にわかに村雨予報


 異世界のダンピールと『友人』になってから、起床時間は一時間程早くなり、昼食にはお弁当を持たされるようになった。仕事終わりは出掛けに渡されたメモを頼りに買い物をしてからあたたかい夕食の用意された家に帰る。少し前の自分ならドン引きするほど規則正しい生活。最初のうちはこの健康で文化的すぎる生活に胃もたれというかぐったりしてしまったけれど、一ヶ月半経った今ではもうすっかり慣れてしまった――のは、いいとして。
「あ、ねえ、今季のスナ、スタバの新作、きみが好きそうなやつだったよ。さっきCMで見たんだけど。知ってた?」
「見てないです。……あ、ほんとだ」
「でしょ。次の休み一緒に行こうよ」
 穏やかに目を細めるドラルクさんになんとなく口内を食む。週末は、彼のこういう提案で手を繋いで買い物や、話題のスポットに行ったりするようになっていた。成り行きで始まった奇妙な共同生活は、なんだか益々混沌を極めてきている気がする。なにも休みのたびに出掛けているわけじゃないけれど、家にいるときもリビングに呼び出されて映画観たり、ゲームしたり、お菓子作りしたり……。仕事がなければ四六時中ともに過ごしているというような現状だ。『許可なく触らない』という約束も、手を繋がなければ外出できないという縛りのせいか曖昧になってきている。映画観てるとき手持ち無沙汰みたいに急に手をマッサージされるから、映画どころじゃなくなることも多々あった。肩に頭預けられて寝落ちされたときとかいや逆だろと思った。
 とにかく、近頃のドラルクさんはなんかフランクすぎというか、有り体に言えばベタベタしすぎというか。友達の距離感を超えてるような……。一度それとなく距離感おかしくないですかと言ってみたが、きょとんとした調子で「だって私たち友達じゃないか」と返され、疑問を感じている私の方が逆におかしいみたいな空気にされた。納得いかない。いやだって、友達と言えど異性なんですけど。これが同性ならともかくさあ……経験上、友達間でのスキンシップって性別で結構変わる気が……。あれ、この人もしかしてそこら辺の認識まったくない? まさか男だと思われてる? は?
「ね?」
「……いいですよ」
 断られるなんて微塵も思っていない無邪気な顔に、ぎこちなく笑みを作る。一緒にもなにも自分は牛乳しか飲まないくせに、とか、色々思うところがありながら、それを口にせず断らない私も私だという自覚はある。ごちゃごちゃ言ってはいるが、結局こうした交流に文句があるわけではない――ないはず、なんだけど……なんなんだろうなぁ、このモヤモヤした感じ。
「楽しみだね」
「……そうですね」
 笑った彼に、また何とも言えない気持ちになる。こういう、気の抜けるようなへにゃりとした笑顔を向けられることも増えていた。あのニンマリとした嫌味たらしい笑みは、もう久しく見ていない。あの顔だって、嫌いじゃなかったんだけどな。
 ◆
「――あの!」
 それは約束の休み、駅前まで出て新作を飲んでウィンドウショッピングをした帰り、いつものスーパーに寄って夕飯の買い出しをし、さあ帰ろうとしたときだった。急き込んだような大きな声に何事かと、私含め通行人が何人か声の方を向く。振り向いた先で立っている男性は、私たちの方を真っ直ぐ見つめていたので、私はそこでやっと自分への声掛けだったのかと気が付いた。男性の顔にも見覚えがある。ついさっきレジを担当してくれた店員さんだ。
「……なんですか?」
 万引きでも疑われているのだろうか。上げた声はそんな不安がそのまま表れていて、随分と情けないものになっていた。テレポートするとこ見られた? でも未払いのものなんてないし……。変わらず険しい顔の店員さんが大股で歩み寄ってくる中、エコバッグへと視線を落とし、レシートが突っ込んであるのを確認する。
 やけに切羽詰まった様子の店員さんは、私たちの前まで来ても無言のままだった。わけのわからない状況が落ち着かなくて、心臓が次第に早まる。
「――大丈夫だよ、シャンとしなさい」
 落ち着いた囁き声。そしてもうすっかり触り慣れた感触の指に繋いだ手の甲をすっと撫でられ、全身の強張りがゆるりと解れる。そうだ、ドラルクさんの言うとおり、別に後ろめたいことはないんだから。堂々としようと背筋を伸ばす。
「なんですか?」
 もう一度、今度はさっきよりしっかり尋ねた。店員さんは目を瞑り、固く引き結んでいた唇を小さく開くと、一度ゆっくり深呼吸する。「……あの」目の前の彼が目を開く。私が息を呑むのと同時に、私の手を握る力がなぜか強くなった。
「ぼ、僕と友達になってくれませんか」
「はあ?」
 ドラルクさんが私より早く――それもかなりあけすけに反応したため、私は何も言えなかった。あんまり不躾な声音に、店員さんには聞こえていないと分かっていても胸がひやりとした。ドラルクさんが私の手を後ろへ引きながら一歩前に出る。当然この一連の動きは、店員さんからは私が後退ったようにしか見えなかったため、彼は少しショックを受けたような顔になってしまった。慌ててドラルクさんを――虚空を振り払っていても変に見えないようにと注意を払った仕草で――を押し退ける。
「あ、おい、下がれコラ。こんなんただのナンパだぞ。無視しろ、無視」
「えー……と、友達、って言いましたっけ」
「はい、いきなりで怖がらせてしまうかなと思ったんですが……」
 なんで私なんかと……と困惑を素直に口にすれば、彼は頬を染めて話しだした。なんでも、ここ二ヶ月近く、突然毎日のように通い出した私がのことがずっと気になっていたのだとか。「一人なのにニコニコ野菜とか選んだりしてて不思議だけど、か、かわいいなって」照れくさそうな男性の言葉に、思わずドラルクさんと同じタイミングで唸ってしまった。そんな私の反応に店員さんが慌てる。
「もちろんお電話してるのはすぐ分かりました、耳につけてらっしゃいますし……でも笑顔がす、素敵だなって思ったのは事実で……」
「え、あ、どうも……?」
「残念でしたァ! この子にその素敵な笑顔を作らせてたのはこの私ですぅ!」
 ドラルクさんが凶悪な笑顔でべーっとしている。なにが残念なんだ。よく分からんマウントをとろうとすな。会話に集中できないからちょっと黙っててほしい。「きみもなにちょっと照れとるんじゃチョロインやめろ」照れてないしほんとうにうるさい。
「それで、どう、えと、……だ、だめですか? その、友達として連絡先とか……」
「んなのダメに決まってるだろ。早く仕事に戻りたまえ、まったく……」
「仕事、あ、えーっと…………い、いいですよ」
「はあ?!」
「ほ、ほんとうですか!」
 ドラルクさんの野次のおかげで、そうか彼はまだ仕事中なのかと気付く。仕事……この人は、行きつけのスーパーの店員さん。……てことは、ここで断ると気まずくて利用しづらくなってしまうのでは。家から一番近くて安いスーパーが使えなくなるのは普通に不便だし避けたい。これが本当に全然知らない人ならすっぱりお断りするし取り合わないんだけどな……。
「ちょ、は?! きみ正気か?!」
「友達になるくらい、別にいいですよ」
「は?! よくないよくない! 撤回! 撤回、解散!」
「や、やった、あ、待ってください、今Lineを……!」
 店員さんは慌ただしくエプロンのポケットから携帯を取り出す。性急な仕草で画面をタップする指は震えていた。私も片手で携帯を操作して、表示されたQRコードを読み取る。
「田中さん」
「田中です! よろしくお願いします!」
「は、面白みのない外見通りのつまらん名前、ッだあ?!」
「よろしくお願いします」
 しずしずと頭を下げながら、先程からグチグチうるさい男の足を踏みつけた。「業務終わりに連絡します!」と嬉しそうに言ってみせに戻って行く背中をぼんやり見送っていると手を強く引っ張られる。
「ドラルクさん?」
 呼び掛けても返事はない。引き摺られるように早足で家までの道を進む。ドラルクさんは、家の中に入っても、一言も喋らなかった。気まずい沈黙の中、買った物を冷蔵庫にしまっていく。
「……なにが『友達になるくらい』だ、私の時はあんなに渋ったくせに」
 やっと声を発したかと思えば、そんな詰るような言葉を投げられたので目を丸くする。呆気にとられる私からネギを受け取った彼の眉間には、濃い皺が刻まれていた。
「別に渋ってはないです。あの時はちょっと驚いたただけで」
「私だと驚くのにあいつなら驚きすらしないのか。ふーん」
 ふーん、へえ、そう。
 つまらなそうな相槌が繰り返される。な、なんでそんなじっとりした眼差しを送られなきゃいけないのか。浮気を咎められているような空気感に、悪いことをしていないはずなのになんだか罰が悪くなる。
「田中さんのなにがそんなに気に障ったんですか」
「全部。というか田中だけじゃない、簡単に友達になったきみにも怒ってる」
「はあ?」
 私がだれと友達になろうが、ドラルクさんには関係ないと思うのだが。何を言い出すのか、この人は。意味が分からず、さっきのドラルクさんみたいについ威圧するみたいな短い返事をしてしまった。けれどドラルクさんは怯まなず、どころか「いいか」と凄んでくる。
「男の『友達になろう』なんてただの口実だぞ。要約すれば『オトモダチから始めましょう』だ」
「ブーメランすぎません?」
「あの時の私は心の底から純粋に友達になりたかったのでノーカンですぅ」
「また都合のいいことを……まあたしかに、ちょっと口説かれてるのかな、とは思いましたけど」
「は? 分かった上でオッケーしたのか、きみ!」
 眉を高く吊り上げてひどく憤慨しているドラルクさんから、そっとネギを回収する。このまま持たせていたら真っ二つに折ってしまいそうだ。預かったそれを自分で野菜庫にしまう。
「悪い人じゃなさそうだったし、友達になるくらいならいいかなって」
「か、かるっ……?! こ、これだから最近の若者は! ただれとる!」
「同年代でしょうが」
 牛乳をしまい、空になったエコバッグをクルクルと小さく畳む。白い手が視界に差し込まれたのでボタンで留めてからその手の上に置くと、そのまま手を柔く掴まれた。金色の瞳にじいと見つめられ、声を出すのが躊躇われるような、言葉にできない漠然とした心地に苛まれる。逸らすこともできずただ口を噤んでいると、ドラルクさんも少し落ち着いたのか軽く息を吐いた。彼はやや目を伏せ、眉尻を下げ、上目遣いをするようにそっとこちらを窺う。
「……しばらくあの店で買い物しなくていいからね」
「いや、しますけど?」
 なんのために友達になったと思ってるんだ。避けたら本末転倒だ。一考もせず返せば、ドラルクさんは口元をひくりと引き攣らせたのち、がっくりと肩を落として額を抑えた。
「偏頭痛ですか?」
「お気遣いどうも。違うよ」
 エコバッグがひったくられ、ぐいと額に押し付けられる。その上からべしっと平手で叩かれた。

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