第五夜 抱き締め合いましょう
「そういえば――どらどらさんってお呼びしたほうがよろしいですか?」
「急に距離。いいよ、別に。私が畏怖いのは分かるけど」
今夜も今夜とて、我々は謎部屋に強制収容されています。お手手を繋いでの見つめ合いミッション中、ふと思ったので聞いてみたが、不要な気遣いだったらしい。聞いた身ではあるが、私も今更かなとは思っていた。一応の確認だ、年長者への礼儀として。しかし『畏怖』って単語、この子――いやこの人……ん? この吸血鬼?――との会話での頻出ワードだけど、これって日常生活でそんな使う? 吸血鬼的には普通なのかな。
「じゃあ改めてよろしくね、どらどらちゃん」
この不思議な夢がいつまで続くのかは分からないけれど、せっかく出逢えたんだし。一期一会だ。私は笑顔で前回言いそびれてしまった挨拶を口にした。
意味の分からなさが一周回って現状に対する危機感はもはやあまりなく、むしろ少しわくわくしていた。だって吸血鬼、異世界、夢の中。なんかもうすごい。そうそうできない異文化コミュニケーション。ワールドワイドすぎる。あとは今のところ現実世界の方にはなにも影響がでていないというのも大きい。害がないなら楽しまなくては。
「……ん、よろしく」
しかし私の呑気な浮かれ具合に反し、返ってきたのは心ここにあらずなぼんやりとした声色だ。私と視線が交わると、彼女は困ったように口を噤んで少し眉を下げた。
「アー……あの……その、私――」
「あ、追加きてウワッまたこっ……あっごめん今何か言ってた、よね? なに?」
「……いや、やっぱなんでもない」
彼女は「気にしないで」と言いながら軽く肩を落とした。……既視感だ。こういう、言いかけてやめる、みたいなことを彼女はよくやる。気を遣わせているのだろうか。それが本当に言いたくないことなら言わなくてもいい。けれどもし私になにか遠慮をして言葉を飲み込んでいるならそれはイヤ……というか少し寂しいかも。だって私はせっかくなら彼女と仲良くなりたいと思っているのだし、できることなら彼女にも同じ気持ちでいてもらいたかった。 変な我慢はさせたくないし、もっと言えば嫌われたくない。かける言葉を探しながら口を開く。どらどらちゃんにもこの空間を楽しんでもらえたら――私と過ごすことが楽しいなって、そう少しでもいいから思ってもらえたら、嬉しいんだけど。
「ね、どらどらちゃん。あのさ……」
「ん? ていうか追加指示ってなんだったの? またキス?」
「キッッちがっアッや、ちがわな、けど――う、うぁ……」
「分かりやすくて助かるよ」
ろくな返事ができなかったがそれでも充分過ぎるほど伝わったらしく、彼女はいたずらっぽく口元を綻ばせた。前も思ったけどなんでそんなサラッと言えちゃうの。事の重大さを分かってる? キス、キスなのに。これが年の功なの? 経験豊富? やっぱ二百歳超えてるって言うし、そういうことなのかも……。ていうかあれ、いま私なにか言おうとしてなかったっけ。だめだ、もう全部忘れた。
カードを持ったままの手にぬくもりが添えられる。白い手の主がなにをするつもりなのかは、さすがにもう分かっていた。流れを汲めていたので、指の付け根辺りに軽く口付けを落とされても、前回ほど動揺しない。……身体に多少力が入ったくらいは許してほしい。
君の番だよというような眼差しに当てられたので、私も彼女の行動を辿々しいながらもなんとか真似る。無事任務を達成し、顔を充分離してから止めていた息を吐き出すと、彼女は呆れとも憐憫ともつかない目をした。
「機会があれば吸血させてくれない? 二百ミリリットルくらいでいいから」
「なんで突然吸血鬼っぽいこといいだしたの?」
「ぽいじゃなくて紛うことなき吸血鬼なんだが」
脈絡のない唐突な吸血鬼アピール。本当に血を飲むんだ……。座ったままお尻を後退させ、ちょっとだけ距離をとる。……やっぱ人間、じゃ、ないんだなぁ……。でも今のやり取りのどこに吸血欲をそそられたのかさっぱり分からん。いきなりお腹空いちゃったの? けれどそんな疑問や、それから一抹の恐怖心よりも、ファンタジーすごいという好奇心が勝ってしまったので、私は「考えとく」と答えながら、もう一度カードへと視線を向けた。
「考え――エッほんとに? いいの? え? 本気?」
「いや、まあ、もし機会があればね。痛いなら心の準備とかしたいし……それよりほら、次きたよ」
文が書いてある面をひっくり返してどらどらちゃんにも見せる。相も変わらずな濃いピンクで綴られた『抱き締め合いましょう』を見て、彼女の赤い瞳がぱちりと一度瞬いて細まる。愉悦の色が湛えられた瞳はキラキラと揺れていた。「なるほど?」わざと作ったような声音を紡いだ彼女の口が、うっそりと上がる。
「初心なお嬢さんにはハードルが高いですかな?」
「……お気遣い痛み入りますわ。でもご心配なく!」
「わっ」
なんとなく口調が釣られてお嬢様みたいになった。膝に力を込め、マットレスの反動を利用して勢いよく目の前の彼女へと抱き着く。一応加減はしていたので彼女は倒れることこそなかったが、それでも後ろへと大きく揺れた。抱き留めることで引き止めながら内心で慄く。きゃ、華奢〜! なにこの細、ていうか薄さ。内臓ほんとに入ってる? そのくせ絶妙に柔らかくてふわふわしてるの、なに? どうして? 人体の神秘? ヒトじゃないけどさ。でもこのまま鯖折りできちゃいそうだな……。耳のすぐ横から「死ぬかと思った」という呟きが聞こえたので、首へ回していた腕の力を慌てて弱める。
「ごめん、痛かった? どこかぶつけた?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……しかしきみはまた、変なところで思い切りがいいな」
「このくらいなら友達同士のスキンシップの範囲だから、ついノリで」
「ああ、たしかに。友達同士でキスはしないものな?」
クスクスと面白がりながら、どらどらちゃんは揶揄うように私の背中をポンと軽く叩いた。この子、会うごとに意地悪になってる気がする。随分と愉しそうだし、こっちが素なのだろう。心を開いてもらえてるみたいで嬉しいけど、この手玉に取られてる感じちょっと釈然としないな……。遊ばれてる……。見た目が幼い分、余計もやもやする。
望み通り仲良くなれてる証拠のはずなのになんだか素直に喜ぶことができず、私は見えないのをいいことに年甲斐もなく唇を尖らせる。少しだけ力を抜き、彼女の肩に体重を預けた。後ろ髪からか、可愛い子特有の甘いべっこう飴のような匂いやお花の芳香がふわりと香ってきて鼻腔をくすぐる。と、同時に、燃え尽きた灰塵や、仄かな鉄の匂いも嗅ぎ取ってしまったため、彼女に気付かれないくらい小さく息を呑んだ。
「……じゃ……おや、すみ」
「うん、ま、た……」
吸血って、やっぱ痛いのかなぁ。
抱き締めあったままの体勢で、私は睡魔に任せて瞼を下ろした。
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