夢でさえも打ち砕く


 私が買い物に行っている間に、ドラルクさんたちは、まだ帰らないという結論に落ち着いたらしい。
「だって帰ったってどうせ書類地獄だし」
 待ってる人がいるというのに、なんて理由だ。しかしどんな理由であれ、彼の滞在が延びたことを喜んでしまっている私も大概だけど。……喜んでる場合じゃないのにな。

「はあ?! 田中とデート?!」
「……食事に行くだけです」
「男女二人が食事に行くことをデート言うんじゃ! だめだめ、お母さんそんなの許しませんよ」
 いつからお母さんになったんだと言いたかったが、たしかに日頃から彼のやっていることは母親っぽいからいまいちツッコミづらい。
「いつの間にそんな進展したのよ」
「まあ色々ありまして」
「……言いたくないんだ」
 ドラルクさんは眉をぴくりと跳ねさせ、目を線のように細くする。冷たい苛立ちを差し向けられたが、怯まず「言いたくありません」ときっぱり言い切った。
「私たちの個人的なお話なので。ドラルクさんには関係ないでしょう」
「ウッ、で、でも二人きりは…………あ、危ないでしょうが」
「危ないって、田中さんはそんな人じゃありません」
「急変するんだよ男は!!」
 わっと叫んだ彼にそのようですねと内心で返す。怒ったり慌てたり、感情の落差がほんと激しいなこの人。
「……あ、ならスタンガン持っていきます。それでいいでしょ」
「いいでしょってなんだその面倒くさそうな言い方……そもそもなんでそんなもん持ってるの」
 まあそれは、と言を左右する。それに持ってるといっても、数ヶ月前に通販したそれはまだ封を切ってすらいなかった。
「ちゃんと使ったことある?」
「ないです。あとで動作確認しときます」
「いや、まあそれも大事だけど……」
 批判とはまた別でまだなにか言いたげにもごもごと口をまごつかせるドラルクさんに、私もちょっと当惑する。しかしこれでは埒が明かない。「とにかく」と無理やり話を締めにもっていこうと口を開いた――これが良くなかった。
「とにかくスタンガンもあるし妙な心配は無用です。ドラルクさんのことだって伸せちゃいますよ」
「……へえ」
 場を和ませようという冗談も込みの言葉だった。しかし私が言い切った瞬間、顔から感情を消して目を細めたドラルクさんに、あっこれ間違えたとすぐさま察してしまい、血の気が引いていく。
「私のことだって、ね」
「……い、今のは綾です。言葉の綾的な……」
「そう」
「そうです。……あの、すみませんでした」
 身を縮こめて謝罪を絞り出す。ドラルクさんは「謝ることはないよ」と鷹揚に口角を上げた。穏やかすぎて白々しく、上っ面だけなのがあからさまだった。
「そうだ、なら今やってみせてよ」
「え?」
 ドラルクさんはきょろ、と顔を回し、「これでいいか」と呟いてテレビのリモコンを取って私へ突きつけた。
「は? なに、なんですか?」
「できるんだろう? ほら、やってみせて」
 軽くテーブルやソファを片付けてスペースを作り、ドラルクさんは一定の距離をとって料理をする時のように腕を捲ると、私に向き直った。「ほら、それしまって」急かされるままに受け取ったリモコンをズボンのポケットにしまう。なんだこの流れ、と思わざるを得ない展開だったが、先程の負い目もあり強くでることができない。
「はい。じゃあ私に当ててみなよ。どこでもいいからさ」
「え、どこでもいいんですか?」
 ミステリードラマからのふわっとした知識だけど、こういうのって頸動脈を狙うものだと思っていた。『こいつそれも知らないのか』という露骨な呆れ顔を向けられたので咳払いで誤魔化し、ポケットに手を突っ込んだ、些か迫力に欠けるスタイルだが精一杯にキリッとしてみせる。こうなったら仕方ない、腹を括ろう。それにここでちゃんと『できる』ということを証明できれば、彼だって心配はいらないんだなと引いてくれるだろうし。
「では――いきます!」
「宣言すな。はい十点減点」
「減点?!」
 いきなり出鼻を挫かれ狼狽える。減点方式? 元は何点だったんだろう。どうしよ、ていうか減点され尽くしたらどうなるんだろう……。減点されると知り、迂闊な行動がとれなくなってしまった。とりあえず構えてはみたリモコンが、状況の間抜けさを際立たせていた。
「……いつまでコアリクイの威嚇ポーズの真似してるつもりだ」
「し、してないです……!」
「きみがいかないなら私からいくかな」
「は?! レギュレーション違反!」
「言い出したのは私なので私が法でーす」
 手が伸びてくるので待って待ってと逃げ惑いながら繰り返すが、「不審者は待ってくれないぞ」と跳ね除けられる。
「だ、っから――田中さんは不審者じゃ、な――うわっ!」
 パシ、と音が鳴り、リモコンを掴んでいた手首を掴まれた。自由な方の二の腕にも手を添えられ、身動きを封じられる。間近まで寄った金色の瞳は妙な燻りを秘めていて、とろりとした琥珀色をしているように見えた。
「お喋りが多い」
 外側へ軽く捻るようにぎゅうと握り締められ、痛みで手首から上の力が抜けていく。落ちていくリモコンに、あ、と気が逸れた。ぐっと手を引かれ、足を払われ、ぐるりと体が反転する。
「――たしかに私は連続で腕相撲したら女性のきみにすら負けてしまうくらいに貧弱だけど」
 床に倒れると思って咄嗟に目を瞑ったが、想定していたほどの痛みはない。背中に走ったささやかな圧迫感に咳き込んでいれば、頭の横辺りが沈み込んだ感覚がする。そちらを目だけで見ると、節くれだった白い腕が視界に映った。時間をかけて腕を辿り、その持ち主へそうっと視線を送る。
「これでもお巡りさんだからね、私」
「そ、そうでしたね。吸血鬼のおまわりさん……」
「それだと微妙に意味が変わるがね。それで、『私のことだって』――なんだっけ?」
「すみませんでした……」
 素直に謝ったのに、ドラルクさんはただ貼り付けた作り笑顔を深めただけだった。退いてくれない。握り締めた拳が、じわじわと汗ばんでくるのを感じる。
「実はさぁ、前から言いたかったんだよね」
「な、なにを」
「やっぱりキミは無防備すぎるって」
「それは……そんなことありませんよ」
「そうかなぁ」
 以前にも言われたことだ。ムッとした私を意に返さず、ドラルクさんはのんびり頬を緩めた。
「会ったばかりの初対面な男との同棲だって流されちゃうし、心を開いたら子猫みたいに擦り寄ってきたりするし」
「はあ?! わ、私そんなことした覚えは――」
「男と簡単に『友達』になるし」
「別に簡単には――」
「果てには」
 ドラルクさんが頓についていた腕を曲げて肘で支える体勢となった。特段上等というわけでもないソファはそんな動きだけでギシと軋む。その音と、尚更近付いた顔に臆されて息を呑んだ。
「こうして組み敷かれてるのになんの抵抗もしないし」
 反論のために開いていた口がぴたりと固まった。なにか言おうと言葉を探してはみたがなにも思いつかず、結局目を伏せて逃げる。頭を背けたかったが変に動かすと顔が触れそうな気が――すでに鼻先は擦れていた――したので、出来うる限り顎を引くだけに留めた。
「ほら、そうやってさ。その反応も良くないよ、分かってる?」
「……わか、てます」
「いーや、分かってないね」
 唇を動かさないで答えたが、不服げな瞳に覗き込まれる。う、近い近い近い。意味がないと分かっていたが、もぞもぞと身を拙く捩れば、またソファが揺れて音を立てた。
「きみは時折そうやって男を期待させるような――または煽るようなことをする。しかも無自覚。タチが悪いったらない」
 生まれてから初めてだ、そんな魔性の女みたいな形容をされたのは。状況が状況でなければ的外れすぎて腹を抱えて笑うくらいはしていたと思う。……状況が状況でなければ、の話だが。
「ちゃんと聞いてるのかい。なあ、きみだって困るだろう? 興味のない男におかしな気を起こされたら」
「興味のない……」
「そうそう。それこそ田中とか、あとは――まあ――その他有象無象とかね」
「……ドラルクさん、は」
 上擦った声は無視されるかと思ったのに、殊の外彼の興味を引いたらしい。ドラルクさんはきょとんと目を丸くして続きを待った。与えられた猶予に、ひっそりと呼吸をして喉の調子を整える。
「ドラルクさんは、そ、そういう気、起こさないんですか」
「エッ私? えっいやわたっ、ンン――……私は別に、そんな勘違いとかはしませんけど? 全然、全くね。なにせこう見えてIQ五億なので」
「……そうですか」
 なんだ、しないのか。自分で言ったくせに、当の本人はしないのか。思わせぶり女である自覚はなかったし、そんなつもりもなかったけれど、ガッカリした気持ちは隠せなかった。
「ああほらまた、そんな顔して……まるで勘違いしてほしかった、みたいなさ」
「っ……」
 仕方ないとでも言いたげに、顰め面のような笑みを浮かべるドラルクさんへ、私は『してません!』と否定するべきだったんだと思う。でもしてくれてたらよかったのにと考えていたばかりだったため、取り繕うことが出来なかった。瞳が泳いだ瞬間をばっちり捉えたドラルクさんは、垂れがちの瞼をぱっちりと持ち上げた。「は、」薄く開いた彼の唇から、吐息とも声ともとれる音が零れる。落ちたその響きに、なぜか『バレた』と直感してしまった。
「……きみ」
 顔にじわじわと集まってくる熱は、この近さでは隠しようも誤魔化しようもなかった。がなる自分の心音とドラルクさんの荒い息遣いが混ざりあって聴こえ、妙な気分になってくる。
「きみ、私のこと好きなの」
 ぽつんと静かに投げ掛けられた言葉に疑問符はついていない。狭まった気道から音を絞り出すことは困難で、私は口を開いたり閉じたりすることしか出来なかった。瞬きをいくらしても眼の表面の乾きが収まらない。しきりに瞼を開閉させる私を悄然と見つめたドラルクさんは、ゆっくりと私の上から退いた。それに合わせて私も怖々と身を起こし、首裏あたりの髪を意味もなく撫で付ける。指先に触れたうなじは燃えてるんじゃないかと思うほど熱を持っていた。
 フラれるのだろうか。いや、きっとフラれる。もし仮にドラルクさんも私のことを憎からず思ってくれていたとしても、彼が帰ることはもはや決定事項なのだし。別れることを前提に関係を結ぶなんて、ドラルクさんはそんな無責任で不誠実なことをするような人では――。
「――じゃあ付き合っちゃう?」
「……えっ?」
 見たことのないくらい輝かしい笑顔で、ドラルクさんはあっけらかんと言い放った。
「ちょうど私も溜まってきたな〜と思ってたところだし」
 聞き間違え、かと思った。だってドラルクさんの口から飛び出てきた文字の並びにしてはあまりに賎陋だった。
「――ああ、そうそう。私、元の世界に戻ったらこの世界の記憶なくしちゃうらしいんだよね」
「は――」
 なんでもないことのようにさらりと告げられた言葉の破壊力といったら。私には時が止まったのかと思ったくらい衝撃的だったのに、ドラルクさんはけろっとしている。なぜそんな平然としていられるのか謎だった。忘れるって、この世界の記憶って――私のことを、忘れちゃうの? 忘れるのに、なんにも気にならないの? いやじゃないの? 少しも?
「でもその方がお互い後腐れなくてちょうどいいよね、期間限定の割り切った関係っていうか」
「お、お互い?」
「うん。私は帰るんだし、目の前にいない且つ忘れ去られてるとなれば、きみの想いだって無駄に尾を引くこともないだろ。……あっそうだ、なんなら田中と同時進行で付き合えば?」
 さも名案というように明るい相貌でポンと手まで叩かれた。無駄? 同時進行? 混乱で息が切れる。脳が現実の理解を拒んでいた。
「そうしたら私が帰っても田中がいるし、ドラちゃんロスを感じることもないでしょ。みんなハッピーじゃない?」
 振り上げた手は、完全に意識の範囲外だった。
 異世界の住人に恋なんて、馬鹿だ馬鹿だと思っていた。これこそしっかりと自覚していた。でも例えそれが、誰が見ても揺るぐことのない純然たる事実だとしても。
「ばかにしないで」
 それは、あなたにだけは絶対言われたくなかった。
 赤くなった片頬を晒して斜め下を向くドラルクさんが今どんな顔をしているかは、流れた前髪のせいで見えなかった。
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