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 会社を出てすぐに飛び込んできたドラルクさんの姿にぎょっとした。なぜいる。いやいつものこと感は否めないけど、でも昨日あんなひどい別れ方したのに。硬直していれば、彼の方が先に私に気付いた。……そういえば、前回もだったけれど花束を持っていない。いや、前回は事務所に行くからだったんだろうけど。
「や!」
「……どうも」
 溌剌とした声掛けにもつい身構えてしまう。だって、花が。ほしかったわけではないんだけど、でもそれってつまり前世の記憶もかわいげもない人間の女に贈る花などもうない、という遠回しな意思表明なんじゃ。だから今日はその宣告のために来た? そんな未来を予想してしまい、体にいやな緊張が走って強ばる。
「今日もお疲れ様。ところで時間ある?」
「あ、ありますけど」
 よかった、と嬉しそうに笑うドラルクさんはいつも通り過ぎて、私の警戒心に気付いているのかいないのか分からない。
「じゃ、デートしよう!」
「は?」
 ◆
「怒ってるんじゃないんですか」
 デート、え、なんの隠語? と意味が分からず道でまごついていたはずが、気が付くと本当にここは変態が群生する新横浜か? と疑いたくなるほどお洒落な喫茶店にいた。案内された窓際のボックス席でお冷を一口飲んでから、覚悟を決めてやっと尋ねる。「なんで?」向かいの席に座るドラルクさんは、至極不思議そうに憮然としていた。
「昨日失礼なこと言いましたし」
「今更あのくらいの毒舌でめげるドラちゃんではないよ」
「え、毒舌……」
 毒舌だと思われてたのか。照れ隠しとバレているよりはマシ? うーん、でも毒舌、毒舌はちょっと人間性がアレだと思われてる気がしてならない。なにとは言い表せないけど、とにかく少しいやだ。今後はもうちょっとソフトに照れ隠ししようと心に決めつつ、「それに」と続けてみる。この際だ、聞いてしまおう。
「花束がない、じゃないですか。だから、怒ってるのかなって思ったんですけど」
「え、だってほら、デートするなら花はちょっと荷物じゃない?」
 けろりとした調子で言い放たれ、気が抜ける。怒ってたわけじゃない、むしろ最初からデートするつもりで待ってたのか。護衛としてどうなの、それは。こちらの拒否権はなし? 一遍に色んな感情が込み上げてきたので一度息を吐く。自分でも恥ずかしさを覚えるくらい、安堵の色が分かりやすくのっていた。
「……もしかしてはな君、怒られると思ってたから大人しかったの」
 半信半疑の声色に反論できず黙り込む。毒舌だと思われてることが発覚した上、図星過ぎるため、さすがにいつものような憎まれ口は叩き辛かった。
「う、え? な、なにそれ、かわ、ツボ……」
「川壺?」
  ドラルクさんが唐突に人間に解せない言語で呻きだした。聞き取れた僅かな部分を繋げて聞き返したところで、店員さんが料理を運んでくる。そういえばドラルクさんがなにか頼んでたっけ。色々聞かれたけど、緊張していたからよく覚えていない。テーブルに並べられたのはホットミルクに紅茶、それから旬の果物がごろっと乗ったフルーツタルト。頼んだ記憶はないけど、吸血鬼の彼は食べないから、恐らくこれは私の品だろう。期待を隠さずドラルクさんを見ると、どうぞと目で許可をもらえたので、遠慮なく食べ始める。さっくりしたクッキータルトや、邪魔しない甘さの生クリーム。そしてフルーツの程よい酸味。じゅわっと広がっていく罪の味たちにうっとりしていれば、前から噴き出すような音がした。
「はな君、フルーツタルト好きだよね」
「……悪いですか?」
 そんなにわかりやすい顔をしていたのかと頬が熱を持つ。眉に力を入れて素っ気なく返せば、ドラルクさんは「悪くないよ」と苦笑した。子どもを見守る保護者のような目に、自分は何を言っているんだろうという気持ちになる。少し惨めで、そしてとても恥ずかしくなってきた。
「おいしい?」
「……はい。好きなので。美味しいです、とても」
 変な意地を張るのをやめると、やっと素直に返事ができた。よかったという安心から頬を緩めると、ドラルクさんが目を瞬かせる。それからぎゅうっと眉間に濃い皺を作った。
「……やっぱ悪いかも」
「えっ」
「ねえそれ、私のより……――そんなに美味しいの? ちょっと一口もらえないか?」
「えっ、あ、どうぞ」
 ずい、としかめっ面を近付けられ驚きで吃りながら、彼の方へとケーキ皿を押し出す。「どうも」ドラルクさんはテーブル端のカトラリーケースからフォークを取り出し、さっくり一口分乗せて口に運んだ。厳しい顔のままゆっくり時間をかけて嚥下した彼に、恐る恐る声をかける。
「美味しいですよね?」
「……いまいち分からん」
「ええ……」
 なんの時間だったの、今。吸血鬼って味覚どうなってるんだっけ。
「そうだ、せっかくだしジョンへのお土産にしよう」
 ドラルクさんは名案だとでもいうような顔を輝かせた。私はケーキをまた一口食べ、先の彼のように味わってから、近くに店員さんがいないことを確認して口を開く。
「買わなくてもいいと思いますけどね」
「え、なんで?」
「だってケーキなら、ドラルクさんの作るものが一番美味しいですし」
「……え」
 このケーキだってもちろん美味しい。けれど舌が肥えてるであろうジョン君には、些か物足りなく感じるんじゃないだろうか。それにぷよぷよしてきたからダイエットさせるって言ってたじゃないか。なんて甘いご主人様なんだ。
「……私のが、一番?」
「と思いますよ、私は」
 半分以上夢中で食べておいて今更なにを、という感じだが、それでも私は彼が作るお菓子が見た目も味も頂点だと思う。トップオブトップだ。絞り出されたやたら細い声にそう肯首する。
「ドラルクさんのケーキなら、毎日だって食べたいです」
 ケーキを毎日だなんて罪もいいとこだ。それにもしこのケーキを『毎日食べてね』と出されてたってカロリーが気になって無理だろうし、それこそ途中で飽きてしまうだろう。けれどそれがドラルクさん特製タルトとなれば話は変わる。ケーキを毎日食べることへの罪悪感なんて欠片も残らず吹き飛ぶし、きっと『飽きる』という概念すら忘れてしまうのだろうという確信があった。そのくらい、彼らにはフルーツタルトレベルに圧倒的な差があるのだ。フルーツタルトレベルってなんだ。
「ドラルクさんのフルーツタルトが一番好きなので」
「……、……そう」
 ややあってから、ドラルクさんは蕩けるようにじんわりと相好を崩す。眉が垂れたその笑顔からは、二百歳とはとても思えないほどのいたいけな幼さが感じられた。
「ん、ふふ、そお。そうなんだ、ふぅん。はな君はそう思うんだ、へえ!」
「そうですけど……え、なんですか? なんか急にご機嫌になりましたね」
「まあね! そりゃ、だって――んふ、あは! はーあ、気分いいし五歳児の分も買ってやろ!」
「話聞いてましたか?」
 同じ食育を受けてるんだからロナルドさんだってきっと同様だろう。またケーキを一口食べる。変わらず美味しいと堪能する私を、ドラルクさんは頬杖をついてにこやかに眺めていた。
「見た目はね、私のだって負けてない自信はあったけど。ほら、好みってあるじゃない?」
「まあ。フルーツタルトも千差万別ですからね」
「フルーツタルターがいうと言葉の重みが違うなぁ。そんな歴戦の勇士からお褒めいただけたなんて恐悦至極、光栄の至りだね」
「大袈裟な……」
 仰々しい言葉の並びに呆れで瞼が脱力していく。フルーツタルターってなに? 役職かなにか? なにそれぜひ就きたい。
「大袈裟なものか。見た目も中身もほぼ同じなのに、私のがいいって、わざわざ特別に選んでもらえたん、だか、ら――……」
 ご満悦に喜色満面だった彼の顔から、徐に力が抜けていった。考え事をしているかのようにゆっくりとした瞬きが落ち、視線が机へと下がる。
「……ドラルクさん?」
「……え? あ、ああ……」
 口を閉ざしてしまった彼を訝しんで名前を呼べば、ドラルクさんはハッとして、私をまじまじ見遣る。血色の悪い顔には、困惑と疑問が滲んでいた。なぜ突然こんな顔をするのか。心情の変化についていけず、私まで似たような顔になってしまう。
「え、どうしたんです?」
「……いや。あの――……もしかして、きみ……」
 続きを待ってじっと見つめる。けれど結局彼は「なんでもない」とたどたどしく微笑むだけだった。
 ◆
「またデートしようね」
「しません」
「そう言わず〜この前のスカートでさ〜しようよ〜」
「あれもう燃やしたんでないです」
「そっか。じゃあ私が選んだやつ着てよ」
 マジでめげないなこの人、と家の前で半分感心する。燃やしたわけないだろ昨日の今日だぞ。好きな人にここまで拒絶されたら私は泣くんだが。
「こんなに長い時間はな君と過ごせたのは初めてだね」
「……そうなんですかあ」
 水を差される心地にも、もう慣れたものだ。はいはいどうせ。知ってた。厳密に言えば好きな人じゃないですもんね、私は。そりゃ落ち込む必要なんてありませんよね! やけくそ気味に――それでも毒舌は言わないように気を付けて――返事をする私に、ドラルクさんは首を傾げた。
「そうだろう? 基本会社から家までとか、まあたまに事務所とか……生活リズムが違うから仕方ないけど、会える時間って少ないし」
「……え、もしかして私とのこと言ってますかそれ」
「……うん、そうだよ。はな君と初めてじゃない」
 妙な間を開けて複雑そうな顔で頷いたドラルクさんに、瞬きが増える。私、と、初めて。それはそう、たしかに。
「……あの、紫」
「え?」
「や、昨日のスカートさ……はな君、私と会う時って大体いつもスーツでしょ。だから紫とか、珍しくて、あの、特別かわいかったなって……。い、今更で悪いが、補足ね、これ」
 珍しく言葉を詰まらせ、引き攣った笑みを浮かべるドラルクさんは、どこかそわそわして見えた。猫耳のような大きな後ろ髪のせいか、飼い主の機嫌を窺うペットみを感じる。あるいは叱られるのを怯えてる子どものような雰囲気。私より背が高いはずなのに、今はどうしてか小さく見えて不思議だ。俯きがちで、そろりと上目遣いされてるから、という理由だけではない気がする。
 いつだって余裕綽々な彼がこんな態度なものだから、逆に私は冷静になっていた。無言で鞄を漁り、鍵を取り出してドアノブに手をかける。「えっちょっ聞いてる?」狼狽する声を無視して扉を開け、玄関の中から外に立ち竦んでいるであろう彼を振り返った。ただでさえ青白い顔色なのに今はもう土気色に近くて、なんなら今にも倒れてしまいそうだ。
「あの、はな君――」
「ドラルクさん」
「はい」
「今日、楽しかったですね。その……デート」
「……エッ」
「じゃ、おやすみなさい!」
 言い逃げして勢いよく扉を閉める。靴を脱ぎ散らかして廊下を駆け、リビングのソファに顔から倒れ込んだ。薄っぺらいクッションを胸の中でさらに抱き潰し、体を丸める。全身が異様に軽くてふわふわしていて、なにかにしがみついていないと飛んでしまいそう。そんな馬鹿なことを、今の私は本気で思っていた。
 デート。デートと、言ってしまった。口にしたことでなんかこう、よりデートって実感が沸いてくる。何言ってるのか自分でもよく分からないけれど。狭いスペースの中でごろんと体勢を変えて、天井を見る。着替えて、化粧落として、お風呂入って、髪乾かして、歯磨かなきゃ。いつもは面倒なそれらも、億劫とは感じない。一つ一つの工程に一時間かけたっていい気分だ。けれど今は、もう少しだけこの蜂蜜のような幸福感に浸っていたかった。
 目蓋を落とし、ドラルクさんの『“私”と過ごせて嬉しかった』と言ったときの顔と声を思い出す。紫、スーツと比べてたんだ。そっか。勘違いだった。かわいかったんだ、あれ。素直に受け取れなくて勿体ない、いや、悪いことしたな。
「ん、ふふ」
 申し訳ないとたしかに思ってる。思っているはずなのに、反省の色が全くない芯の溶けたふにゃふにゃした笑い声が勝手にこぼれていった。あとであのスカート、アイロンかけようっと!
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