第三夜 見つめ合いましょう
二度あることは三度ある。だから私は、緩慢に瞳を持ち上げた少女を見ても、もはやそこまでの驚きや衝撃を受けなかった。だって夢だし。内容はかなり変だけど。どらどらちゃんは目の前にいた私の姿をみとめてぎょっとしていたが。
「おはようございます」
「……おはよ」
虚無と評するに相応しい色で沈み込む瞳のどらどらちゃんに、なんとなく敬語で挨拶をする。挨拶、大事。呑気な私に、彼女は軽く溜息を吐いた。彼女が起き上がるのに合わせ、私も身を起こす。
「VRCには行ったかい?」
「え? 行ってない」
「きみねぇ」
呆れた眼差しにぐさぐさ刺され、へらりと笑って誤魔化す。V……そういえばなんか言われたような気がしないでもない。でもなにそれ、病院の隠語? あとついでにいうとヘッドスパも行ってない。さてはその件で拗ねてるな、脳みそちゃん。
「御祖父様に軽くみてもらったけど私の方はなにもなってないみたいだし……だから能力をかけられたのはきみだと思うんだが」
「どらどらちゃんのお祖父様はお医者さんなんだ?」
「医者? 医者ではないけど……まあ万能マンではある。なにせ真祖だしね」
なんの? ピースした指をぱしぱし鋏のように動かす彼女に内心で首を傾げながら、とりあえず「そうなんだ」と話を合わせる。超つえ〜ってことだろう、つまり。
「とにかく、一度ちゃんとみてもらいなさい! きみだって新横市民なんだろ? たっかい税金払ってるんだし、できる限り利用しとかなきゃ損だぞ。サイコだけど有能ではあるんだからな、あいつ」
「ん……そうだね」
ビシッと指を突きつけられたので相槌を打ちながら眉を下げる。どらどらちゃんの言うこと、ちょこちょこ分からないんだよなぁ。『どらどらちゃん』についてググることも当然のように忘れていたため、世界観の把握ができていない。たしかに私は新横市民ではあるけれど……。サイコって何の話だろ。この子、お医者さんのことをサイコだと思ってるのかな。すごい尖った偏見だ。注意するべきか悩むレベル。まあ結局この子は私の脳が動かしているキャラだしそんなこと言っても無駄な気は――ん? つまり深層心理では私がそう思ってるってことになるのか? あれ? うわ、なんかこんがらがってきたな、一旦置いておこう。私は考えるのをやめた。
話の主題は病院。つまり検診だ。幻覚にここまで病院を勧められるとは。もしやなにかしらの警告だろうか。健康診断では特になにもなかったはずだが、なんか急に怖くなってきた。拗ねてるとかじゃない? 真面目にやばいのか? 私の身体。ようやっと危機感を覚え、ざあっと血の気が引いていく。どらどらちゃんは険しさを緩めた相貌に苦笑を浮かべ、やや頭を傾けた。
「まあこれは寝てるときにしか作用しないようだし、日中に害もないからつい後回しにしたくなる気持ちも分かる。でも結局これはきみのためでもあるんだ。いつやられたのか分からないなら、尚更きちんとしたほうがいい」
ぐうの音もでないド正論。教師が生徒を諭すような言い回しだった。いやでも結局私の脳が動かしてるんだよね、この子……なに言わせてるんだろ、私。
情けなさというかなんとも言えぬ虚脱感に襲われ瞳をそっと泳がす。その先でまた例のカードを見つけた。これ幸いとカードへと逃げる。
「またなにか指示が?」
「うん。『手を繋ぎましょう』、だって」
「え、また?」
ぽかんと口を開ける彼女へカードを渡す。「ほんとだ」そう呟いてもなお、どらどらちゃんは腑に落ちていなさそうだった。
「ええ? でも被るなんてことある? こういうのって普通はだいたい――なんでもない今のなし忘れて別にそういうことに造詣が深いわけでは断じてないので」
「? とりあえず繋ごっか」
「はい」
手を伸ばしあって、いざ触れ合う――という直前で同時に止まる。私が手のひらをだしていて、彼女がその上に自分の手を乗せようとしていた。でもこれじゃ――ただ普通に繋ぐというだけでは、前回はだめだった。多分、求められているのは――。
彼女も同じ考えに至ったらしい。言葉なく視線を交わし、お互い少し手首を返し、如何にも『恋人らしく』指を深く絡めた。整えられた赤い爪が私の手の甲に並んでいる。瞳だけで彼女を窺うとあちらも私を見ていて、咄嗟に逸らしてしまった。
「……なんなんだろうね、これ」
「ほんとにね……」
なんだか妙に気恥ずかしいというか、いやそれよりも一番はなんだこれ……という感情から自然と言葉数が少なくなってしまう。気まずい沈黙が横たわる。前は繋いで一、二分くらいだったのに今回は随分と長い。まだ? 落ち着かない心地になり、手を繋いだまま居住まいをもぞもぞと正す。ベッドが舟のようにゆらゆらと振動した。
「……なんか今回長いね」
「うん……え、増えてる」
「えっ?」
「カードの指示が……いつの間に」
どらどらちゃんは空いた手で放ったカードを持ち、読み上げた。
「『手を繋いだまま、見つめ合いましょう』。……ファ〜? 先に言え〜?」
「後出しジャンケンばっか……」
前といい、そういうことは最初からしっかり記載しとけよなぁ。二人で顔を顰める。まあ元凶は私の脳なんですが……。
「はーっ、じゃ、やるか……今回はどのくらいだろうな」
「『見つめ合う』ってあるくらいだから長そうだよね」
「んとに、わけわからん……」
ふう、と小さな唇から憂いの息を零した彼女は、キッと気合いをいれるように眉根を寄せて、ルビーのような瞳をこちらへと真っ直ぐに差し向けた。唇を突き出す仕草も相俟って、なんだか小動物じみている。ほんとこの子、見れば見るほどかわいい。眼福。我が脳ながらすごい。だって見てほら、下睫毛まで紫みがかって艶めいている。マスカラっぽくはないし、きっとこれが彼女の地の色なのだろう。その肌の透き通りはスキンケア? それとも若さですか? 美少女をこうして正面からじっくり拝める機会なんてそうそうないから役得というか、ほんと見れば見るほど同じ生き物とは思えないなっていうか…………なんか無性に自分の顔隠したくなってきた。
でもそうするわけにもいかないので、気を抜けば揺れそうになる目に力をいれる。そうだ、なにか話そう。他のことに意識をやれば、少しは気が紛れるかも。
「そういえばさ、どらどらちゃんって何歳なの?」
「二百八」
「……あっ、そうなんだ」
「なんだねその間は」
「いや、えーっと……そう(いう設定)なんだなぁって思って」
「そうとも。とっても畏怖かろ?」
「畏怖? そうだね」
やっぱりいまいち話しづらいな……。噛み合わない。自分が作ったものとはいえ、幻覚とコミュニケーションをとるのはやはり無理があったのかもしれない。私の幻覚なのに、ままならないものだ。
「なんだ、パッとしない反応だな。新横の高等吸血鬼の中でもそれなりに時代を跨いでる方なんだが」
「高等吸血鬼……?」
「おや、きみの周りにはいないのかね」
「……うん、まあ……」
当たり前じゃん、と言いたくなったが堪えた。二百歳まではいってないが、私もいい大人なので。当たり障りない反応で曖昧に流す。「ほー!」どらどらちゃんがやや高めな感嘆の声をあげた。
「珍しい。一人も? ゴキブリ並にいるのに、この街」
「ゴッ……私が気付いてないだけかもねぇ」
たしかに二百八歳の吸血鬼という設定ならば、この容姿から紡がれるには違和感があるくらいなどこか男性っぽい喋り方にも納得がいく、かもしれない。……ほんと、そんな漫画の存在なんてどこで仕入れたんだか。脳みそって不思議。私の知らないことまで知っている。
「それはあるかもしれんな。ていうかそうだろ、きっと。きみ、結構ぼんやりしてるから。……最初に言ったこと覚えてるか?」
「え?……ああ、もちろん! 絶対行きます」
病院の話だろう。一瞬なに? と思ってしまったけれどちゃんと覚えている。なにせ脳からのSOS。命の危機。胡乱げに釘を刺してくる彼女に大丈夫だよと笑ってみせると、どらどらちゃんも満足そうに「よし」と相好を崩す。私のお粗末な脳が創り出したとは思えないほど繊細でかわいらしい、パッと華が咲いたようなその微笑みに、私はちょっとだけ面を食らってしまった。
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