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 茜色の斜陽が照らす、黄昏時。レースカーテンのさらに向こうにおわす沈みかけの太陽が、大きなソファに詰めて座る二つの影を、長く長く伸ばしていた。それをなんとなしに見つめながら、静かに息を吸い込む。

「すー……っじこのおにぎり」
「イクラがいい」
「そっか」
「うん」

 リテイクの重圧に項垂れる。告白ごっこを提案され、それに乗ってから早くも三日が経とうとしていた。進捗? 全くだめです。

「俺相手にも言えないってどんだけ?」
「俺相手だからですかねえ!」

 今にもやれやれだぜと言いだしそうな彼に、気軽に言ってくれると口端をぴくぴく引き攣らせる。余談だが、タメ口、くん付けで呼んでいること、それからロナルドさんよりも遠慮がなく感情豊かでストレートな態度のロナルドくんに、同年代のような接し方をしてしまっている今日この頃である。数百歳年上のはずなのにいいのかなと思わなくもないが、本吸血鬼(にん)が気にしてなさそうなので、私もまあいっかと思うことにした。

 出し抜けにぐうと腹の虫が鳴った。私ではなく、目の前の彼から。渡りに船だ。満面の笑みでソファから腰を上げる。

「じゃ、夕ご飯にしようか!」
「……逃げたな」
「やだな、違うよ」

 そう言いながら、重たいカーテンを掴んで、日差しを閉ざす。「ったく」と零しながら、ロナルドくんが反対側のカーテンを閉めた。

「俺カレーかオムライス食いたい」
「私はいいけど……起き抜けにきつくないの?」
「全然いける」
「じゃあオムカレーにしよう」
「そ、そんな夢のコラボが存在していいのか……⁈」

 はわ、と頬を紅潮させて乙女のように口元を抑えた彼に、単純で助かるなあと思った。


 いつまでもマスターさんのご厚意に甘えるわけにはいかない。だから自炊をさせてほしい。
食事に関して私が言いたかったこととは、ずばりこれだった。「へえ。いんじゃね」きりっと切り出したのだが、特に何も考えていない二つ返事が戻ってきて拍子抜けした。ロナルドくんとはたまにテンションのスイッチの切り替えポイントが分からなくなるというか、なんかズレを感じる。これが吸血鬼とニンゲンの違いなのだろうか。どうしてだか、そういうわけでもない気がする。なにか、もっと別の――。

「なあ、人参ほんとにこれでいいの?」
「え? うわ千切り……まあいっか。いいよ」

 ぼんやりしていたらカットを頼んでいた人参が髪の毛みたいにさらさら細長くされていた。千切っちゃったのは、恐らく昨日マリネを作ったせいだろう。まあ大丈夫、味なんかどうせ変わらないんだから。切り方なんて気にする必要はない。『人参が入ってる』という事実さえあればいいのだ。料理研究家が聞いたら噎び泣きながらブチ切れそうな理屈だが、生憎とここにいるのは料理初心者の吸血鬼とズボラな一人暮らしOL。無問題である。

 自炊をさせてもらえるようになって驚いたのが、ロナルドくんが毎食手伝ってくれることだ。吸血鬼のトレードマークともいえるようなマニュキュアを落としてまで、毎回こうして意欲的に取り組んでくれている。その流れで食事も一緒に取るようになったから、冷蔵庫の赤もここ数日でかなり減った。まったく血を摂取しなくても大丈夫なのかとやんわり尋ねたところ、「まあものは試しだよな」と答えにならない返事をされた。
 その後ジャガイモと玉ねぎも千切られ、さすがにちょっと脳内審議を開いてしまったが、最終的にはまあこれはこれでヨシとすることにした。新世代のカレーとしてむしろありかもしれない。そうしてカレーとバターライスを完成させ、オムレツに取り掛かる。ズボラだけれど、オムレツは得意だ。なにせ自分が好きなので。

「あ、そうだ。今日マスターが遊びに来ないかって」
「え――アッ」

 驚いた拍子に箸を勢いよく突き立ててしまって、黄色に無残な穴が開く。まずいと咄嗟に箸を動かし、勢いでうっかり掻き混ぜてしまった。結果、ふわとろオムレツになるはずだったものが、ただのスクランブルエッグに成り果てる。しかしそれでも、ロナルドくんはニコニコで出来上がったスクラカレーを食べてくれた。助かります。何がとは言わないけど。

 ◇

 約一週間ぶりのギルド、もといお城。初めて自分の足を地につけて見上げる城は、以前より大きく見えた。巨大な門のような扉を例のごとく片手で楽々開けたロナルドくんは、これまた前回と同様、「おーい」と玄関ホールから呼び掛けた。暗いホール内を迷いなく進んでいく彼に置いて行かれないよう、ひたすら足を動かしていると、首にするりとなにかが巻き付いてくる。同時に前回はなかった電灯がつき、室内を薄っすらと照らし上げた。「よっ!」マリアさんが牙を見せて豪胆に笑う。

「ひっさしぶりだなァ! 元気だったか?」
「お久しぶりです、元気ですよ」

 あなたもお変わりないようで。犬のようにわしゃわしゃ頭を掻き混ぜられながら内心でそんなふうに思っていると、「マリア」と少し怒ったようなターちゃんの声がした。

「急に抱き着くしない。マスターに距離感いわれた、忘れたか」
「あーいけね……そうだったな、悪い」
「え、あ、いえ……」

 ヘッドロックをかけていた片腕が離れ、自由になった。付き合いは長くないが、それでもしおらしいマリアさんは珍しくて、少しだけ調子が狂う。マリアさんの影からターちゃんがひょっこり顔を出して、「你好」と小さく手を振った。

「意思ある、わかてたつもりだけど、違った。この前はわるかた」
「え……?」

ターちゃんまで眉を下げ、しゅんとしている。ど、ど、どうしたっていうんだ皆さん。二人を筆頭に流れるどこか重い空気が落ち着かない。

「え、あの、え、どうし……あの、なにか、えと――の、飲み物……あっ血? 飲みます?」
「は⁈ アンタ何言って――おい! 飲むなよ!」

 半ばパニック状態で首元のボタンを乱暴に外し、シャツをグイっと引っ張る。と、すぐさまロナルドくんの手が飛んできて、首全体をがっしり掴んで隠した。マリアさんが「言われなくても飲まねーよ!」と憤慨している。いや待って、これ苦しい。

「ちょと、手、ゆるく――」
「いや飲みたそうにしてたじゃねーか! 瞳孔開いたのしっかり見たからな、俺!」
「う、本能なんだから仕方ないだろ! 飲もうとは思ってなかったっての!」
「それよりロナルド、お前まさか普段からこんなこと言わせてるか? サイテーある!」
「ンなわけねーだろ!」
「――ほら、皆さんそこまでです。ロナルドさん、彼女が苦しそうですよ」

 響いたマスターの声で騒がしさが一瞬で吹き飛び、ついでに首元の手も離れた。新鮮な酸素を吸い込み呼吸を整えてから、なんとなく首を回して上を見る。疲れた顔のロナルドくんに「ボタン」と短く指摘された。コツコツと歩いてくる音をBGMに急いで留める。

「お久しぶりです。お元気そうでなにより」
「いえ。お料理、ありがとうございます。とても美味しかったです」
「それはよかった。得意料理だけをお作りしていた甲斐がありました」

 マスターさんはそう冗談めかして微笑んでから、「先日は怖がらせてしまって申し訳ない」と真面目な顔を作った。予想していなかった言葉に目が丸くなる。

「皆さん、これまであまり人間と関わる機会がなかったので、つい興奮してしまったんです。かくいう私も 久方ぶりだったため、浮かれて少々ハメを外してしまいました」

 申し訳なさそうに眉尻を下げられ「いえ」とブンブン首を横に振る。

「確かに驚いたし、勢いとか圧は正直少し怖かったですけど……でも、マリアさんたちに頭を撫でてもらうの、あの……いやではなかったです」
「は〜? ほんとかよ?」
「ほんとだよ」

 ロナルドくんから疑わし気な視線を送られたが、きっぱり言い切ってマリアさんたちに向き直る。

「本当です。歓迎してくれてたっていうのはちゃんと伝わってました」

 些か強引ではあったけれど。二人はまだ躊躇った様子でちらちらと顔を見合わせている。

「血がどうのとか、誰にでも言ったりしません。前回ああして受け入れてくれたお二人だから言ったんです」

 そこまで言葉を重ねてようやく晴れた彼女らの顔に、私の顔も自然と綻んでいた。

 ◇

「あなたをこちらへ寄越した――トリップといったほうが正確ですが――吸血鬼なんですが、未だに所在が掴めておらず……申し訳ない」
「いえ、そんな……探していただけるだけで本当に助かりますし、むしろこちらこそお任せしっぱなしで申し訳ないというか……」
「吸血鬼にも縄張りというものがありましてね。あまり好き勝手されてはこちらとしてもメンツにかかわるんですよ。だからお気になさらず」
「そうですか……でももしなにかできることがあれば教えてください」
「真面目な方だ。ロナルドさんの面倒もみてくれるだけで十分助かってますよ」
「いやなんで俺が見られてる前提なんだよ」

 マスターの言葉のロナルドくんがストローでぶくぶくと飲み物を泡立たせ、不満を訴える。そういうとこだと思うな、言わないけど。「そういうとこね」私の腕に絡みついてしな垂れ掛かっているターちゃんがズバッと告げた。

「なんだよ、あそこは俺の城だぞ!」
「客人もてなす、したことなかたくせによく言う」
「お前らだって似たようなもんじゃねーか!」
「そうなんですか?」

 背後のマリアさんを窺えば、すっと顔を逸らされた。右のターちゃん、斜め前のサテツさん、その隣のショットさん。誰一人として視線が合わなかった。そうらしい。

「人間との交流は絶えて久しいですからね。仕方ないことでもあります」
「あの、この世界に退治人って……?」
「もちろんいるぜ。でもこんな森奥までやってくる奴はいねえ」
「意気地なしばかよ」

 つまらないと詰るように吐き捨てるターちゃんに、何人かが同調を示す。彼らのその表情は、不思議と拗ねているようにも見えた。

「新横……あ、私の住んでた街では、吸血鬼がうようよいましたよ。下等吸血鬼はもちろん、高等吸血鬼だって」
「ええ、ほんとかよ?」
「ほんとです。陸クリオネとか吸血アブラムシとか、えー……あとは辻斬りに辻野球拳とか」
「辻野球拳?」
「てか治安悪くね?」

 興味津々になってしまった彼らに、今更話してよかったのだろうかなんて不安になる。ついマスターさんを見遣れば、彼は肩を竦めてまた困ったように笑った。

「その件も、ロナルドさんからお話を伺っています。年寄りが余計な気を回してしまいましたね」
「でも嬉しかったです、気にかけてもらえて。ありがとうございました」
「二人とも、そのやりとり何回すんだよ」

 今日何度目かの頭の下げ合いに、ロナルドくんの飽き飽きとツッコミを入れる。彼は、音を立ててドリンクを飲み干し、伸びをしてから立ち上がった。

「じゃ、帰ろうぜ。マスターの話も済んだみてーだし」
「えー、もうちょっといいだろ?」
「だめだ。腹減ったし」
「なんだよ、それならここでマスターのメシ食ってけばいいじゃん」

 同意を求めるように「なあ」とマリアさんから呼び掛けられる。私もそう思ったので、特に動かず、座ったままロナルドくんを見つめた。微動だにしない私に、ロナルドくんの下唇がむ、と突き出る。

「オムレツリベンジしてくれるって言ったじゃんか」
「言ったけど……明日でもよくない?」
「よくない! ほら!」

 両腕を掴んでぐいぐい引っ張られ、強制的に立たせられる。胸板に顔面を強かに打ち付けた。

「ママとられて拗ねてるガキかよ」
「ガチ五歳児」
「ちっげーよ、てかうるせえな! もう連れてきてやんねえぞ!」
「うーわ監禁宣言! 危険思想。吸対さんこいつです」

 平行世界でもロナルドくんっていじられがちの愛されキャラなんだなあ。顔を胸に押し付けられたまま彼らの会話を聞き、見つけた共通点にほっこりする。

「〜〜〜もういい! 帰るぞ!」
「あっ……じゃあ、また!」

 引き摺られながら振り向いて皆さんへ会釈をする。ヒラヒラ手を振るマリアさん、呆れ顔のターちゃん。にっこりマスターさんなど。そんな視界の中で一番目を引かれたのは、なぜかズタボロになった可哀想なストロー口が飛び出す空のグラスだった。あれってたしかロナルドくんの。吸血鬼だから? 突然歯がむず痒くなったとかかな。
 玄関ホールをでて門までの道を歩いていれば、前を歩くロナルドくんから「楽しかったかよ」と問い掛けられる。

「うん、久しぶりに色んな人……吸血鬼とお話しできたし」
「……ふーん。ふーん! あっそ! そりゃあよかったな!」

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