嵐を呼ぶ風が吹く
改めまして、自己紹介を。
男が咳払いをして居住まいを正す。定規でも入っていそうなほどピンとした真っ直ぐな佇まいは、普段の几帳面さを窺わせた。私もつられて背筋を伸ばす。
「神奈川県警吸血鬼対策課、ドラルクと申します」
「県……あ、私は――えっ吸? は?……た、タイムで」
一瞬流そうとしたが無理だった。目を白黒させる私に、男――ドラルクさんは、「まあそうなるよね」と頷いた。
「この世界に吸血鬼はいないのだろう」
「いるわけない……というかこの世界……?」
「これまで私が生きてきたのは吸血鬼の存在する世界だったからね。いないというのなら、それは違う世界だと考えるのが自然だ」
煮え切らない気持ちで生返事をしておく。自然……? そうかなぁ……? いまいち納得が、というか理解ができない。吸血鬼、それに違う世界って。やっぱりこの人、ただのヤバい人なのでは。「信じてないな」密かに戦慄していれば、ドラルクさんはニヤリとギザ歯を見せつける。人相の悪さが一層際立った。
「いるわけないときみは言ったけれど、吸血鬼はたしかに存在する」
「……ドラルクさんの中では、というお話ですか?」
「んなわけないだろうが。きみだって会ったことがある――いや、会ってるぞ、現在進行形で」
「は?」
「……ま、正確には吸血鬼と人間のダブル、ダンピールだがね」
違和感はあった。鋭い歯や、尖った耳先。異様に白く、のっぺりとした皮膚。そういう設定なんですか、と尋ねようにも、言われてみればと納得できてしまう材料は数多くあった。それについ先に体験した無限ループを鑑みて尚『私にとってのファンタジー』の存在を否定するのは、些か往生際が悪すぎる気もする。
「……分かりました、信じます」
「それはよかった」
この短時間で何度も見たニンマリとした笑みもダンピールの特徴だったりするのだろうか。いや、これはただの癖かな。
「ところでドラルクさん、この世界のことやけに詳しくありませんか? 外に出られないのに吸血鬼がいないだとか知ってるし」
「最初に言っただろう、『探索させてもらった』と。テレビやら本やらを読めばだいたいのことは分かったさ」
「……本? 本棚って私の部屋にしかないんですけど……え、入ったんですか?」
ドラルクさんは無言で目を逸らした。つまり、YES。あの、最低限自分が過ごせればいいというだけの物が散乱した部屋に。勝手に他人が。居ても立ってもいられない気持ちが込み上げてきて、机に手をついて勢いよく立ち上がる。私の影の中で、ドラルクさんは焦燥とほんの少し後ろめたそうな顔付きで身を竦めた。
「……さ、最悪。えっ最悪! か、勝手に人の部屋に……なにが紳士ですか! 有り得ない!」
「ウッぐ、ッだからこれも最初に言っただろう御祖父様の悪ふざけかと思ったって! ここ自体まさか一般女性が普通に住んでる場所だなんて思わなかっッワアアああごめんなさい! 勝手に入ってすみませんでした! いやでももうちょっと整理整頓したほうがいいのでは?! せめてパジャマは畳むとか!」
ドラルクさんは「アッなんならこれからは私がやろうか?!」などと引き攣った半笑いで信じられない提案してくる。ポーズだけは私に怯えているみたく振舞っているが、その声音と表情には明らかに嫌味ったらしい挑発も篭っていて、つい「余計なお世話です!」と噛み付くように叫んでしまった。
「一回り以上離れてそうな男性に私物触られるなんてごめんです!」
「ひとっ……ハア?!」
青白い目元に朱色が差し込まれる。彼が憤って腰を上げると、衝撃で椅子が揺れた。高い位置から威圧的に見下ろされたが、アドレナリンがでているのかちっとも怖くなかった。これまでの余裕を分かりやすく崩した彼の態度に、むしろ胸がすく思いになった。さっきまで犯罪者とか思ってたのにこの変わり身。我ながらおかしい。
「私はまだ二十代なんだが? 二十代なんだが?!」
「ええ、うそぉ! とても同年代には全然見えませんでしたごめんなさぁい! 随分大人っぽいんですね〜!」
「〜〜〜っ、き、きみこそ、うら若き女性を自称したいなら身の回りのことに気を遣ったらどうかね? エ?!」
「それとこれとは関係ないでしょう!」
売り言葉に買い言葉で、お互いどんどん語気が荒くなっていく。なんでこうも熱くなってしまったのかって、まあ多分、所謂『深夜テンション』というやつだったのだと思う。
◆
しばらくどっちが悪いやらを言い合っていた。が、ほとんど同じタイミングで休戦を申し出て、ぐったりと席に座り直す。つ、つかれた。ただでさえつかれてたのに。
言い合いの中で分かったこと。それは、ドラルクさんはとんでもなくイヤミな性格で、家事はどうやら全般得意らしくて、老け顔なことを気にしていて、図星を突かれると紳士の皮を投げ捨てるような短気な人間(ダンピール?)で――そして、私と同じくらい体力がないということだった。これに関してはちょっぴり安心である。だってこれならなにかあっても武力さえあれば撃退できそうだ。有事に備えてスタンガンの注文をしとこう。
ある程度呼吸が整ったため、ガラガラの声で中断していた自己紹介を再開する。すると、やはり力ない声だったが、それでも「宜しくお願いします」と律儀に返された。……挨拶の時も思ったけど、こういう所はまともな社会人って感じなんだよなぁ。
「……ハア。じゃ、確認ね。――私がやるのはリビング、台所、廊下、風呂場の掃除。それから下着類を除いた衣類の洗濯。お風呂は借りるけど、最低限の水分を除き食事は摂らない。……ああ、それからきみの部屋にはなにがあっても絶対に立ち入らない。これでいい?」
面倒くさそうな調子で付け足されたのがやや気になるが、そこは気にしないことにしよう。彼の言葉を脳内で反芻しながら、「そうですね」と呟く。
同居生活。恋人との同棲はおろかルームシェアなどもしたことがないし、未知な部分が多く、正直現時点ではよく分からない。光熱費やら水道代やらが若干増えるのだろうが、たかが一人だし、そんな目くじらを立てて気にするほどでもないだろう。むしろハウスキーパー代と思えば安すぎるくらいだ。……あれ、そうするとこれ、かなり割りに合ってないんじゃないか? なんだか詐欺でもしている気分になったので罪悪感を軽減させようと給金の提案をしてみた。が、鼻で笑われた。いちいちムカつくな……。
「きみ、たった今知り会ったばかりの成人男性と同居しなきゃならない状況って忘れてるでしょう」
「あっ」
「そんなんでよく今まで生きてこれたねぇ……」
出来の悪い子どもへ対するような眼差しに、しまいかけていた苛立ちがむくりと胸の内で芽を出す。たしかに今のは間抜けでしたけど。でもその間抜けさに救われてるんだからもう少し感謝してほしい。いや間抜けさに感謝するってなに? ある種の侮辱かな?
「とにかく賃金も不要。以上だな。……料理は本当にやらなくてもいいのかね?」
「はい。食べない人にお願いするのもしのびないので」
「趣味みたいなもんだし、気にしなくていいのに」
素敵なご趣味だ。のわりには不健康そうな顔色だけど。幽霊(笑)だからかな。ぶっちゃけ彼の提言している幽霊説は、まだあまり本気にしていなかった。異世界からやってきたということや、吸血鬼の存在とやらなら認めるけど。
「私も基本的にあまり食べないので」
朝か昼のどちらかを会社でとって、夜は食べずに寝ることが多い。お風呂にはいって髪乾かして……としているだけでもう精根尽き果ててしまうからだ。そうやって食べないから体力がつかないといいう負のループに陥っているのも分かっているんだけど。しかしどうしても目先の欲、目先の睡眠に飛びついてしまう。
「えー……うぅん、いや、それ……」
ドラルクさんが物申したそうな面持ちで口を動かしかけた。褒められた生活習慣でない自覚はあるので、説教でもされるのかと少し身構える。しかし彼は溜息とともに「分かった」と言っただけだった。
「じゃあ最後に、私の寝る場所なんだけど。ソファを使わせてもらっても?」
「構わないですよ」
まあそこ以外ないだろう。この家にある唯一の個室は私が使っているし。この前洗濯したばかりの毛布もあるのでそれを使ってもらおう。
その後風呂場の使い方やタオルの場所などを軽く伝え、一度買って以来着心地が気に食わず使っていなかったダボダボのトレーナーと、昔部活で使っていたジャージを押し付け、それじゃ、と言い捨てて自室へ逃げ帰る。私は朝入ろう。他人が使ったすぐあとってなんかいやだし。……あ、下着は渡してないな。しょうがない、明日買いに行くか……。服もパジャマと普段着一式くらいは必要だろう。あのスーツ、なんだかすごく高そうだったし。高性能ルンバとか言ってたけど、本当にルンバなら着替えとか要らないのに……。セールスポイント、早くも瓦解してるじゃん。
ジャケットを放って布団に飛び込み、ちらりと部屋の戸口を見る。この部屋にも鍵がついてればよかったのに。いや、さすがにそれは高望みし過ぎか。
「だってここ、家賃八千円だもんなぁ……」
今回のも、一種の怪奇現象なのかも。
とろとろとした眠気に足を掴まれながら、そんなことを考えた。あー、メイク落とさなきゃ……。
◆
昼になる直前で目が覚めた。ので、セーフ。まだ朝。私は早起き。そう言い聞かせながらリビングに併設されたキッチンへ水を取りに行く。ついでにソファのほうをそっと伺って耳を澄ませると、規則正しい寝息が聞こえた。意外にも寝汚いらしい。興味本位で近付き、毛布で隠れかけの顔を覗き込む。あ、前髪下ろしてると若くみえるかも。でも眉間に皺が寄ってるからちょっとだけだな。
不意にドラルクさんが小さく呻きながら狭いソファの上でもぞもぞと動く。視線が鬱陶しかったのだろうか。気配に敏感な人なのかも。私は慌ててソファから離れ、また忍び足で廊下を進み、洗面所へと向かった。なにはともあれ、今はお風呂だ。顔面が可哀想なことになってるから。
◆
大型量販店で適当な服を見繕ったりとしていれば、帰宅する頃には十七時になっていた。こういうのは大体Mサイズでいいのだ。……パンツはちょっと丈が足りなそうだけど。私より頭一個分以上違う身長を思い出す。Lにしとけばよかったかなぁ。もし文句言われたらしょうがないから買い直そう。うるさくされるのはいやだし。
帰宅して扉を開くも、家の中からは、物音一つしていなかった。いや、そりゃ一人で騒いだりしないだろうけど。でもこの感じ、カーテンも閉じっぱなしなんじゃないか? 不審に思いながらリビングへ向かう。
「……え、まだ寝てる」
静かで薄暗い室内に、私の呟きが回る。ソファに横たわったドラルクさんは、顔をやや厳しく顰めて、こんこんと眠りこくっていた。寄った眉根もそうだし、体勢すら出掛けと変化がないように見える。寝たのが一時過ぎだとしても、もう十六時間は経過している。さすがに限度があるのでは。
――『偏頭痛持ちだけど……』
ふと彼の言葉を思い出す。もしかしたら、体調が悪いのかもしれない。薬かなにか……いや、こういう場合ってちゃんとかかりつけ医に処方して貰ったやつじゃないとだめなのだろうか。戸惑いながら、もう一度彼を見下ろす。顔色が悪く見えるのは、室内が暗いせいか、ダンピールという性質故か、それとも――。
荷物を置いて、財布と鍵だけ持って家を飛び出す。案ずるより産むが易し。一番近くのコンビニに駆け込んだ。
◆
「おかえり〜」
明るいリビングで、ソファの上で膝を抱え、堂々とテレビを見ながらのけろりとした挨拶に拍子抜けする。なに勝手にテレビつけてんだ。別にいいけど。いいんだけどなんか……なんか釈然としない! 遠慮とかないわけ、この人。こういうところが偉そうというか気に食わないというか。ていうか私、すごい急いで帰ってきたのに。なんだよおい。上がった心拍を整えるための呼吸に、安堵の溜息をひっそり混ぜる。
「あ、コンビニ行ってたの? ていうかそこの荷物なに?」
「……そこのはあなたの服とかです」
「服? え、わざわざ?」
「ええそうです、わざわざ買いに行きました。だってほら、とーっても必要な衣類があるでしょう」
暗にお前今ノーパンなんだろと告げれば、ドラルクさんはぴくりと眉を動かした。
「それはそれは。お気遣いどーも。有難く使わせてもらいますよ」
「そうしてください。それから」
話している限り、至極元気そうだ。余計な心配だったのかも、と尻込みして言葉を途切れさせると、彼はきょとんと瞳を瞬かせた。
「それから?」
「……一応これも渡しておくので、もし使えるものがあれば使ってください」
「なにこれ? くれるの?」
罰が悪く、顔を見ずにレジ袋ごと渡す。「頭痛薬?」ガサガサという騒音ののち、ややあって上がった驚いたような声にまた気まずさを覚えた。
「しかもこんなにたくさん……経口補水液、スポーツ飲料、ゼリー……えっお粥?! なんでお粥なんて買ったんだ?! もったいない、言ってくれたらそれくらい作るが?!」
「だ、だってすぐ食べれたほうがいいかなって!」
「そんな腹ぺこならせめてもっと違うもの買えばよかったじゃないか?!」
「別に私が食べたかったわけじゃないです!」
「ハ?! なら私用?! 尚更意味が分からん、なんで――……」
言葉の途中だったが、理由に察しがついたのだろう。はたと、大きく開いていた彼の口がおもむろに閉じていく。彼は狼狽した様子でもう一度袋の中身を改めた。
「まさか、私のため? 私が体調を崩していると?」
「……そうです。だってずっと寝てたから……偏頭痛持ちとか言ってたし……」
「……それで一度帰って、また買いに行ったの?」
どこを気にしてるんだと疑問に思いつつ頷くと、彼はさらに目を見開く。前髪の奥から覗く瞳が、ほんのり揺れていた。前髪が長いから、下手すると目に入ってしまいそうだ。
「そんなに焦って?」
「え、別に焦っては――」
「やたら意気込んで帰ってきたじゃないか。息だって上がってたし」
図星を刺されて口を噤む。どうもこの人は観察力に優れているらしい。やだな、バカにされて、からかわれそう。けれどそんなひねくれた予想に反して、ドラルクさんは戸惑いがちに口を開いた。
「仕事が仕事――吸血鬼の活動時間は主に夜間だから、我々の仕事も昼夜逆転することが多いんだ。だから非番の日も日中は寝がちで……だから、えっと……別に具合が悪かったわけじゃない」
「そうなんですか。……笑いたければ笑ってどうぞ」
「笑わないとも。……あの、ありがとう」
「……どういたしまして」
なんだろう、この空気。反りが合わないと思っていた隣の席の男子が、実は好きな本が同じだった――みたいな、小学校時代のあの感覚を彷彿とさせるような、この謎の空気は。
妙な気恥しさを霧散させるため、「冷蔵庫入れておきますね」とゼリーやらが入った袋を、大袈裟に音を立てて持ち上げた。「ねえ!」水をしまったところで声をかけられ、振り返る。ソファからこちらを見るドラルクさんは、ニンマリとした例の笑顔を浮かべていた。
「お粥の作り方、教えてあげようか?」
本当に懐かしいなあ。好きな本は同じだったけど、好きなキャラは勇者と魔王で、結局派閥が違った――みたいなこの感覚。
「お粥くらい作れます!」
焦ってただけじゃと独りごちながら、冷蔵庫の扉を乱暴に閉じる。「あ、そう……」ニヤニヤしていたはずのドラルクさんは、なぜか微妙な顔をしていた。
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