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 ロナルドさん、あらため、ロナルドくん。

 彼と再度対面をしたのは、私がこの世界にやってきて五日目の夜だった。
 明け方にも近いころ、なんとなく目が覚めたため、厨房へ向かおうと階段を降りたところで鉢合わせた。ぎょっと目を見開き、ぐるぐると忙しなく大きな瞳を回し、彼はへらりと笑った。

「あ……げ、元気?」
「はい。おかげさまで……」

 思春期の娘との距離感を測りかねてる父親みたいなことを聞かれた。かくいう私も、誰かと会話するのが久しぶりだったので妙な返答をしてしまうし。彼もおかしいと思ったのか、「なんだよそれ」と軽く噴き出した。つられて私も笑うと、どこか張り詰めていた空気が抜ける。

「てか、敬語」
「あ、ごめん」

 向かう先は彼も同様に厨房らしかった。ロナルドくんが食器棚からなにかを探している間に自分の用を済ませてしまおうと、冷蔵庫を開ける。この数日、顔を合わせることこそなかったけれど、彼は彼で夜の間は活動しているようで、冷蔵庫に入っているマスターさんからの差し入れは毎日変わっていた。また新しい今日の分の食事が入っている。これに関しても言いたいことがあったから、こうして会えたのはちょうどよかったかも、と考えつつ目当ての品――牛乳を手に取る。閉めようと冷蔵庫の扉にかけた手に力を込めようとした瞬間、「あ」という短い音のあと、私の手のすぐ上に、赤い爪をした手が触れるか触れないかくらいで被さった。

「待って、俺も取る」
「え」

 後ろからにゅっとでてきた腕が、冷蔵庫の中をまさぐる。背後にひんやりがっしりとした壁を感じる。前も後ろも寒い……。「あった!」弾んだ声とともに、彼は冷蔵庫の奥から小さな瓶を取り出した。赤い液体――固体? が入っている。離れていく気配に、今度こそ扉を閉めた。小鍋にお湯をいれて煮立たせつつ、小さな匙で嬉々として赤いものを掬い上げているロナルドくんを横目で見る。視線に気付いた彼は、ちょっと照れ臭そうに相好を崩した。

「寝る前のプリンって妙に美味いんだよなぁ。あ、一口食う?」
「……何味?」
「血」
「遠慮しとくね」

 にっこりと辞退すれば、彼はさして気分を害した様子も見せず、「そっか」とまた匙を瓶の中へと突っ込んだ。小匙にたっぷり乗せられたそれは、原材料を知った今となると、てらてらと不気味に光って見えた。
 冷蔵庫の中の血液パックにはじまり、その他なんか赤いもの。それらは大体ロナルドくんの食事である。そういった赤黒い食べ物の隣に平然と並べられる、ニンゲン用の食事。その光景はなんとも倒錯的だなと感じる。茶葉をいれていたボウルと、カップに沸騰したお湯を注ぎながら、まあもう慣れたけど、なんて考える。残ったお湯と牛乳を再び火にかけ、沸騰しそうになったところで、先程浸した茶葉を投入した。

「なに作ってんの?」

 ふわりと香る紅茶――と、糖分を含んだ鉄の芳香。耳のすぐ横から聞こえてきた声に、反射で呼吸が止まった。この吸血鬼、さっきも感じたけどいちいち距離が近い。ロナルドさんも、同性には距離が近いイメージがあるけど。でも女性にこういうことはしない、というかできない。

「ミルクティー、ロイヤルの」
「ろいやる」

 拙い復唱に苦笑する。「飲んでみる?」私の問い掛けに、彼は年端もゆかぬ子どものように、こっくりと頷いた。ティーカップをもう一つ用意して、そちらへとお湯を移す。空いたカップを軽く拭き、茶こしを被せて亜麻色の液体を注いでいく。ミルクティーの出来上がった湯気立つカップを彼のほうへ押し出せば、いいの、と目で問われた。「どうぞ」と口添えすると、彼はこわごわとカップへ口をつける。カチンと陶器の淵に牙の当たった音がしたが、聞こえなかったふりをした。

「あ、美味い……」
「ロナルドくんは人間の食事も食べれる吸血鬼なの?」
「うん。でも俺は兄貴と違って料理うまくないし、近頃はあんま食ってなかった……でもこれ、ほんと美味い」

 ロナルドくんはそう言ったきり無言でカップを数度に分けて傾け、あっという間に飲み干してしまった。名残惜し気に、空になってしまったカップを見つめている。二回も言うって、余程美味しかったのかな。作ったといえるほどの代物ではないけれど、素直に嬉しくて、なんだかちょっとだけ面映ゆくなる。鍋の中にはもう一杯程度残っていた。

「まだあるけど、飲む?」
「えっ! あ、いやでも、アンタの分だろ? 悪いぜ」
「いいよ、別に」
「ん、んん……いや、やっぱいい。美味かったから」

 そう言ってへにゃりと微笑んだロナルドくんに目を瞬かせる。美味しかったなら、飲めばいいのに。

「美味しいものは分けた方がいいんだ」
「え……」
「だからアンタもそれ、飲んでくれよ」

 あ、じゃあ俺が淹れる、なんて元気に言って、彼はミルクティーを私のカップへと注ぐ。「お、いい匂い」と無邪気に笑う彼に、うっかり口が滑ってしまった。

「あ、そういえばさ、これ砂糖とかって――」
「ロナルドさんみたい……」
「え?」

 咄嗟に口を抑えるがもう遅い。私の呟きが聞こえてしまったのだろうということは、彼のきょとんとした顔が、証明していた。

「いや、今のは――その――」
「今の『ロナルドさん』って、平行世界の俺のこと?」
「……はい」

 あどけなさが消え去った静かな声音に、顔が見れなくなって俯く。やっぱり怒っているだろうか。いくら平行世界の自分といっても、勝手に重ねられるのなんて不快に思って当然――。

「な、実は前から気になってたんだけどさ、そっちの俺って実際どんななん? 畏怖いの?」
「……えっ? い、畏怖? いや、畏怖いかどうかは分かんない……人間だし……」
「ニンゲン⁈」

 すげー! と目を輝かせた彼に、私は先程の後悔が完全なる杞憂であったことを悟った。

 ◇

「いやほら、マスターがさ。『見知った顔ぶれだとはいえ、中身は別。我々と彼らの齟齬に不安を抱いてしまうかもしれないので容易に話題にはしないように』って言ってて」
「マスターさん……」

 新たに作ったミルクティーを手にファミリールームのソファに並んで腰掛け、ロナルドくんの声真似そっくりだったな……などと思いながら、ジンと感動を訴える胸を抑える。マスターさんが放つあまりの貫禄に、実は怖いイメージを抱いてしまっていたけれど、それは失礼だったのかもしれない。いや、吸血鬼的には畏怖って感じで嬉しかったりするのかな。できれば喜んでくれてると私も嬉しいんだけど。

「とにかくさ、アンタ的には聞かれるの嫌じゃないってことなんだよな?」
「うん、お気遣いの心自体は嬉しかったけど……」
「そっかそっか! ならマスターにもそういうふうに伝えとくぜ!」

 ご機嫌なロナルドくんに、私もよろしくねと口角を緩める。顔を合わせたら色々聞きたくなるかもしれないという思いで、わざと家を留守にしがちにしていたらしい。ここは彼の家なのに。本当に気を遣わせてしまっていた。それに気付きもしないで私ときたら……! 平謝りすると、彼は困ったように眉を下げた。

「ほんといいんだって。俺が勝手にやったことだし。ちゃんと聞けばよかったよな、話しても大丈夫かとか。そしたらこのろいやるミルクティーだってもっと早く飲めたのにさ」
「ろ、ロナルドくんさん……ほんとにやさしいですね……」
「くんさんってなんだよ。なあ、アンタ、あっちの俺と仲良いの?」
「エッいや、仲、仲は、あの……わ、わかんない、けど、良い……と、うれし、ぃ……」

 裏返り、吃り、そして萎んでいく声は、誰がどう聞いたって『なにかあります』と言っているようなものだった。ただ仲が良いのかと聞かれただけ。それなのに勝手に自分の気持ちを連想してしまったせいで、顔がみるみる赤く火照っていく。泣きそうだったけど、昂った感情の抑え方がもはや自分でも分からなかった。ロナルドくんが「えーっと」と分かりやすく言葉を選んでいる。その空気もまたいたたまれなさを助長させていて、精神にダメージが入った。

「あの、これ……聞かないほうがよかった?」
「……いや……そんなことは……」
「そっか……。……な、あの――もしかしてさ。あっちの俺のこと、好きだったりする?」

 エッこんなたじたじで可哀想な様子のニンゲンにそんなこと改めて聞いちゃうの?
 愕然として、思わずカーペットへと落としていた視線を上げてしまう。ロナルドさんのものより少しだけ落ち着いた青が私を見つめていた。落ち着いた、といっても色合いだけだ。好奇心に満ち満ちていて、遠足前夜の小学生のように爛々である。そんな瞳に真正面からじいと、長いこと囚われた私は、とうとう観念してゆっくりと一度だけ頷いてしまった。う、敗北。何が悲しくて本人のそっくりさん――いやある意味本人でもあるんだけれど――にこんなことを白状しなければならないんだ。「うわぁ!」なんだうわぁって。追い打ちをかけるな。

「え、え、告白は? もうしたのか? あ、してない? え、なんで?」
「な、なんでって……そんな簡単にできてたら苦労しない……!」

 私がこれまで何度失敗してきたと思ってるんだ。食い縛った歯の奥から、ロナルドくんにぶつけても仕方のない恨み節を絞り出してぶつける。ロナルドくんは「へえ」と特に響いていなさそうな相槌を打った。

「――あっじゃあさ」

 パッとかんばせに明るく花を綻ばせたロナルドくんに、なぜかものすごく嫌な予感がした。

「俺で告白する練習したらいいじゃん!」

 ほ〜らね。嫌な予感、的中。

 ◇

「むり」
「無理じゃねーって。練習しなきゃできるもんもできるようにならねえよ」

 正論すぎる痛いお言葉にうっと呻く。ロナルドさんの影を感じる努力家な、しかしてらいのない無垢な一言に胸をぐっさり刺された。

「でも、だって、顔は一緒なんだもん……」
「一緒だからこそ練習のしがいがあると思うんだが」
「吸血鬼正論しか言わない!」

 なんだろう、正論パンチやめてもらっていいですかね。ライフはもう一もない。ほんとうに。ロナルドくんは邪気がない分言葉の鋭利さが凄まじく、現代社会の闇に擦られて捻くれきった大人には猛烈に痛かった。気力を回復させるためにも、深呼吸してから重々しく「分かった」と呟く。

「お、やるのか?」
「やる、お願いします。でもとりあえず今日はやめよう、もう朝だし」

 ほら、と分厚いカーテンの下を指差す。うっすらと白い光が伸びてきていた。

「……俺、太陽平気だぜ?」
「え、そうなのすごい。じゃなくて。ロナルドくんだって睡眠は摂らなきゃでしょ」
「んー、まあ、それは……じゃあ明日から。絶対だからな、絶対」

 じっとりと念押しされ、渋々返事をする。カップを預かりながら、ふと気になったことを口にする。

「そういえばさ、ロナルドくんって普段どこで寝てるの?」
「へェっ⁈」
「ど、どうしたの」

 いきなり奇妙に甲高い、鶏のような声をあげた彼に驚き、後退って数歩距離をとる。ロナルドくんのほうも、ソファをぐいぐい押し退けながら、何歩か下がっていた。頬が真っ赤に染まっている。え、なに? 突然急変した彼に困惑するが、彼は彼で私と同じくらい、もしくはそれ以上に困惑しているようだった。

「ハ、え、いやそっちこそ、え、なに? なんで?」
「いや、棺桶ってどこにあるのかなって思っただけなんだけど」
「カッ⁈ あ、う、ア……っそ、そういうのは、あの……か、簡単に教えちゃダメだって、兄ちゃんに言われてるから……!」
「あ、そうなんだ」

 本当になんとなく気になっただけで、無理に聞き出したかったわけではない。変なこと聞いてごめんね、と謝罪すれば、ロナルドくんは、熟れたリンゴのような顔のまま、「ウン……」と弱々しく許してくれた。棺桶の場所を教えちゃいけないって、退治人の人に寝込みを襲われたりする危険を考えてだろうか。吸血鬼も色々大変なんだなぁ。アサシンみたいな生活してる。

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