知らなければ寂しさになんて気付けない


 瞼の向こう側で世界が明るくなったのをうっすらと感じ、ゆっくり目を開けた。光源へと緩慢に視線をやれば、雲ひとつない青い空が視界に飛び込んでくる。あれ、なんで朝……。横になったままぼんやり窓を見つめていると、寄せたカーテンをタッセルで束ね終えたドラルクさんが、こちらを振り返った。
「あ、ごめん、起こしちゃったね」
「いえ……おはようございます」
「おはよう。体調は?」
「え? へ、平気です」
 よかった、と笑う彼になんともいえない違和感を覚える。身を起こし伸ばしていた足を曲げて布団――ドラルクさん用に最近買った布団だ。今は床に敷いて寝てもらっている――の中で膝を立てれば、ドラルクさんは空いたスペースに座り、「停電はね」と話し始めた。
「あの後すぐ復旧したよ。時間にして一分くらいだったかな。ああきみ、PCとかは平気? 充電してなかった?」
「してない、だいじょうぶ、と、思います。たぶん」
「そ。ならよかった。さて、なにか飲みたいだろう。珈琲? 紅茶?」
「じゃあ紅茶で」
 心得たと頷いた彼は、「顔洗っておいで」と最後に穏やかに笑ってから、キッチンへと向かう。類に見ない柔らかい態度に動揺して一瞬ぎしりと体が強ばってしまった。
 洗面所で顔を洗って、鏡を見ながら髪を触る。乾かさずに寝落ちてしまったはずなのに、乱れた髪は手櫛ですぐに整った。触った感触も、自然乾燥特有の軋みを感じない。髪を一束摘み、すりと指先で擦る。……え、まさか乾かしてくれた? 浮上した可能性をいやいや有り得ないでしょと笑い飛ばそうとする。しかし先程の、妙に世話焼きな彼を思い出すと、そうきっぱりと断言もできないような気がした。
 ついでに着替えてからリビングに戻れば、テーブルにティーポットとカップが置かれていた。あれ、カップの位置とかって教えたっけ。茶葉の場所も……。
「砂糖は?」
「いえ、大丈夫です」
 ドラルクさんが牛乳の入ったコップを持って座ったので、私も向かいに腰を落ち着ける。そういえばこの人、いつも牛乳飲んでるな。好きなのだろうか。お腹は空かないけど喉は渇くって、思えばちょっと不思議だ。ぼんやり考えながら、カップを傾けて紅茶を一口含む。スーパーに売ってる五十袋三百円の量産型ティーパックのはずなのに、自分で作るよりずっと味に深みがあって美味しかった。
「……あの、昨日はすみませんでした。布団使っちゃったり、……髪……? とか、他にもその――色々と、ご迷惑を」
 あんまりほじくり返したくはないが、しかし謝らない訳にもいかない。意を決して謝罪すれば、ドラルクさんは少し眉尻を下げて困った顔をした。
「なに、気にしなくていいさ。というかむしろ、こちらこそ悪かったね。約束、破ってしまった」
「約束?」
「『許可なく触らない』って。直前にもこの話をしてたのに、すぐ……舌の根も乾かぬうちだったろう」
「それは全然……むしろ触ってくれてありがとうございました」
「…………ドーイタシマシテ」
 私を安心させるために起こしてくれた行動なのだから、そんな気にしなくていいのに。私だって気にしていない。という思いでの謝辞だったのに、ドラルクさんはなぜか渋い顔をして、硬い声音のカタコトで返事をした。なに? 
「あー、しかしきみ、雷が苦手なのか」
「……はい」
 話題にだしてしまった以上、避けられないだろうなとは思っていた。苦い気持ちで紅い水面を見つめながら、次に来るであろう挑発の言葉を待つ。あんな反応をしておいて苦手じゃないと言い張るのは、無理があるだろう。絶対バカにされる。自分でもこの歳にもなって雷にガチビビりするのはどうなんだとは思っていた。
「――尚更すまなかった。無理に引き止めたりして。早く部屋に戻りたかったのだろう? ま、ああいう時は人といた方が安心できると思うからこれに関しては結果オーライといったところか」
「……えっ」
「なんだね、その反応。……まさか私が笑うとでも思ったのか? 思ったんだな?」
 じっとりと責める眼差しで畳み掛けられて閉口する。ドラルクさんは深々と息を吐き出した。
「別に笑いやしないよ。誰だって苦手なものの一つや二つあるだろう。……前も思ったけど、私のことなんだと思ってるわけ?」
「……他部署の上司くらいの距離感ならちょうどいい人だなと」
「ファー! 距離感『なら』! できれば関わりたくないですの婉曲表現! きみさては京都出身だな」
「違いますし京都出身の人に失礼です。それより、昨日なにか話したがってましたよね? その話しましょ。聞きますよ、私」
「うまく逃げたつもりか? 残念だが私の話の本筋は今の話とそう変わらんぞ」
 こほんと咳払いをしたドラルクさんは、ビシッと私を指差した。失礼。
「ずばり、我々にはコミュニケーションが足りないと思う」
「え、必要ですか?」
「そういうとこォ! いるだろうが!」
 彼のつり上がった口端がヒクヒクと震え、額に青筋が走る。「もうちょっと私に興味持ったら?!」意味が分からなすぎる発言に思わず私も「はあ?」と言ってしまった。
「だいたいきみ、私がいつ出ていくのかとかも全く気にしてないだろ」
「それは……まあ突然現れたんだから消えるときも突然だろうし、気にしたって仕方ないかなって」
「消える言うな。帰ると言えせめて」
 自分で幽霊説をあげたくせに細かい人だ。ドラルクさんはまた溜息をつき、疲れたように前髪をぐしゃりとかきあげた。やや鬱陶しげに横髪を片耳にかける。
「……きみの言うことも一理あると思うよ。でもだからってここまで徹底して交流を断つ必要はないはずだ。きみだって自分の家なのに過ごし辛いんじゃないか?」
 自宅だというのに心が休まってないというのは否定できなかった。図星を刺され、口を引き結ぶと、ドラルクさんは呆れたように肩を竦める。
「こんなことを続けるのはお互いの精神上不健全だ。……それに、いつ帰るか分からないからこそ、私はちゃんときみと関わりたい」
「……私に興味があるんですか?」
「ああ、そうとも」
 からかうつもりで言ったのにあっさり肯定されて目を見張る。ドラルクさんは揶揄や茶化しを一切含まない表情で、どこか挑戦的に私を見つめていた。
「会った翌日にもかかわらず薬を買いに走ってくれて、服や布団をわざわざ新調してくれて、冷蔵庫をほとんど使わずただのデカくて邪魔な箱扱いしてるくせに、牛乳だけは切らさないようにしてくれる、そんなお人好しなのに面倒くさがり屋な変わったきみに、私はとっても興味があるよ」
 口を挟む間もなく怒涛の勢いで挙げ連ねられ、困惑する。布団はほら、やっぱり来客用一式くらいあったら便利かなっていい機会だと用意しただけだ。その他のことにだって、別に大きな意味はない。
「私はきみのことを、真正面からちゃんと知りたい」
 言葉のとおり、ドラルクさんは真っ直ぐに私を見据えた。強い意志を持って光る金色の瞳にたじろぐ。私の事なんてそんなの、知ってどうするというのか。考えても混乱は深まるばかりで答えは出ず、ただ瞬きの回数だけが増えていく。そんな私に、ドラルクさんは仕方なさそうに口元で緩い弧を描いた。
「そんな深く考えることじゃない。要するにね、ただ私は、きみがいい人だから、友人になりたいなーって思ったんだよ」
 友人。友達。に、なりたい。そんなことを面と向かって言われるのは、多分はじめてだ。いやじゃない。うれしい、と思う。でもこういう時、なんて返せばいいのだろう。言葉を探して沈黙していると、ドラルクさんは悠然とテーブルへ肘をつき、組んだ指の上に顎をのせ、小首を傾げた。
「そう思ってはいけない?」
 いけないことはない。だって思うこと自体は自由だし、ドラルクさんの好きにすればいいだろう。そこの許可を私に求められても困る。それより今の一連の動きのほうが気になります。なんだそのあざとい仕草は。とにかくそう思ったので、「それはいいですけど」と返せば彼はにっこり――いや、ニンマリした。
「ああよかった、とってもうれしいよ! じゃ改めて、これからは友としてよろしく頼むね!」
「は?……えっ、いや今の別にそう意味じゃ――」
「それで早速なんだけど、これからは食事を作らせてほしいなって思ってるんだよね。ほら、友人が栄養失調に全力疾走していくなんて、友として看過できないだろう?」
「食事、いや私ほんとに食べなくて平気――」
「なに、安心したまえ。最初にも言ったと思うけど、私、料理は得意でね。今後は朝昼晩バランスのとれた栄養彩りともに豊かな食事を提供すると確約しよう」
「いや、だから――」
「そうと決まれば買い出しだね! 私実は少し試したいことがあるからちょっと協力してくれない?」
「えっあ、協力するのは構いませんけど――」
「ありがとう! なら出掛ける支度をしておいで。私待ってるから」
 サッと立ち上がった彼によってテーブル上の飲み物があっという間に片付けられる。呆気にとられて硬直していたが、やたら勢いの強い水の音にハッとして、数拍遅れで彼のあとを追いかけた。
「あの、ドラルクさん?」
 話しかけるも、水音で掻き消されてしまっているのか返事はない。ドラルクさんは、私へは一瞥もくれずに真剣に洗い物へと向き合っていた。よしんば声は聞こえない――いやそんなことある? この距離で? 水だしすぎじゃない??――としても、え、でも隣に人来たな、とか気配で分かるくない? コップを洗うのにそんなガチになることある?
 泡にまみれていく茶器やらをしばらく見守り、やがて私はこっそり肩を落とした。もういっか、なんでも。
「軽く化粧するので、三十分待ってください」
 どうせ聞こえていないのだろうけど、と思いつつ一応伝え、廊下へ向かう。歩いて数歩で、背後から響く水音が先程よりもずっと弱くなったような気がした。
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