今日の私はきみのため
《Y談おじさん》
床に手をつくユダさんを見下ろす。力なく膝から崩れ落ちた彼は、いつもはきっちり整えられている髪をだらしなく乱し、疲労のせいか肩で呼吸をしていた。その姿からは、普段の余裕綽々な様子はちらとも窺えない。彼はキッと牙を剥いて、私を鋭く睨み上げた。散らばった前髪のせいで、赤い目が僅かに隠れる。
「それを返しなさい」
「いやです」
奪われないようにと高く掲げている靴下は、死闘の末手に入れた戦利品である。
「出掛けられないだろう」
「出掛けなくていいです」
ツンと負けじと睨み返す。どうせこの吸血鬼は、カップルが溢れかえる街に繰り出して、Y談おじさんの責務を――んだよY談おじさんの責務って――を果たしに行きたいのだろう。年に一度の特別な夜。私だってあなたと二人きりで過ごしたいのに。けれどユダさんはきっとそんなこと思いもしていない。悔しさと寂しさ、それから虚しさが込み上げてくる。やばいちょっと泣きたくなってきた。泣いてたまるかと、ぎゅっと目に力を入れる。激しさを強めた私の眼光に、ユダさんはキレ気味だった顔を、困ったものへと変えた。
「いい子だから、返してくれないかな」
「いやです」
「これじゃ間に合わない」
「なにが」
「予約してたディナー」
「誰と!」
「きみと」
ぽかんと口を開いた私に、ユダさんは悪戯っぽく口角を上げた。
「行きたくない?」
「……ぜひいきたいです」
おみ足失礼致しますね、としずしず跪く。なんて素敵な靴下。今季のトレンドをばっちり押さえていらっしゃる。こんなにこの靴下が似合うのは、きっとこの世でユダさんだけでしょうねぇ。
ユダさんに靴下を履かせながら、服屋の店員並にペラペラ喋りまくる。そんな私の頭を、彼は「そうだろう」とお手本のような笑顔を浮かべて撫でていた。
- 9 -
*前次#
back
>>HOME