。

「でも謝るだけだよ」
「……それが、できたら」

 苦労しない、と言いかけてすんでのところで押し留まった。こんなの吐き出したところで無意味だ。きっとこいつには分かるまい。あの、いやに無機質な瞳でじっ……と見つめられたこともない親友様には。

「きみ、」
「黙れ」
「思ってた以上にどうしようもないんだ……」
「黙れ!」

 黙れと言っているのにコイツときたら! 
 惨めだった気分に拍車をかけられ、面白いわけがない。向かいから突き刺さる視線も煩わししことこのうえなく、つい神経質な司書の存在も忘れて噛みつく。すると案の定、僕の声を聞きつけた司書がハイエナのような目つきをしてやってきた。慌てて口を噤みレポートに集中しているふりをする。油断なくあたりを疑いながら去っていった司書をやり過ごすと、ハアという安堵とも呆れともつかない大きなため息が前から聞こえてきた。

「あのさ」

 少しの逡巡後、ロングボトムは言葉をそっと押し出した。

「怖くても謝らなきゃ許してくれないんじゃないかな」
「……」
「あと……あの子を大事にしたいなら、僕──というより彼女の周りのことも大事にしなきゃだめだよ」

 思いもよらぬ台詞につい顔を上げる。じっとこちらを見つめる瞳にははっきりと『できるのか』と書いてあった。そんな視線に真っ向から刺され、不覚にもたじろぐ。

「(周りを大事にって)」

 できるもなにも、まず理解ができない。あいつを大事に、というのならまだ分かる。なにも僕だって傷付けたいわけじゃないんだ。でもどうしてそんな必要がある? 僕とエレナの話なのに、なんで周りのやつらまで気にしなきゃいけないのか。

「余計なお世話だ」

 さっぱり意味が分からなかったが、素直にそう答えるのも癪だったので、僕は再び羊皮紙に視線を落として言葉を返した。思っていたよりも硬い声音がでて、これでは分からないと言っているようなものなのではないかと一抹の不安を覚える。

「そのくらい分かってる」
「そっか」

 取り繕うように重ねた言葉は早口になった。しかしロングボトムはそれ以上なにも言わず、黙り込んだ。これまで黙れと言っても黙らなかったくせに。胸に覚えたいやなざわつきは、どこまでも思い通りにならないこいつらのせいに違いない──そうだ、きっとそのはずだ。




「その羽根ペン、どうしたの?」
「お前に関係ないだろ」
「……そういえばエレナがクリスマス休暇前にホグズミードに行ったとき、全く同じやつを買ってたなあ」
「本当か?!」
「声大きいよ」

 ところでなんで僕はこいつとこんなに長いこと会話をしてしまっているのか。ここにいるのがロングボトムではなく、あいつなら。そんな願いは叶いそうにもないと分かっていたので深いため息を吐けば、「僕だってきみと話すよりエレナのほうがいいよ」と言われた。うるさい、心を読むな。
 

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