あの花火の日から、私は明確にこの世界との境界をひいた。

正確には来た当初と同様に、周りのものや人とあまり関わらないよう殻に閉じこもった。
私は忘れてしまっていたのだ。この世界に来た時の心細さや恐怖を。

それは主に未知のものに対してだったけれど、先の未来に対してもだったのだ。
この世界を知れば知るほど、元の世界の記憶が薄れて上書きされていくような気がしていた。
実際、よく使う千円札などの貨幣はもう元の世界の物の方を見ると、違和感を覚えてしまう。

―――― 働き始めて、最初に感じた恐怖だった。

周りに溢れるもの、街並みやテレビ、本、何から何まで全て。
元の世界と似ているけれど、違うとはっきり断じていた違和感が、だんだんと薄れていく恐怖。

思い出も、そうであれば違ったのかもしれない。
元の世界の携帯電話には、家族や友人とのやり取りの履歴も、ふざけて撮った写真だって全部残っている。
たいした思い入れもない、些細なものも、見れば涙が溢れそうになる。
この世界に来た日で止まっている時間表示は、取り残された自分のようで。


変わりたくない、と思っていた。その時間のまま、何も変わることなく帰りたかった。

そう、思っていたのに、どうしてだろう。
中原さんといるとそう感じなかった。

最初に好奇の目を向けられなかったからかもしれないし、あるいは単に自分の殻に閉じこもり続けるのに疲れていただけかもしれない。
彼に惹かれてしまった今となっては分からないけれど、彼といると元の世界と同じように当たり前の日々を過ごせたから、忘れてしまった。

―――― だけど、忘れて良い筈がない。
私はあの時に、元の世界に帰るのだから。

たとえ、この恋が叶ったとしても、すぐに待っているのは永遠の別れだ。
元の世界に帰れば顔を見ることも、声を聞く事さえできない。


だから、このまま一緒にいれば、つらくなっていく。

彼との思い出はそれだけで忘れたくないものばかりだ。
彼がくれたCDで眠れた日。意外と子供っぽい照れた仕草。花火で照らされた優しい横顔。
もう二度と、重ねていくことのできない思い出になってしまえば、それだけでつらい。
そのすべてがきっと、近い将来わたしを苦しめる。


―――― だから、どうかもう私の心にはいってこないで。

このままだと、取り返しがつかないところまできてしまう気がした。
だから無責任だけど仕事はやめてしまった。彼はあそこの常連だから顔を合わせないなんて出来ない。
本格的に引きこもりはじめた私に、太宰さんは何も云わなかった。
……いや、云われたのは謝罪だった。


「止めてあげなくて、ごめんね」

太宰さんは人の機微にひどく敏感だ。
私と暮らし始めた時だって、きっと彼は見抜いていた。

いつか、こうなる事を。
二重の意味で打ちのめされた私は、この想いを死なせることだけ考えるようにしていた。


そうして過ごせば、もう夏は過ぎ去り秋も終わりそうだった。
そして、そのままゆっくりと、すぎゆく中で私の想いは死んでいくはずだった。




現実はいつだって君のそば



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