あの光景を見てから早く元の世界に帰らなければ、と焦る気持ちは空回るばかりだったが、
少し前に耳にしていた『望んだ場所に移動できる異能力者』とやっと渉りをつけることができた。


そうして、今日、私は元の世界に帰るのだ。


人気のない待ち合わせ場所には一人の男、かの能力者がいた。
事前に告げた行先には驚いていたようだが、真実嘘偽りなく彼には元の世界の所持品なども見せて証明をしてみせた。
本当に上手くいくかは不安だったが、曰く今迄彼の能力で行けなかった場所はないらしい。
失敗は、 ―――――― おそらくないだろう。


待ち合わせ場所に向かう私の足取りは何故か、とても重い。
此処に来るまで、私は決して消すことの出来なかった電話番号を何度も眺め、彼とよく行った場所にも足を向けそうになってしまった。

此処にきてまで何時までも女々しい自分に自嘲する。




「本当にいいのですか?」
男が最後の確認をする。

「……はい、私、訳も分からず、この世界に来て、」

大変だった。けれど ――― 今、頭を占めるのは、……。
これ以上想ってしまったら私は帰れなくなる。だから、


「だから、早く、早く、帰らないと……」


「帰らないと……何だ?そんなに会いてえ奴でもいるのかよ」

温度のない声にひやりと背筋に冷たいものが走る。
ここに居るはずもない声が、忘れられない声が、聞こえる。

追いつかれてしまった。何故か直感的にそう思った。



「ようやくかァ、長かったぜ。
一日千秋の想いってやつか。なあ?なまえ」

コツン、コツン、と後ろから彼が近づいてくる足音がする。
ゆっくりと振り向けば、あれ以来見ていなかった中也さんがもう私のすぐ傍まで来ていた。


「俺に何の連絡もなしとは水臭いぜ?俺と手前の仲じゃねえか」

一応、待ってたんだぜ、と笑う彼の瞳は表情とは真逆の冷たく鋭い威圧感をはなつ。

つい数分前までは会いたくて仕方なかったはずなのに、いつもとは違う彼の雰囲気に気圧される。



「おい、もう下がっていいぞ」

中也さんの言葉に能力者の男がはい、と短く答え去っていく。


「っえ?……ど、どうして、待って…」

男に向かってあげた手を横からガッと掴まれ、引っ張られる。

「なまえ」
今迄聞いたことのない低い声が私の名を呼ぶ。


「俺に、何か云うことがあるだろ?」


「……っ、…………」
グルグルと感情が渦巻いて、私は口を開けても一音も発することができなかった。

「…………だんまり、か」
はぁ、と溜息を吐きながら「最後のチャンスの心算だったんだがな」と中也さんが小さく呟く。


「なら、俺が手前に関する答えを云うぜ?……それとさっきの奴は能力者じゃねえ。俺の部下だ」

その言葉に目を見開く。何が起こっているのか、混乱のせいか上手く把握が出来ない。

「手前の身元は何も出てこなかった。………手前に逃げられてから、それで考えられるものを虱潰しにしていった」

私の手を掴んでいるのとは逆の手で不意に、顎を掬われる。

「手前には整形の痕もなかったし、念のため、闇医者どもにも聞いて回ったが何も出てこなかった。
てぇことは顔や姿を変えて変装している訳でもねえ」


「可能性としてはいくつかあるが、経歴を洗浄されたのが一番濃かったんだがな」


「何処かの家のご落胤で隠されていたか、あるいは俺達とご同業の奴らの関係か……
全ての可能性を探して、潰して、網を張って、を繰り返した」


「その中で手前は今回の『望む場所へ行ける異能力』に反応した」


語られていく言葉に、蓋をした感情がふつふつと煮詰まっていくのを感じた。


「手前は金を闇雲に貯めている素振りもなかったしな。
金で行けるような場所じゃねえのは判っていたが……」

「然し、異世界だとは流石に予想がつかなかったぜ」


「ま、納得はしたがな」と告げた彼についに私の感情が爆発する。

「………!、そこまで調べて判っているなら、どうして!止めるんですか!」

感情のままに声を荒げる。八つ当たりのようだと自覚していても止められない。

「私と貴方じゃ、生まれた世界も住む世界も何もかも違うんですよ!上手くいきっこない!
私は元の世界に帰らなくちゃいけないんです!」

涙がいつの間にか頬をつたって落ちていく。その感触にさえ苛立つ。
そうだ。判っているのだ。彼と私をつなぐものなど、何もない。
この数か月で実感していたはずなのに、言葉に出すと否応なく自覚させられ、胸を滅多刺しにされたような痛みが走る。



「なんで、そう云い切れる?……勝手に上手くいかねえとか決めつけんじゃねえよ」

「仮に違う世界の人間同士が上手くいかないとしても、俺と手前の関係も上手くいかねえなんて如何して云える!」

中也さんも私につられたように声を荒げてくる。それにわずかに怯む、…… が 

「決まってます!……私は、絶対に帰ります。帰らなくちゃいけないんです。
中也さんとずっと一緒にはいられませんし、いるつもりもありません!」

そうよ、何を怯んでいるの。いつか終わりが来るような関係に縋って、帰る機会を逃したりなんかしたら目も当てられない。

それで、……それで中也さんとお別れなんかしたら、きっと私は生きていけない。無責任なのは中也さんだ。

「っそれに本当は、ずっと、ずっと……」

一緒にいたい。今でも好きだ。けれど、その言葉は絶対に云わない。

「マフィアなんかやってる中也さんの事なんて…」

徹底的に遠ざけて、傷つけなければ、離れられないなら、
私は ――


「大嫌いです!」



「…………」
私の勢いに面食らったのか中也さんは黙った。

数秒の沈黙が流れるが、何故か底冷えするようなものを感じ身震いする。

 ―――――― 空気が変わる。

「………そうか、嫌い、か。もう嫌われてんなら、」

「……遠慮はしねえ」

いきなりぐっと引っ張られ、壁に躰が叩き付けられる。
すぐに抗議の声を上げようとしたが、その怒気を含んだ冷ややかな眼差しに射竦められる。


「手前が……手前が俺と同じ気持ちなら優しくしてやろうと思ったんだがな」


「そうだと思ってたのは俺だけで手前は違うんだろ?
そうだよな。簡単に俺から離れて帰ろうとしてんだ。
俺と同じ気持ちのはずねえよな」

甘かったぜ、と云いながら、中也さんは懐から取り出した銃を向けてくる。
初めて間近で見る黒光りする銃身と、私に向けられた銃口に、息をのむ。

「はっいいねえ、その表情。怯えた姿も魅力的だ。
流石は俺の惚れた女」


何処か恍惚と紡がれたその言葉に、先日の銀髪の女性が過ぎり、一気に頭に血がのぼった。


「中也さんには……」

恐怖か、怒りで声が震える。銃を向けられた事で頭が振り切れ麻痺でもしているのか、勢いが止まらない。

「中也さんにはもう他に恋人がいるじゃないですか!
マフィアの浮気相手なんて死んでも御免です。
そちらの方と末永くお幸せに!
他に女がいるくせにこんな事をするなんて最低ですけど、せいぜい愛想を尽かされないように頑張ってください」

「は?何云ってんだ、手前は。
この数か月間、俺のプライベートは手前を捕まえるのに手一杯だったんだぜ。
他の女に構ってる余裕なんてあるかよ」


「二週間前にスタジアム前で……銀髪の女性と」


「………ああ、あれかァ」
何か思い当たったのか中也さんは、愉快で堪らないというような笑みを浮かべた。その表情にゾッとする。
後ろは壁でこれ以上退けないのに体は無意識に距離を離そうとする。



「知りてえか?」

知りたくない。本能的にはそう思うのに私は先程の勢いが残っていたのか首を縦に振っていた。

「あの女が本当に手前が探してた能力者だ、つったら如何する?」

心臓が跳ねる。嫌な予感が大きな音を立てて警報を鳴らしているようだ。

「……、その、ひとは、今、どこに?」


「 ―――――――― 」
中也さんの歪んた唇が告げる言葉に、ヒュッ、と喉の奥で悲鳴になれない息が詰まる。


彼の口から発せられる単語一つ一つが信じられない。血がのぼっていた頭が急速に冷えていく。
愛しいはずの人なのに、何か恐ろしい、別の怪物に牙を向けられているように感じる。

如何してそんな ――――




「なあ、なまえ。答え合わせをしようぜ?」

中也さんがニコリと微笑みかけてくる。
慈悲さえ感じさせるような、その微笑みが逆に恐ろしくてたまらない。


「こたえ、……あわせ?」

何を云っているのだろう。答えなど、私が異世界の人間だとわかっているはずなのに。

 一体、何の答えを ?


「ああ。手前と、俺の答えを合わせるんだ」


中也さんは掴んでいた手に指を絡ませながら、私の唇の端にそっとくちづけた。


「愛してる。手前が好きだ。だから、なまえ、俺のこの手をとってほしい」

繰り返されるのは最後に聞いた台詞と同じ。変わったのは私の手が既に握られていることぐらいで、他は何も変わらないはずなのに掴まれた手の震えが止まらない。


「安心しろよ。俺はこれでも一途な男だぜ?
寄る辺のない手前を見捨てたりなんかしねえ。
ましてや……」

その瞳に息さえ殺される。

「逃がしたりもな」

釘を刺すような、とどめの言葉には凄みが込められていた。

「さあ、なまえ。手前の答えを聞かせてくれるよな?」





怪物の穢れなき花籠



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