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数発の銃声がドラルクの意識を打ち砕いた。女が怯んで動きを止めた隙に、ドラルクは慌てて距離をとる。鉄骨はもう頭上にまで迫っていた。女は銃弾が飛んできた方向をゆらりと見遣る。
「邪魔してくれるなよ、吸血鬼退治人。管轄外だろう? 今の私はもう吸血鬼ではないのだから」
「ここまで街をめちゃくちゃにしてくれたんだ。吸血鬼だか怪異だかはもう関係ねえんだよ」
カラカラと地面へ薬莢を落とし、弾薬を装填し直しながら、ロナルドは低く唸る。そんな彼に、ドラルクは「ロナルド君!」と切羽詰まった調子で叫んだ。
「銃はダメだ! 彼女に当たったらどうする?!」
「ハア?!」
この怪物は寄生型だ。『人間の体に銀の弾丸は効かない』とは言ったが、それはあくまでも『今の自分を銀で退治するのは不可能』という牽制。人間の体ということをわざわざ強調したということは、武器としての弾丸自体は効くのだろう――少なくとも、人間の体には。
「宿主――彼女へのダメージは、そのまま彼女に直結するだけかもしれん」
ドラルクの説明にロナルドは唖然と顔を強ばらせた。
「じゃ、じゃあどうしろってんだよ! どうやってあの怪物をぶちのめせば……!」
「こわぁい、ロナルドさん」
女は甲高い声音で茶化して二人の会話を邪魔し、ひらりと後退した。
「怖いからついでに殺しちゃおっと」
「やれるもんなら――」
闇からヒュンと空気を切って投擲されたそれを、反射的に飛び跳ねて回避する。数秒前まで自分が立っていた場所にピンと刺さる鉄骨に、ロナルドは血の気を引かせた。え、これ刺さ……え、鉄骨ってこんなにサクッと刺さるもんだっけ? よしんば刺さるもんだとしても、あれ、地面ってそんなに柔らかかったっけ。ロナルドの思考を嘲笑うように、深い亀裂が床の確かな硬度を示して足元を走っていた。
第二投の気配を感じ、ロナルドとドラルクは同時に地面を蹴った。暗闇から次々向かってくる鉄骨を叫びながら避けていく。
「なんでココこんなに鉄骨あんの?! 鉄骨工場?! 鉄骨ビル?! それとも鉄骨生み出す能力にでも目覚めちゃったの?!」
「ウエーン! 私の可愛い子がロナルド君よりもゴリラになってしまった!」
「うるせえよ!」
ロナルドは叫びながらドラルクの襟首を掴み、助走をつけてジャンプした。壊れた天井を掴んでぶら下がると、体を一度大きく降って勢いをつけ、片腕の力だけで上の階へと登り上がる。
「イッタ、ちょ痛い、ロナ、おい!」
「黙ってろやバレんだろ!」
ドラルクを引き摺りながら、飛ぶようにフロアを走り抜ける。下から刺さってきてもおかしくはないとは思ったが、姿が見えなくなったからか、一先ずは猛攻が止んだ。物陰に隠れ、ロナルドは大きく息を吐く。
「一応屋内だってのに……長物をああもブンブン振り回しやがって。クソ、戦いづれぇな」
「ああ……ロナルド君、とりあえず私を全力で守りたまッブアー?!」
「殺し……あれ」
事後報告をしようとして、いつものハエたたきで死なない吸血鬼にロナルドは目を丸くする。「なにをする脊髄反射殺吸血鬼者!」ドラルクは砂になる気配も見せず、赤くなった鼻を抑えていた。
「御祖父様の特選ブレンド血液パックを飲んだばかりだからな。今ならそう簡単には死なん(多分)。まあそれも時間の問題だし、そもそもこんなのは精々おまじない程度だ。だから軽はずみことすんな! 私が死んだら彼女も危ういんだぞ!」
「お、おお……、いや、どういうことだよ」
「“縛り”だ、“縛り”。あの怪物、さっき言霊で自分を縛りやがった。そのお陰で人間の体であそこまでの無茶が出来てるんだよ」
――『“高等吸血鬼を殺しさえすれば”――この女の生命さえ吸いきってしまえば、私は再び永久を謳歌することができる』
その言葉で怪物は自身を縛り、代わりに宿主の身体能力を爆発的に向上させた。
「……つまり今のあの人は……」
「ドラルク絶対殺すマン」
「お前死んどけよもう」
「アホ、このアッホアホアホアホルドがちゃんと話聞いとけ一歩も歩いてないのにニワトリ以下のおつむしよって脳の皺ゼロルドバブちゃんが私が死んだら彼女も死ぬんじゃボケ」
テンパっているためか、ドラルクの口が普段の倍速で回る。息継ぎなしの罵倒に殺意が湧いたが、腹いせで殺すこともできないので、ロナルドは歯軋りの合間から「じゃあどうしろってんだよ」と絞り出した。
「策はある。簡単だよ、あの手合いは――」
ドラルクの提示した案は、筋が通っているように聞こえた。もとよりこの手の話は専門職のロナルドより、さらに奥狭間を生きる魑魅であるドラルクの方が詳しい。
「――ので、あと数時間、あの子を引き付けてて。私隠れてるから」
「……いいぜ、癪だが乗ってやる」
「でも銃はなしね。ナイフとかも当然だめ。かすり傷とか痣、は……まあ……それもギリギリアウトかな……」
「俺なんも出来ねえじゃねえか! 嬲り殺されろと?!」
「あとできればあの子に触らないでほしい」
「あ? なんで」
深刻な顔になにか重大なわけがあるのかもと感じ、ロナルドは生真面目に尋ねる。ドラルクはとても大事なことを告げるように、重々しく口を開いた。
「汗臭いゴリ臭が移るから」
「こ、殺して〜!!」
殺されないと高を括ったクソ雑魚オジサンの余裕の笑みが、本当に心の底からマジで信じられないくらい腹立つ。ロナルドの手の中で握り締められたグリップがミシ、と音を立てた。無理、何この生き物、余りにも殺したい、神様、頼む。怒りで胃が捻じ切れそう。ロナルドは殺意のあまり頭がおかしくなりかけていた。
「ま、これは出来ればだから無理はしなくていい。寛大なドラちゃんに感謝したまえ。『ついで』ではあるがきみも殺戮対象だしな」
「……は?」
――『怖いから“ついでに”殺しちゃおっと』
うん、まあ、そう。たしかに、言ってはいた、けれど。突然他人事じゃなくなった。いや、元から他人事ではないのだが。でもちょっと、思ってたよりすごく当事者にされた。茫然とするロナルドに、ドラルクが「大丈夫大丈夫」と肩をポンと叩いた。
「私に対峙する時よりかは弱体化するはずだし」
「アレで?! パイ投げの気安さで鉄骨投げられたんですけど?!」
「対私が覚醒ロナルド君並の強さだとすると、対ロナルド君はブースト半田君くらいだね。うん、いけるいける」
「あ? 何言ってっか全っ然分からん人語使えカス」
「使っとるわ。あー、いいのいいの、きみには一生理解出来んことだから。とにかく全力で向き合えばなんとかなる! ファイッ青二才。本気出せ」
どうして目の前のむかつく生命体を殺しちゃいけないのだっけ。苛立ち過ぎて訳が分からなくなり、ロナルドはなんか悔しすぎて泣きそうだと思った。
「――来たぞ」
緊迫さを帯びたドラルクの声に、ロナルドは落ちていた一際大きな硝子の破片を拾う。物陰から靴音の方向へひび割れた硝子を向けると、覚束無い足取りで歩く女がブレて映っていた。その手に鉄骨がないことに安心したが、いや待て、俺、鉄骨をパイ投げできちゃうカイリキーと素手でやり合うの? 気付いちゃったロナルドに、ドラルクはもう一度「ガンバ!」と笑う。百万回、なにがあっても絶対に殺そうとロナルドは固く心に誓った。
◆
打撃の応酬――にも、ならない。ロナルドは攻撃の合間に、額を伝ってきた汗を袖口で乱暴に拭う。ドラルクの言う通り、怪物に乗っ取られているという彼女は半田と同じくらい強かった。その身のこなしはとても一朝一夕で身に付けられるような技術ではない。今まで怪物が喰ろうてきたという人間たちの歴史を感じる。ドラルクとの制約など関係なしに、受け流して躱すのが精一杯だった。
「存外、ただの人間のくせにしぶといな」
「そりゃどーも! 褒め言葉として受け取っておく、ぜ!」
技をかけようと伸ばした手が空を切る。ひらひらと花弁のように身を翻す女の様子には、疲れの色は少しもなかった。対して、もう数時間もこんなことを続けているロナルドの動きには若干の疲弊が滲みはじめている。女の身体能力が大幅に向上しているということもあるが、思うがまま好きなように致命傷を狙ってくる女と違い、一般人である彼女の身体を傷付けないよう気遣いながら攻撃を受けるロナルドとでは、使っている神経にも大きな差があった。
「まあ、悪足掻きもそろそろ終わりかな?」
「ッ……あんただって、アイツのこと殺したくねえだろ!」
ロナルドがドラルクを殺す度、ドラルクが勝手に塵になる度、彼女は少しだけ目を細める。出来上がった砂山を前にすると、彼女はいつも泣くんじゃないかとこちらをギクリとさせる雰囲気を漂わせていた。
首を狙ってきた足を腕で受け止めながら、ロナルドはがなりたてた。腕をへし折らんと込められていた力が止まる。
「……ロナルドさん」
吐息だけで紡がれた言葉に、ロナルドはハッと女の顔を見た。彼女の瞳に宿っていた紫色の光が薄くなっている。青い唇が細かく震え、なにかを言おうとしていた。
「――」
「……! っ、うおっ」
再び足に万力が込められ、女はロナルドの腕を軸にぐんと回転し、宙へと高く跳ね上がった。頭上から振り落とされる踵に、なんちゅう体幹してんだ、なんて戦慄しつつ仰け反って避ける。チリ、とロナルドの顎を風圧が掠め、当然のように地面が砕けた。目の前から舌打ちが聞こえてくる。
「焦ってるな」
「なんだって?」
「もうすぐ、“夜明け”だもんな」
意味ありげに含みをもたせたロナルドに、女は弾かれたように周囲を見渡した。戦闘に夢中で気付かなかったが、辺りはすっかり影のない拓けた場所になっている。いつの間にかビルの外へと繰り出していたらしい。物陰がない、というより、世界が明るい。焦燥に駆られ、女はつい顔を上げた。あんなに忌まわしかった月も、空の下手へとっくに捌けていた。夜の幕も高く捲れ上がり、青藍が広がっていて――。
「おいで!」
突如として高所から降ってきたドラルクの声に、二人は同時に顔を上げる。曙の空を背に、ドラルクはビルの屋上、フェンスの外に悠然と立っていた。
「こっちだ!」
「バカが、行くわけがない! 独りで灰に――なに?」
戸惑う自身の声など知らぬというように膝を深く曲げた。足にグッと力が入る。ドラルクは高みからもう一度繰り返した。
「おいで!」
「おい、なに、なにをしてる!」
ドラルクの呼びかけに応じようと動く身体に、声だけが狼狽していた。それを無視して、女は、バネを使って地面を力強く蹴った。たったひと飛びでドラルクの立つ位置より高く跳躍し、髪を舞い上がらせてドラルクへ飛びかかる。ガン、とドラルクの背中がフェンスに押し付けられる鈍い音がし、吸血鬼の意識が彼岸へ飛びかけた。けれども吸血鬼はなんとか自身を保ち、不敵に口元を吊り上げる。
「さあ――太陽のおでましだ」
勝ち誇ったドラルクの言葉に女は上体を捻り背後を見た。沈んでいた炯然たる天光が、黎明の世界をじわりと引き上げていた。
「しんじゃう」
怯えを正直に口にした女――怪物を、逃がすものかと拘束するつもりでドラルクは、女の薄い背に手を回しかける。しかしドラルクの手より素早く女の方が首に腕を回してぎゅうと抱き着いてきたので、思わず目を丸くした。
「どらるく」
頭を抱え込まれ、息も絶え絶えで必死さを顕に名前を紡がれる。胸元に顔を押し付けられ息が苦しい。泥や埃の匂いの中に、彼女の体臭や芳醇な血の匂いを嗅ぎとった。
「どらるく」
「うん」
恐怖に染まりきった彼女を安心させようと、ドラルクは女の後頭部をそっと撫でる。そう、これ、この声だ。
「どらるく、ど、どら――どらるく、さん」
「大丈夫、死なないよ」
はな君のせいでは死なないよ。
女をしっかり抱えたまま、ドラルクは足を前へ出した。重力に従い、宙へと身を投げる。頭から真っ逆さまに落下しながら、空中で身を捩って女に陽が当たるように体勢を変えた。全身に日光を浴びた彼女の口から、身を裂くような号哭が放たれ、木霊する。ドラルクへ縋りついていた腕の力が抜け、女の瞳から人ならざる光が逃げていった。意識を失い、目蓋が閉ざされる。それにドラルクがホッと安堵したのも束の間、彼自身の体も砂になり始めた。流石に陽の光はまずいと焦りを覚えつつも、迫る地面に抱き締める力を強める。
ドラルクたちが地面に衝突するスレスレで、矢のように地を駆けた赤い外套が、二人を纏めて受け止める。「おお!」意外な助太刀だと感嘆するドラルクを、ロナルドは日陰へと叩き捨てた。
「グッ……いやよくやったぞ、ロナルド君! 私の砂山じゃろくな緩急材にならんからな」
「うっせ、お前のためじゃねえよ。『たすけて』って言われたからな」
消え入るような声をたしかに聞いた。それがどういう意味か正しく理解したわけではなかったけれど、退治人ロナルドには充分だった。その一言があれば、動く理由には事足りた。
「しっかし、太陽なぁ。あんだけ苦戦したってのに、呆気ないもんだな……」
「吸血鬼より年季入った影の怪物だからね」
完全体となっていなかったことも大きいだろうなと、ドラルクは朝を迎える眩しい空を見つめて独りごちる。目が焼けてくる感覚がしたので、静かに顔を逸らした。
「化け物が太陽で消滅するのはお決まりだろう」
「そうだなテメーらもな。……なあ、最後、体の制御が効いてなかったっぽいのは……」
「愛の力じゃない? なんてね」
腑に落ちないという顔のロナルドへ、ドラルクは服を正しながら肩を竦める。ロナルドに抱えられた女の胸元では、血のように赤々とした小さな石が、太陽を反射させてきらりと光っていた。
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