僕だけの宝物だとしても



(【秘密の部屋】時のドラコ視点になります)


 たった一ヶ月であんなにも綺麗に忘れるなんて、そんなことありえるだろうか。

 僕がそんな当たり前のことを疑問に感じたのは、なんと再会してからもう一年以上経ったときだった。


 思い至ったきっかけは、フクロウ小屋での一件だ。
 先日グレンジャーに言い捨てたあの言葉。もちろん悪いなんて微塵も思っちゃいない。だが、マグル生まれ全員が──エレナが『穢れてる』だなんて、思ったことは一度もなくて。

『(もし勘違いしていたら──)』

 あいつがどう思っていようが、もう関係ない。

 この一年、そんなことは何度も考えていた。けれどどうしてか僕はまた彼女に話し掛けようとその機会を伺っていた。気が付けばフクロウ小屋まで追いかけていて、あろうことかその細い腕にしっかり触れていたのだ。

『……マルフォイ?』
『……』

 弁明するために引き止めているはずなのに、いざ彼女を目の前にするとどうしてか声がだせなかった。お前のこと“だけ”は『穢れた血』と思っていないのに。それをちゃんと伝えておきたいのに。どうして何も言えないのか。

『(……ちがう)』

 言えないんじゃない、言いたくないんだ。僕は例えどんな形であろうとこいつの前で『穢れた血』と、口にしたくないのだ。
 言葉を出せず葛藤する中、そんな矛盾した気持ちを抱えている自分がいることに気が付く。

 いつまでも話さない僕に、あいつはいよいよ困った顔をしだした。このままじゃまたするりとどこかへ行ってしまうような気がして、僕は苦し紛れにクィディッチの話を振った。

『たくさん練習したんでしょう?』

 そう言って『すごいなあ』と笑う彼女は前となにも変わっていなかった。その笑顔と言葉に、懐かしさを覚えると同時に、喜びやら悲しみやらが掻き混ぜられたような感情に苛まれる。自分でもよく分からず、いっそ泣きだしたい気分になった。
 それでもなんとか平常心を保って会話を続けたというのに、最終的にポッターの話題へと持っていかれたのは不愉快だったし腹が立ったことこの上なかった。

 ……まあでも、涙ぐむような姿を見られなかっただけまだマシだったな。
 フクロウ小屋から遠く離れたあとにそんなことを思った。

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 向けられた笑顔とあのときのような会話に余裕ができたのか、なんなのか。
 ともかく、僕はこれを呼び水にやっと『忘れてるなんておかしい』ということに思考が及ぶようになった。それは今まで考えようともしなかったことだった。

 例えば、あの一ヶ月の間で大きな事故で頭に怪我を負って記憶が混濁している部分があるとか。そういうことならまだ分からなくもない。
 しかし前にあいつが『大きな怪我なんてしたことないよ』とロングボトムと話しているのを聞いたことがある。……別に盗み聞いたわけじゃない。たまたま、偶然、期せずして耳に入ってきただけだ。あいつらの会話にいつも耳を澄ませているとかでは決して──いやそんなことはどうでもいい。

 たった一ヶ月会わなかっただけ。怪我をしたわけでもない。まさか同姓同名の別人? そんなわけがないのは話していれば分かる。

 それならば、どうして僕のことを完全に忘れ去っているのだ。

「(……もしかしたら、父上が……)」

 一番現実的なのはこれだった。
 父上が、彼女の記憶を消してしまったのかもしれない。きっと、最後に会ったあの日の帰りに──。

 その光景を想像して、ぎゅっと唇を噛み締めた。たしかにこいつは変に肝が据わってる。無知故にか、物怖じもしない。だが、記憶を消されるなんて──大人の魔法使いに迫られるなんて怖かったに決まっている。

「(僕が巻き込んだのか)」

 そう思うと、突然胸のあたりが苦しくなった。穏やかに眠っているような彼女を前に自分の顔がぐしゃりと歪んでいく。吐き出した息は震えていた。

 こいつがクリスマス明けに石になってしまってから、もう四ヶ月近くが経とうとしている。だが大丈夫だ──マンドレイクの薬さえ完成すれば元に戻るんだから。大丈夫、大丈夫なんだ。自分が誰を安心させたくて繰り返しているのか、よく分からなかった。
 不自然に宙に固まる手に触れる。けれど生きているなんて考えられないくらいの無機質さがいやですぐに離してしまった。


 ここにずっといるわけにもいかない。もうすぐ休み時間は終わるし、僕は誰にも──小うるさい保険医にさえも──見つからないようにこっそりと入ってきていた。また誰にも見つからないようにと注意しながら、僕は医務室の扉をそっと開けた。

「なにをしてるんだマルフォイ」
「僕がどこにいようと、なにかきみに関係があるか? ポッター」

 廊下にでるなり、嫌なやつに出くわしてしまった。睨みつけてくるポッターに、うんざりした。

「まさか石になった人になにか──」
「どうして僕があいつにそんなことしなきゃならないんだ?」

 ほとんど反射のように噛み付く。そんなことするわけがない。憤慨する僕に、ポッターは勝ち誇るでも疑うでもなく、どうしてか訝しげに眉をひそめた。

「あいつって……ジャスティン・フレッチリー?」
「は? いったいなにを──」
「じゃあ、エレナ?」

 ハッフルパフだかのやつの名前に顔を顰めた。そいつが何だっていうんだ、と言い切る前にあいつの名前をだされ、はたと口の動きを止める。石になっていたのは別にあいつだけじゃなかったんだった。

「……なんだっていいだろ。それよりお前は自分のオトモダチの心配をしたほうがいいんじゃないか?」
「なんだって?」
「あの『穢れた血』に『血を裏切る者』──次に継承者の“名誉”に与れるのはどっちだろうね?」

 ああ、もしかしたらお前かもな。
 ポッターの気を逸らすのは簡単だった。そうせせら笑ってやれば、あいつは思惑通りすぐに眉根を寄せる。ローブに手を突っ込もうと動きかけたポッターに背を向けた。

「逃げるのか」
「今は遊んでやる気分じゃないだけだ」

 普段なら『逃げるのか』なんて言われたら呪いの一つや二つくらい放ってやれるのに。だが今は心になにも響かない。ただただ、放っておいてくれという煩わしさだけを感じていた。





 

 忘れてなんかやるもんかと決めたこともあった。

 裏切られたと思い込み、忘れてやろうと心変わりしたことも。


 けれど、限りなく真実に近い可能性を見出した今は、そのどちらでもなかった。


 忘れてしまったのなら、もう一度だ。

 巻き込んだくせになにを、と思われるかもしれない。しかし誰になんと言われようと、固めたこの決意はもう揺らぎそうになかった。

 父上がなにをしようと、どう思おうと。
 お前が忘れてしまったのだとしても。
 そんなこともうどうだっていい。


 だって、僕だけは忘れなければいい話なんだ。


 なかったことにされてしまったあの出逢いを、あの日々を、あの笑顔を。大事にしていこう。

 例えそれが、もう僕だけの宝物なのだとしても。


 お前とまた一緒にいれるなら、それでいい。

 
「……もしかして私たち、友達になれるのかな」
「……僕が知るか、そんなの」

 ……なんて思っているくせに、ひねくれたことばかり言ってしまうのはなぜなんだろうか。思いに反して口をつく言葉たちに苦い気持ちになる。なぜだろう、なんて言いつつ理由は分かりきっていた。

「ふふ、私今日のこと絶対忘れないよ!」
「……ハッ、嘘を吐くのも大概にしろよ、エレナ」

 それは多分、今も昔もお前がなんにも変わらないから。忘れていたって、エレナはエレナのままだから。


「……ドラコ」


 あの時と変わらず、どこか遠慮がちに僕の名前を呼ぶ彼女に、今度こそ滲んだ涙が見られてしまったような気がした。
 

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