はじめの一歩は手を繋いで
「で、試してみたいことってなんです?」
買い出しついでに、普通にショッピングでも行こう。ちょうど観たかった映画もこの前公開されたし、それも観にいこうかな。そう思ってガッツリ顔面を作り、身支度を終えた私は、玄関口でドラルクさんと対峙していた。
「というか私はなにを買ってくればよいので」
「きみが今日なに食べたいかによる」
それもそっか。食べるのは私だけだもんね。でもドラルクさんの料理の腕前が実際どんなもんかも分からないし安易にリクエストするのもなぁ……とりあえず誰でも作れて失敗もしなさそうなもの……湯豆腐とか……?
「言っとくが、なんでもいいはなしだぞ」
「さすがにそんなぶん投げは……ってなに靴履いてるんですか」
ドラルクさんは靴の履き心地を確かめるように、爪先で玄関の床をトントンと叩いていた。
「どうせ外に出れないのに」
「そうだね、私一人じゃ玄関一歩で強制Uターンだ。でもほら、思い出してごらんよ。きみが押してくれた時は、家の外まで行けただろう」
「……たしかに」
すっかり忘れていたが、一応なんの問題もなく外までは連れて行けたんだった。ハッと目からウロコといったリアクションをとった私に、ドラルクさんは真剣な顔で頷いた。
「私の体も、きみに押されている間は勝手に家に戻ろうとはしなかった――まあ手が離れて一歩でリビングに戻されたけど――……つまりきみと接触さえしていれば、私も外に出られる――かもしれない」
「かもしれない」
「かもです」
ドラルクさんは表情を変えずに多分メイビー恐らくきっと、と古い予防線を張った。そのネタ異世界にもあるんだ……。
「ということなので、あー……触れてもいいかい? 物は試しだし、一瞬チャレンジしてみるだけ、袖とか――」
「いいですよ、はい」
「えっ」
了承とともに手を差し出せば、ドラルクさんはなぜかぎょっと狼狽えた。その妙な反応に私が眉をひそめると、彼は「い、いや」となにかを弁解するように落ち着かない様子で口を開く。
「え、だって、あの――……え、いいの?」
「触りたいって言ったのはドラルクさんでしょう」
「そうだけど。そうなんだけど」
ドラルクさんが言葉を探してあーだのうーだのもだもだ唸るのを、私は手の平を向けたまま聞いていた。黄色の瞳があちらこちらへと忙しなく泳いでいる。そうした無為な時間がしばらく流れた後、やっと指先だけがそろりと遠慮がちに握られた。なんだったんだ、今の時間。
「じゃあ行きましょうか」
「……はい」
簡単に離れてしまいそうな力加減だったので、こちらからぎゅっと力を込めて握り直す。肉の薄い手の平は、ややガサツいていて少し硬かった。私より細そうな指に恐る恐る力が込められ、先程よりしっかり巻き付く。見た目のわりに基礎体温高いんだななんて思いながら、ドアを開けた。
◆
ドラルクさんが私以外に認識されないという仮説は、正しかったらしい。「普通に歩けてるね」「そうですね」なんて他愛もない会話をしていたのだが、その最中、私は道行く人々に何度も不審者の眼差しを送られた。そのため、私は携帯を耳に当てながら歩かねばならなくなった。ながらスマホ……。しかも片手にドラルクさん、片手に携帯。両手が見事に塞がっているのでなにもできない。次からはワイヤレスイヤホンを装備しておこう。……でもあれってパッと見じゃよく分からないし、瞬間的な不審者判定は免れないような気がする。
「世知辛〜い……」
「なにが? あ、食べたいもの思い付いた?」
私たちは今、繋いだ手の間に籠の持ち手を挟んでスーパーの食品売り場を物色していた。ドラルクさんはのんびり尋ねながら、六個入パックの卵を籠に入れる。……これ傍から見たらどう映ってるんだろ。卵が勝手に浮いて籠に入ったように見えるのかな。それともドラルクさんが触れたものは見えなくなるとか?
「湯豆腐はどうでしょうか」
「きみさては私の料理の腕をまったく信じてないな」
「……じゃあロールキャベツとか。作れます?」
「は、愚問だね。きみがこれまで食べた中で最も美味しいと感動して咽び泣くほどの絶品ロールキャベツを作ってみせよう!」
尖った顎を突き出し、細めた目で居丈高に見下ろされた。自分でやたらとハードルを上げたドラルクさんを「わーたのしみ」と適当にあしらいながら、野菜売り場へと手を引いていく。今日のキャベツもお買い得のイチオシだといいな。
◆
あれもこれもとドラルクさんがばんばか籠にいれていくせいで、手持ちの籠はすぐいっぱいになり、最終的には上下に物が詰まった籠を乗せたカートを押してレジを通ることになった。『一人でこの量の買い物を……?』という周りのお客さんからの視線が少し恥ずかしかった。店員さんはしれっとした顔でお会計をしてくれたけれど、もし私が店員だったら絶対あとでほかの従業員に話す。さっき一人でカートの上下使って買い物してる人が来たんだけど罰ゲームかなにかかなって。
「一応聞くけど、エコバッグとか持ってないの?」
「逆に聞きますけど、私がそんな生活力溢れるアイテムをお持ちと思いますか?」
「堂々と言うことじゃないよ」
累計三つとなった大きなビニール袋を繋いだ方に二つ、片手に一つと分けて持つ。指に引っ掛けて一秒もせずに、ズンと沈み込む袋の重みで指がもげ落ちていきそうな感覚に襲われた。
「待っ、う、おっも……え、マジで指千切れる死ぬ」
「ワー、さすがに罪悪感……人気のない場所まで移動したら私もちゃんと一個持つから」
買い物中に冷凍コーナーのガラス扉で確認したが、ドラルクさんの手にしたものは、やはり消えたように見えるらしい。私が三つの袋をこうしてほぼ一人で請け負う羽目になっているのはこのためだ。だってここで袋が消えたら変な注目を浴びてしまいかねない。ただでさえ目立っているし、それは避けたかった。今後の買い物時も、周りには注意しなくては。卵が籠へテレポートした瞬間とかも、見られたら困るし。
足早に人気のない場所まで向かい、ドラルクさんに袋を一つ渡して荷物を分担して持ち、帰路につく。通話中の人の真似をできないため、人通りの少ない道を選んで歩いた。
「……ちょっと。もう少ししっかり持ってくれません? 重いんですけど」
「ごめーん、私ジョンより重いもの持てないから」
「ジョンって誰だよ」
「私の愛しい丸」
下ネタだろうか。急になにこの人。初日ぶりにドラルクさんが怖くなった。
「今すぐ手離したいな……」
「なんで?! いや別にいいけど。私はきみんちに強制送還されるだけだし。そうしたらこの荷物をほんとにきみ一人で持ち帰ることになるんだからな。というかきみの家の冷蔵庫がスカスカで食生活レベルが底辺なのが悪いんだろう」
「いやぁ、それにしてもいい天気ですねえ」
都合が悪いことは聞き流すに限る。聞こえなかったふりをして天気の話を持ち出した私に、ドラルクさんは溜息を吐いた。
「帰ったらどうするんだ? 天気もいいし、いつもみたいにどこかへ出掛けたりするのかい?」
「あー……いや、お昼寝しよっかな、ちょっと遅いけど……。なんかもう疲れたし外出る気力ない」
「ちゃんと食べないからそんな貧弱なんだ」
「牛乳オンリー生活の幽霊に言われたくないんですけど。……あ、ちょっとそこの薬局寄りましょう。ワックス買うために」
「ワックス? フローリング掃除でもしたいの?」
「そのワックスでなくて。あなたのヘアセット用のです」
買い物中、頻繁に前髪をかきあげているのを見た。鬱陶しいなら、もっと早く言ってくれればよかったのに。気が回らなかった私も私だが。
「……前から思ってたんだけど、きみ、尽くすタイプ?」
「はあ? このくらい普通でしょう」
否定したそうな視線を向けられるが、私だって釈然としない気持ちだ。しかしふと家を出る前の、結局ちゃんと返事をすることができなかった問い掛けを思い出す。
「……友達なら、普通ですよ」
「…………そう」
指にかかっていた負荷が少しだけ減った気がして隣を見る。ドラルクさんは素知らぬ顔で前を見据えていて、視線は合わなかった。
「ドラルクさんって明るい陽の下で見ると余計不健康そうに見えますね」
「やかましいわ」
◆
夕方、茜色のリビング。早めの夕飯としてだされたロールキャベツにナイフを落とした。抵抗もなくすとんと割れて肉汁を溢れさせたそれを切り分け、口に運ぶ。キャベツと肉が一緒くたになって溶け、肉と野菜のほのかな甘みと、たっぷり染みたコンソメの味がじゅわりと口内に広がった。そうしてあっという間に喉へと滑っていったロールキャベツに呆然としながら、ドラルクさんの方へと顔を向ける。
「えっ天才ですか……?」
「ふ、いいよ、もっと言って」
「とっても美味しいです。もう世界一。ロールキャベツは飲み物だったんですね」
「まあね、私にかかればこんなもんよ」
素直に感想を述べれば、ドラルクさんは私のエプロンを身につけたまま、腰に手を当ててえっへんと薄い胸を張る。華奢な体格と所帯染みた格好のせいでいまいち決まってないなと思ったが、水を差すのも可哀想なので口にはださなかった。
「……あの、やっぱりドラルクさんも食べたらどうですか? 空かないってだけで食べれなくはないんですよね?」
「それは、まあ……でも遠慮させてもらうよ」
向かいの席に腰掛けつつ、ドラルクさんは困ったような笑顔でやんわりとお断りした。
「食費だけはほとんどかからないっていうのが私を置くことのメリットの一つでもあるわけだし。友人になったといえど、さすがにそこまでの負担はかけられないよ」
低燃費なのが売りなので、とドラルクさんはピースした指をハサミのようにぱちぱち動かす。私は別に気にしないんだけどな。むしろ私だけ食べることのほうが罪悪感を覚えてしまうというか。
「きみが食べる時は一緒に牛乳でも飲ませてもらうとするよ。……ていうかきみってさ、もしかして実はすごくお嬢様だったりする? 豪勢な生活だった幼少期の反動のせいで現在は憲法二十五条に叛意を翻すがごとく自堕落な生活を?」
「そこまでじゃないでしょ」
遠回しなディスにムッと口を尖らせる。心外。ていうか憲法も一緒なんだ。吸血鬼という生物の存在有無以外に大きな違いはないのかもしれない。でもそこが最たる差だよなと思いながら、探るような眼差しをいなして軽く肩を竦めた。
「別にそんなんじゃないですよ。一般家庭の出です」
「なら若くして高給取り? 私みたいな」
「違いますよ、なんの役職もない中小企業に勤める一介の社員です」
「ええ……ならその金銭感覚バグにどう説明をつけるんだ。この家だってかなり広いし、家賃だってそれなりにするだろう」
「ああ、ここの家賃は八千円なので」
「え?」
「え?」
「……え?」
「……あ、ご馳走様でした。洗い物はやりますね」
「あ、はい。…………え?」
通り過ぎがてら、なぜか放心しているドラルクさんに、「お風呂お先にどうぞ」と声をかければ、彼は猫のようにびくりと飛び跳ねた。
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