大反対した。のは、女性陣とショットさんだった。しかしそれも、
「拾った者が面倒を見る。猫だろうと犬だろうと、同胞だろうが人間だろうが。それが変わらぬ道理です」
というマスターのきっぱりとした尤もらしい言い分で沈黙させられてしまったけれど。
そんなわけで私は今、ロナルドさんの、マスターさんの拠点より多少慎ましやかなお城の廊下で待ちぼうけを食らっていた。「ちょっと待ってて」と言い残されてから、約三十分。両手で抱えるほどの大きさの段ボールを手に、ロナルドさんがおずおずと部屋から姿を現す。
「……あー、一応軽く掃除はした。けど、ちょっと埃っぽいと思う」
数十年してなかったから、とばつが悪そうに付け加えられ、大丈夫です首を振る。一部屋貸してもらえるだけでも十分すぎる。掃除だって言ってくれれば自分で……あ、見られたくないものとかあったのかな。なんとなく視線を段ボールへ向けると、さっと後ろ手に隠された。「入ったら」と話題を変えるように促されたため、素直に真鍮のレバーハンドルに手をかけ、扉を開く。大きな天窓から月光が射し込んでいて、灯りもつけていないのに室内は明るかった。照らされた埃がキラキラと舞っている。部屋の中央には、大きなベッド。寝具の傍にはスツールと、燭台の乗った丸テーブルが置いてある。壁際には木製のクローゼットと、本がぎっしり詰められた棚が鎮座していた。一人で使うには広すぎるほど立派なお部屋だ。
「この部屋、ほんと長いこと誰も使ってなかったんだ。俺がちょっと、その、細々した物置くのに使ってたくらいで……あ、ベッドとかも木が悪くなってっかも」
そわそわしている彼に、私の知ってるいつものロナルドさんが重なって見え、ここでやっとマスターさんの言っていたこと――『平行世界』という意味をきちんと理解できたような気がした。顔も声も全く一緒なのだし、本当に今更ではあるけれど。
「あの、ごめん、でも他の部屋はもっとひどくて」
「大丈夫、というか、私この部屋がいいです。絵本に出てくる部屋みたいで素敵だし」
「……そう?」
「はい」
うそじゃないと態度で伝えるために部屋の中へと踏み入った。一歩進むごとに床板が少しだけ軋む。埃の匂いは当然したけれど、しかしそれに混じる木や古びた紙のどこか甘い香りは、不思議と遠い日の懐かしい思い出を胸に呼んでくるようだった。嫌いじゃない、いや、好き。
「ありがとうございます、ロナルドさん」
「……気に入ったんなら、よかったけど」
天窓の真下に立って振り返り、改めてお礼を述べる。しかし彼がホッとしたように表情を緩めたのは束の間のことだった。戸口で立ち尽くしたままのロナルドさんは、もの言いたげに私を窺った。
「でもアンタ、ほんとによかったわけ?」
「え?」
「……やっぱマリアたちとか、なんならマスターのとことかのが、その……安心? だったんじゃねえの?」
言われている意味がよく分からなくて首を傾げる。安心なんて、そんなもの、現時点ではこの『平行世界』とやらに存在しない。どこへ行こうと、彼らのことをまだ何も知らない今の私にとって、彼らが平等に脅威であることには変わらないのだ。
ピンときていない私に、ロナルドさんはもどかしそうに「いや、ほら」と口を歪めた。薄暗い上に微妙に距離があるから、その表情はいまいち判然としない。
「一応俺、男だし……って、なんだよその目は!」
「いえ……」
彼がなにを言わんとしていて、そしてなにを懸念としているのかはなんとなく理解した。理解したうえで、つい白けた目をしてしまう。なぜって、私だってこれでも吸血鬼が異様に蔓延る新横浜の住民だ。吸血鬼についてまったくのド素人というわけではない。両の指では足りないほどトンチキ騒動に巻き込まれているからこそ、退治人であるロナルドさんと親交を持ち好意を抱くまでに至っている。
要するに、目の前の彼の容姿が『青年近い男性』ではあれど、見た目通りの『年齢』でないことくらいちゃんと承知しているわけだ。加えて、さっき彼が『いい歳』と言っていたのもしっかり耳に入っていた。だから、こんな二十そこらの小娘――それも人間に手を出すわけがないという確信があった。……それになにより、『ロナルドさん』だし。
私がそういった点を気にしていないというのが伝わったのか、彼は「いいならいけど」とどこかやさぐれた調子で呟いた。
「ロナルドさんこそ、大丈夫なんですか?」
「大丈夫って?」
「あなただって、周りに言われるがままだったじゃないですか」
マスターさんに流されていたように見える。「別に」ロナルドさんは軽く肩を竦めた。私を気遣っているとかではなく、彼自身もどうやら本気でなにも気にしてなさそうだった。
「浴室は、アー、この階の突き当り左のとこ使っていいから。服はヒマリ――妹のやつクローゼットにいくつかいれといた。んでメシはマスターが持たせてくれたのが一階厨房の冷蔵庫に入ってる。起きたら勝手にとって食って」
「はい。なにからなにまでありがとうございます」
「あ、あと敬語じゃなくていいから」
「え、でも年上ですよね?」
「まあ、そりゃあな。でもどんくらいかはわかんねえけど暫く一緒に生活すんだから、あんま堅っ苦しくされっと俺もキツいし」
城主が言うなら、と頷く。ふと思い立ち、「じゃあ」と口にした。
「ロナルドくんって呼んでもいい、かな」
「おう、なんでもいいぜ」
ロナルドくんはにかっと溌溂とした笑顔を作り、「じゃ、おやすみ」と背を向けた。階下に消えていく背中を見ながら、あのさっぱりとした態度は、度量が広いというよりも、やはりどうでもいいといった理由に起因しているからなんだろうなとぼんやり思った。やっぱ男女の括りなど気にするほうが馬鹿げている。私は正しかった。自分の判断に満足しつつ、薄い扉を閉める。
さて、目下私が最も憂慮すべきことは、果たしてこのベッドで真冬の寒さをしのげるのかということだけだった。持ち上げてみて、その軽さに居候の身ながら顔が渋くなる。妹さんの衣類が厚手のものであることにかけるしかなさそうだ。