考えるのはやめよう。
と、この数日でもう何十回考えたことだろう。考えるたびに考えるのをやめようと考えているのでつまり考えられないほど考えている。本末が転倒しすぎて複雑骨折を起こしているレベルだ。
だって、だって仕方ないでしょ。この世界に来てからずっと――時間にして、約三週間以上の期間を、一緒にこの城で過ごしてきたのだ。どこを見ても彼を連想してしまうのはもう仕方ない。思い出が多すぎる。……というかそもそもここは彼の家だし。
「なにか隠してるだろ」
「隠してない」
そう、ここはロナルド城。ロナルドくん所有のお城だ。なので、彼がずっといるのも、また仕方ないというか当然というか。
しかし頭ではしっかり理解していても、やっぱり苦い気持ちを抱いてしまう。だって、先週なんて丸々一週間避けてほぼ不在していたくせに。ここ数日、酔っぱらって帰ってきて以降は急に前と同じ――いや、むしろ前よりべったりになっている気がする。どういう風の吹き回し、というか心境の変化なんだ。あの夜をがっつり覚えている私にとってはシンプルに困るので勘弁してほしい気持ちでいっぱいである。
して、そんな私が、とっぷり暮れた宵の口。ダイニングテーブルを挟んで、なにを詰問されているかというと――まあ読んで字のごとくなわけだが。
彼曰く、私のここ数日の態度がおかしすぎるのだという。よそよそしいだとか、素っ気ないだとか。顔が見れなくて避けがちになってしまっているのはそうなのだが、しかしいやお前が言うか? と思わざるを得ない。思い出せ、先週の自分を。
「本当に何も隠してないってば」
鬱屈とした気持ちで息を吐く。自分を棚にあげて何度も繰り返されるやり取りに、やや嫌気がさしていた。避けてる私が悪いの? でもあんなこと言われたら避けたくもなっちゃうでしょ。いいよね、自分は覚えてないんだから……。そもそも、私が避けられてた理由だって教えてもらってないのに。私こそ理不尽に避けられていたと思うんだけど。
「うそつくなよ。俺と話すとき、絶対目見なくなったじゃん。少し話すだけでも不自然に瞬きするし。それに――」
それまで淀みなく指摘をしていたのに、ロナルドくんはどうしてか言葉を切った。何か言いかけていた口を、静かに閉ざす。青い目が戸惑いがちにふらと所在なく彷徨った。
「どうしたの?」
「……いや。それに、本当に心当たりがなかったら、まずは『なにが』ってでるもんだぜ」
「……なんか、退治人みたいだね」
「は? 一緒にすんな」
相手の様子を冷静に分析するその様は、仕事中の『彼』をどこか彷彿とさせる。しかし『退治人』としか言っていないのに、ばっさりと切り捨てられる。険しく顰められた顔に、不愉快以外の感情が滲んだ。
「……なんで避けるんだよ」
なあ。
呼び掛ける声は、迷子の子どものような頼りなさを含んでいた。
――『なあ、おれじゃだめなの』
酒焼けしたあの声とは、似ても似つかない。それなのになぜか、記憶の葉が脳内で勝手に揺れてざわめく。飾り気のない、節くれだった手が伸びてくるのが、いやにゆっくり見え――。
「え、」
「……あ」
咄嗟に振り払ってしまった。
しまったと思ってももう遅く。茫然とした様子のロナルドくんが、手を振り払われた体勢で硬直している。
「ご、ごめん」
細かく震える指先を、抑えるように空いた手で包む。ショックを受けている彼の顔を直視できず、視線を逸らした。
傷付けてしまった。そんなつもりじゃなかったのに。……だったら、どんなつもりだったというのだろう。自分でやったくせに、自分の行動の意味がよく理解できていない。ひどい混乱が胸内で渦巻いていた。
「ごめん――あの、これは……」
「……『これは』。なんなんだよ」
続きを探して黙り込む。怖かったとか、触られるのが嫌だったとか、そういうわけじゃない――本当に? いや、ほんとうのはず。だって怖いだなんて、ロナルドくんに思う必要ないし。
謀ったようなタイミングで、厚手のハイネックの下で噛まれた個所がじくりと痛む。吸血鬼がつけた傷だからか、治りが異様に遅く、えぐれた皮膚の痕はまだ生々しく残っている。そりゃあこれは痛かったよ、でもそれだけじゃ怖がる理由には――。
「なんか言えよ」
「あ――えっと……だから、その……」
威圧的に急かされて、尚更頭が回らなくなる。自分の気持ちなのに、浮かんでくる感情すべてが疑わしかった。なんて言えば、なにを言えばいいのか、分からない。
「……ごめん」
「……もういい」
結局、なんの答えにもならない謝罪を繰り返す。ガタンと鳴った椅子の音までもが、はっきりしない私のことを批難しているように聞こえた。うんざりとした重々しい溜息に肩が跳ねる。
「マスターんとこ行こうぜ。十分後、玄関な」
私の返事を待たずに荒々しい靴音が遠ざかる。その音が完全に聞こえなくなって、やっと肩の力を抜くことができた。
気まずい。息がしづらい。できることなら留守番させてほしい。いまは可能な限りロナルドくんと二人になることを避けたかった。
けれどつい先日、マスターさん直々に『二人で来てほしい』と念を押されてしまっていて。あまりの間の悪さに、頭が痛くなった。
◇
「ロナルドと喧嘩したか?」
「わかんない……」
やってきたお城、広い部屋の一角で、ターちゃんにこてんと首を傾げられる。喧嘩、え、喧嘩……? なんというのが適切なのか分からず、素直に零した。「うわーしてるやつの返事〜」マリアがニヤニヤと揶揄うように茶々を入れてくる。
「原因は?」
「た、叩いたから? うそ違う、これじゃ……え、きっかけはこれなのかな……いやでも……」
「グダグダ」
「よく分かんねえけど叩きたくなるようなことしたロナルドが悪いに一票」
叩きたくなるような、というのもまたなんか微妙というか。気付いたら叩いていたので叩きたいという意思はなかったわけだし――あれ、でも無意識で叩いてしまったってことは本心では叩きたかった……?
「また混乱してきた」
「落ち着くね。一つずつ、最初から考える」
差し出されたドリンクを受け取りながら、ターちゃんの助言に従ってみる。
まず、酔ったロナルドくんに告白紛いのことを言われた。それが気まずかったので避けた。理由を問い詰められて、答えられなくて、怒らせて――そして、今。
「……これ私が悪いの⁈」
「うわびっくりした、急に叫ぶなよ」
「だって……え、やっぱ私じゃなくない……?」
「結局なんだったね?」
「それは――……それは、言えないけど」
「なんなんだよ! あ、いっそ酒で割らせるか?」
「だめだめだめやめて!」
立ち上がりかけたマリアの腰にひっしと抱き着く。酒の勢い、よくない。だめぜったい。ぎゅうとしがみついていれば、不意に頬に饅頭のような感触の柔らかいものが触れた。見れば、キリッと使命感に満ちた顔のコユキちゃんが羽ばたいている。
「マスターが呼んでるみたいだな」
「あ、じゃあ行ってくるね」
「ん。酒持って戻ってくるよろし」
「持ってきません」
コユキちゃんの後を追ってカウンター席へと向かう。すでに腰掛けていたロナルドくんの姿にちょっと迷った末、肘をついて余所を向いている彼から二つ椅子を挟んで隣に座った。途端、ロナルドくんから「は⁈」と大声が上がる。
「な、なに」
「いやなにって、なに、だって、なんで――くそ!」
よく分からないままに悪態をつかれて、挙句舌打ちまでされた。せめてもうちょっと怒りを言葉にしてほしい。
「こらロナルドさん。失礼ですよ」
「だってマスター、こいつが、こいつが……うう」
威嚇するように睨まれて眉を下げる。いやだって、あんな機嫌悪そうな人の隣に座れないでしょ、普通。私たちのやり取りに、カウンターの向こうでマスターさんは軽く肩を竦めた。
この世界のゴウセツさんは吸血鬼であり、『マスター』ではない。けれど、こうしてバーラウンジに立っていることが多いため、私の世界と変わらず、マスターという呼び名で親しまれていた。
「今日お二人をお呼びしたのは、他でもありません。例の吸血鬼についてです」
「あ、見つかったんですか」
「いえ、恥ずかしながらそれはまだでして……ですがあと――そうですね、五日以内には捕縛できると思います」
「え……」
「じゃ、じゃあ、もうすぐ帰れるってことですか?」
前のめりになって尋ねる私に、マスターさんは「ええ」とにっこりと頷いた。
◇
ロナルドくんが喋らなくなってしまった。
周りにどれだけ話しかけられても、ぼけーっとして、うんともすんともいわない。一応話は聞こえているのか、「帰ろう?」と声掛けしたら歩き出してくれたけれど。
居心地の悪さを感じつつ、身についた習慣で、ロナルド城の玄関脇のメビヤツそっくりな――というか多分メビヤツ――銅像に「ただいま」と挨拶する。「ビ」……なんか、幻聴かな。たまに不思議な返事が聞こえるような。
「うわっ……え、なに、なんでしょう」
「べつに?」
顔だけで振り返ってきていたロナルドくんが、含みを持った視線を向けていた。久しぶりの意思を持った彼の挙動にたじろいで声が上擦ってしまったが、ロナルドくんは短い返事の通りどうでもよさげに言って視線を戻す。
「……そういえば、退治人の集団が近くの村に滞在してるんだってね」
「ああ。俺も聞いたよ」
さっきマリア達から聞いた情報を話題のタネにする。ロナルドくんは、黒い外套を脱いで自分と同じくらい背の高いメビヤツに掛けながら、相槌を打ってくれた。思っていたよりずっと普通の返事に、少しホッとする。もう怒っていないみたい。それに、一応会話をしてくれる気もあるらしい。まだ若干心ここにあらずといった様子ではあるが。
「ここら辺まで来るのは珍しいんだよね」
「まあここ田舎だからなあ。……そうだ、あとで顔出しに行ってみっかな!」
「え……大丈夫なの?」
ここ数週間で確認したが、吸血鬼と人間が築き上げてきた歴史自体にそこまでの大きな差はないようだった。でも聞いている限り、みんなはこれまであまり人間と交流はなかったようだけど……。いきなり遊びに行ったら危険なんじゃないだろうか。調子を取り戻してくれたばかりなので、水を差さないようにと注意して言葉を選ぶ。
「驚くんじゃないかな」
「あー……驚いた拍子に殺してくれたりしねえかな」
「え?」
さらりと紡がれた言葉は、あまりにも自然過ぎて聞き間違いかと思った。
「やっぱ退治人と戦うってステータスだよな……」
「な、何言ってるの?」
「なにって、なにが?」
「いや、さっき……殺すとか言わなかった……?」
言うわけないよね、そんなこと。
「は? 言ってねえよ」
あ、よかった、そうだよね。
「『殺してくれ』とは言ったけど」
「……し、死にたいの?」
信じられなくて、でも、そうとしか聞こえない文だ。続けた声はみっともなく震えてしまった。お願い、否定して。『ばかだな、ちげーよ』と笑ってくれ。そんな私の願いが通じたのかのように、ロナルドくんはにかっと屈託なく笑った。その明るい態度にホッとして、詰めていた息を吐きだす。
「おう!」
残酷なほどの無邪気さに、絶望で眩暈がした。
「し、死にたいって、え、本気?」
「本気に決まってるだろ」
私の強張って引き攣った顔が、『あの時』のようにへらへら笑っているように見えたのだろう。ロナルドくんは臍を曲げた子どものように唇を尖らせて不服を露にした。
「いや俺さ、前に太陽平気って言ったじゃん。で、銀もニンニクもへっちゃらで……こんなの全然吸血鬼らしくないだろ?」
小匙。彼がプリンを食べるときに使っていた、あの小匙。思い出してみれば、そう、たしか銀色をしていた。
「俺の兄貴はさ、すげえ吸血鬼で。もうめちゃくちゃ畏怖いんだ。吸血鬼の中の吸血鬼! って感じでさ。……俺と違ってさ」
だから俺も、死んで蘇って、兄貴みたいな畏怖い吸血鬼になる!
どうだと。素晴らしいだろうと。そう得意げに顔を輝かせている彼が、何を言っているのか少しも理解できなかった。嬉々として「名案だろ!」と同意を求めてくる彼の蒼い瞳には、凍りつく私など、まるで映っていないようだった。
「……なんか反応薄くね」
「い、意味わかんない」
「え?」
「なんでそんなことをそんな簡単に言えるの」
声を絞り出すと、ロナルドくんは、いま初めて私を見たようにまじまじと見下ろした。その呆気にとられた、なにも分かっていない顔に沸々と苛立ちが込み上げてくる。キッと睨めば、彼はやっと動揺をみせた。
「なにキレてんの?」
「そっちが変なこと言うからでしょ?」
「変って……なんか言ったか、俺」
この期に及んで、彼はまだそんなことを言って釈然としない様子で頬を掻いていた。呑気な彼にますます怒りを煽られ、呼吸が短く上がりはじめる。
「『死にたい』って変なことでしょ、これ」
「え、言ったけど……。でも死ぬくらい、そんな気にするようなことじゃないだろ?」
「……死ぬくらい」
彼がけろりと簡単に言い放った言葉を、一音一音ゆっくり噛み締めて復唱する。酸素不測の視界が霞む。耳の奥がキンと鳴るほどの激しい怒りを覚えるのは、生まれて初めてのことだった。「いや」困惑顔のまま、ロナルドくんが口角をぎこちなく上げる。
「待ってくれよ、そんなおおごとじゃないんだ。だって蘇れるんだし――」
「でも、蘇れる確証なんてないでしょ!」
「そりゃ……それはそうだけどさ……」
もはや平静を装うことなど不可能で、感情のままに声を荒げる。食ってかかれば、ロナルドくんは、少し口籠り、複雑そうな顔をした。
「でも蘇れなかったらいよいよ吸血鬼として終わってるというか。その前提くらい確立させといてほしいんだけど」
「それに死ぬ以外にだって十分吸血鬼らしさを証明する方法はあるでしょ。見た目だって十分吸血鬼なんだし」
「えー……牙のこととかいってる? でもこんなんマジで吸血鬼ならあって当たり前だし」
「そもそも、吸血鬼であることを証明しなきゃいけない理由も分からない」
「……俺だってアンタがそこまで怒る理由が分からねえんだけど?」
すうっと細くなる眼差しに言葉が詰まり――詰まった自分に狼狽する。なんで。なんで詰まるんだ。『友達が死にたがっている』なんて、怒るには十分の理由なはずだ。それなのに、どうして口にするのがこんなにも憚られるのだろう。……友達だと、思っていないから? そんなこと、私は、彼を――。
「俺が死のうが、関係ないだろ」
「か、関係なくは――」
「ねえよ」
私の声を遮ってぴしゃりと吐き捨てたロナルドくんは、せせら笑いを浮かべて私を見据えた。彼らしからぬ冷たい表情に固唾を飲む。
「アンタはどうせ、もうすぐいなくなるんだから」
全身の血が一気に引いて、襲ってきた奇妙な寒気に鳥肌が立つ。喉奥をぎゅっと締め付けられたような心地だ。口を開いているのに呼吸がままならなくて、はくはくとただ顎が震えた。ロナルドくんは吸血鬼特有の鋭い牙を見せつけるように、わざと口を大きく歪めて笑った。
「『俺』の顔で『死にたい』って言われたことが、そんなにショックだった?」
「ちが……私は、そんなつもりじゃ……」
問い掛けは完全に形だけだった。意地悪い嘲笑がそれを物語っている。咄嗟に否定したけれど、それ以上続けることができない。絡んでくる仄暗い眼差しが恐ろしく、顎を引いた。
「悪いな」
「え……」
急に声の調子が変わった。明るいそれに誘われて、つい下げたばかりの顔を上げる。向けられていたのは、先程とは打って変わった、いやにさっぱりとした笑顔だ。
「でも俺はアンタの『ロナルドさん』じゃねーから」
首筋に残る牙の痕が、じくりと痛んだ。