スイートポテトの攻防

夏休みがあっという間に終わってしまって、気づけばいつも通りの学校生活。まだ残暑が残る9月、いつになったら涼しくなるのだろうと思いながら教室に入った。


友人たちに朝の挨拶を済ませて席に着く。
いつもは騒がしいHR前だけれど、今日からは少し静かなのは、まもなく中間テストがやって来るからだ。私達中学3年生、付属に上がる者が多いとは思うけれどそれでも勉強はせざるを得ない。ここでの成績も良くないとエスカレーターに乗せてもらう権利は得られないし、もちろん外部受験組だっているし。


私もそれに倣って単語帳を取り出して赤文字というよりは朱文字を眺めるも、なんだろう。月曜日だからかな。眠くてやる気が起きない。



「よぉ」
「あ、丸井くん」


開始早々寝てしまおうかと諦めかけていた頃、ふと後ろの方から丸井くんの声がしたので振り返る。
丸井くんは私の斜め後ろの席に座っていた。この前席替えしたけど、あれ、そこは仁王くんの席じゃなかったっけ。



「どうしたの?」
「仁王待ってんの。ちゃんと来るかわかんねえけど」
「あぁ……。時間通り来ることあんまり無いもんね」



そういう所は本当に仁王くんらしい。彼なら要領もいいだろうから成績とか心配することはないのだろうけれど。


「てか何、眠そうだけど。遅くまで勉強でもしたのかよ」
「ううん、昨夜は違うんだ。今日放課後に皆で勉強会するから、そのおやつ作ってたら意外と時間かかって。まず勉強しなよって感じだけどね」
「え、お前菓子作れんの」


あ、そこに食いつくのか。お菓子好きな丸井くんだからか。心なしかその目が輝いてる様に見える。



「レシピ見てその通りに作っただけだよ」
「すげえなぁ。何作ったんだ?」
「芋安売りしてたからスイートポテトを……。秋っぽいし」
「絶対美味いやつじゃねえか」
「んー、絶対かはわからないけどね」


そういえば、夏休みに一緒にかき氷を食べに行ってから以来かもしれない、丸井くんとこんなに話をするのは。
音楽の授業も、内容が合唱ではなくなってしまって、座学だから合唱後に話すこともなくなってしまっていたし、教室でこんなに話すのは何だか新鮮だ。


「笠倉さぁ、それ、ちょっと余ってたりしねえ?」
「……食べたいの?」
「そりゃあ、まぁ」


困った。市販のお菓子はよく丸井くんにあげていたけれど、流石に手作りをあげたことは無い。私にとって丸井くんは曰く好きな人という相手で、そんな人にいきなり手作りを食べさせるのはハードルが高すぎる。友達相手に作ったからそれはもう丁寧に作ったつもりだけれど、もっとちゃんと味見すれば良かったかもしれない。



「えーーーー、と」
「駄目?」



ちょっとその言い方はずるい。急かされるじゃないか。数こそ多く作ったから余っていないわけじゃないので、「足りなくなるから」なんて嘘をついて断ることはできない。


「笠倉」

「おーい丸井、席に戻れ」


教室に響く担任の声にハッとさせられる。
あ、もう予鈴鳴っていたのか。なんとグッドタイミング。丸井くんには悪いけど、ありがとう先生。


「ごめんね丸井くん、また後で」
「言ったな? 忘れんなよぃ!」


逆に自分を追い詰めた様な気もするけれど、気にしないでおこう。うん。


……仁王くん、結局来なかったな。




◆ ◆ ◆




「で、くれんの?」


昼休み開始のチャイムが鳴ったと共に、丸井くんは私の席にやってきた。
あまりにも早すぎる。私はまださっきまで使っていた教科書やらノートが机の上に出ているというのに。


まぁ、丸井くんの立場になって考えてみれば、朝から今までずっと好きなものを食べられると期待している状況なわけで、流石にこんなに引き伸ばして「ごめんやっぱり……」とは私も言い辛い。


昼休みなのもあって、人からの視線が痛くて仕方ない。クラスの子達はとくに気にしていない様だけれど、他クラスや後輩で丸井くんの事を見に来る生徒がいたりするのだ。みんながいる前で手作り菓子なんか開けられないし、そもそもこの手の菓子類は持ってきて良いものだったのかすら記憶が曖昧なので先生達にバレたら没収されかねない。それは悲しいので避けたい。



「ちょっと、ちょっと行こうか丸井くん」




机のフックに掛けて置いたバックごと抱えて先に教室を出る。
一瞬呆気にとられた丸井くんも何かを察したのか何も言わずに着いてきてくれた。


部活がある日は3年が朝に部室の鍵を取りに行くことになっているので、たまたま今日が当番だった私が鍵を持っていた。職権濫用になってしまうけど、今日は許してください。



「ここなら大丈夫だよね」



鞄に入れてきたタッパーを取り出して、透明な蓋の上から中身を確認する。良かった、特に崩れてはいなさそうだ。



「お口に合うかわからないけど……。どうぞ」
「よっしゃ!」


アルミカップを半分まで捲ってから満面の笑みを浮かべた丸井くんが、それを口に運んで行くのを見つめる。
合唱とは別の緊張感でドクドクと胸の奥から振動が聞こえてきそうだった。


「んー! うめーじゃん!」
「ほ、本当? 良かった……」
「笠倉の友達になるとこんなうめぇモノ食えるのか。豪華な勉強会だな」
「え、私と丸井くん、もう友達だよね……? 気に入ったなら、また今度作ってくるし」


うん、流石にもうこれだけ話をしてきて友達ではないとは言えない。言えないし言いたくない。
本音を言えば、「好きな人」ではあるけど、明確に名前をつけるのなら「友達」が適切なはずだ。




「ん……。友達、あーそうだな、俺らって友達だよな」




半分残っていたアルミを全部剥がしながら、乾いた声で丸井くんが呟く。友達じゃ、駄目だったのだろうか。それは少し悲しくなる。



「また作ってくれんだろ? 楽しみにしてるぜ」
「そ、そんなに期待しないで」
「こんなに美味いんだから期待するって」
「プレッシャー強いなぁ。頑張ってみるけど......!」



次回は昨夜以上にレシピを見ないといけないかも。あ、あとラッピングとかもちゃんとしよう、タッパーはあまりにも色味がない気がする。落ち込んでてもしょうがないから、帰りに100均寄らなくちゃ。



「あ、仁王から連絡来た」
「もうお昼なのに」
「学校来たってよ。俺のこと探してるみたいだから行くわ。ありがとな」
「いやいや! こちらこそ」

まだ少し残っていたスイートポテトをさらに半分に手で割って、片方を口に入れた丸井くんが席を立つ。片方どうするんだろう。まさか仁王くんにあげたりするのだろうか……。


「笠倉」


「何?」という言葉は私の口からは出てくれなくて、その代わりに甘い味が広がった。
味見して分かっていたはずなのに、意外と美味しいぞ? なんて思っているのは、これが丸井くんが持っていた残りだったからなのか。
唇に軽く触れた丸井くんの指の腹の感触は、忘れられそうにない。


「ごちそーさん!」


素手でスイートポテトを持っていたから、少し残ったのだろうか。指を舐めとるその表情に、魅入っているうちに、丸井くんは仁王くんの元へと部室から出ていってしまった。



「……どういう、意味なの。アレ」