差し伸べられた海への道 泥の中に沈み込んでいたような深い眠りから目覚めて、一番初めに感じたのは全身を襲う酷く気分の悪い疲労感と、それ以上の痛みだった。 夢と現実の境目にいるのか、今時分が起きているのか、それとも夢の中にいるのか中々判断する事ができなかったけれど、少し体を動かそうとするだけで大なり小なりの痛みを伴う体が、今私の意識が夢のかなにいるのではなく、現実にいるという事を如実に表した。 痛みとともに徐々に覚醒してくる意識は、覚醒してくる意識の中で何よりも先に考えたのはアーロンさん達との決着だった。 (――ナミさん達は、みんなは) どうなったの? 痛みとは別に激しく鼓動する心臓に、痛む体に力を入れて無理矢理起き上がろうとベッドに両手を付けた。だけど両手を付けた時に、違和感を感じた。わたしの記憶が正しければ、確かアーロンさんに骨を折られたはずだ。なのに今、わたしの手はベッドに両手をついている。 (なんで……) まさかこの世界では骨が直ぐにくっつくのか、それともわたしの体がおかしくなったのか。人間の寿命は約八十年と言うが、その中でまだ十八年しか生きていないけれど、まさかまだこんな若いうちから骨を折られてすぐにくっつく……多分くっついているんだと思う……でも、まさかこんなにも早く骨折をする日がくるとは思わなかった。ましてや誰かに悪意を向けられて好意的に折られるという経験に、嘆けばいいのか驚ければいいのか分からない。もしかしたらここ数か月で散々他人の悪意や憎悪に触れてきたからなのか、人としての感情と言う回路が鈍くなっている可能性も無きにしも非ずだけれど。 他人事のように考えてしまう自分の体だけれど、この鈍い痛みだけは他人事のようにまぎれもなく現実だった。 同時に、意識を失う前の記憶も徐々に蘇ってくる。アーロンさんに叩き付けられた後の記憶がない。 痛みにきしむ体を無理矢理動かしてベッドから這い出る。 病院の四角い格子の窓から差し込む月の光だけが、今のわたしの唯一の光源だ。掛布団と一緒にかけてあった。カーディガンを羽織って壁に手を添えて壁伝いに外へ繋がる扉に向かって歩いていく。扉に近づくにつれて外の喧騒が聞こえてくる。今わたしが耳にしている喧騒は果たして何の喧騒なんだろう。 嫌な予感が頭を巣食う中、意を決してゆっくり扉を開けるとそこに広がっていたのは――。 「あははは! この兄ちゃん歌も歌えるのか!」 「いいぞー!! もっとやれ!」 目に飛び込んできたのは、沢山の人の悲鳴や怒号にも似た歓喜が溢れ、ありとあらゆる喜びを声で表情で全身で表している島の人たちの姿だった。町の中央にはやぐらが組まれていて、その上ではアーロンさん達との戦いの時に居た鼻の長い男の子がメガホン片手に歌っている。ココヤシ村もまるで元の世界で言う夏祭りの時みたいに村中が提灯などの伝統が飾り付けられていて、普段は月の明かりと家々の窓から零れ出る人工的な淡い光しかないというのに、今はその逆でまるで月や星々の明かりを食らいつくすかのように村中に光が溢れている。わたしが外に出るときに頼りにした窓から差し込んできた光は月の光ではなく、提灯の光だったみたいだ。 予想していた物とは真逆の光景に、わたしはまだベッドの上で眠っていて、自分にとって都合のいい夢を見ているんじゃないかと言う錯覚に陥りそうになる。 「これって……」 自分の口からこぼ出た声は予想以上に小さくて蚊の鳴くような物だった気がしたのに、思わぬところから返事が返ってくる。 「お前、目が覚めたのか」 「え、あ!」 誰にも聞かれていないと思った言葉に返事を返してくれたのは、病院と道路を隔てる小さなコンクリートの段差に腰を掛けていた、確かロロノア・ゾロさん……と言う方だった。 目の前の光景に理解が追い付かなくて戸惑っているわたしを見かねたのか、ロロノアさんが静かに今わたしが一番知っている事実を教えてくれた。 「勝ったぞ」 「え?」 一瞬言っている意味が分からなくて、思わず疑問の声を上げたのが聞こえたのか、もう一度先程と同じ静かな、落ち着いた低い声で応えてくれた。 「勝ったぞ。これでナミもお前もこの島も自由だ」 勝った。自由だ。それは……それは、夢のような言葉で。 わたしは膝からその場に崩れ落ちた。枯れたと思っていた涙が大粒となって溢れ出し、音にならない叫びが口の中で溢れ出し、両手で外に出ない様に口を押さえつける。 「おい! 大丈夫か」 いきなり崩れ落ちたわたしにロロノアさんが駆け寄ってくる。多分わたしが折った怪我の影響で立てなくなったのかと思ってくれたのかもしれない。確かに傷は痛い、すごく痛いけど、それよりも今はこの喜びを噛みしめる事の方が大事だった。 近づいてきたロロノアさんが、私の横に膝をついて体を起き上がらせてくれようとするけれど、私はそれどころの話ではなくて。 「よか、よか、よかったー……!! わたし、わたしっ!! ウゥッ……」 雄叫びにも似た嗚咽を漏らしながら泣き始めてしまったわたしに、横にいるロロノアさんの私を抱き起こそうとしていた手が一瞬止まるけど、次には慌てたように「泣くな」とか「もう大丈夫だ」とか色々聞こえてはきたけど、それでも私の涙は止まることなんてなくて、小さな子供みたいに泣き続けるわたしの横で慌てふためくゾロさんをよそに、体中の水分が無くなっても構わないとでも言うように泣き続けた。 ◇◇◇ 「あの、すみませんでした……」 人前で羞恥心も何もかも投げ捨てて大泣きしたことを思い出して、枕に顔を埋めて大声を上げたくなる気持ちを抑え込み、私のベッドの周りにいるロロノアさん達に謝る。 あの後ひとしきりロロノアさんの前で泣き終えた後、宴会場から流れてきた食べ物の様々な臭いにあてられて、その場で胃液を吐き出すと言う迷惑極まりない所行をしたわたしを迷惑がりもせずに介抱してくれたロロノアさんや、自体に気付いたトウシンさんやドクター、ロロノアさんの仲間の人達には頭が上がらない。 「いやービックリしたよな。ゾロの焦る声が聞こえてきたと思ったら、ゾロが泣かしてんだもんよ」 「泣かしてねェ!」 「泣かしてたのは事実だろうが! このクソマリモ!」 「だからちげぇって言ってんだろうが! エロコック!!」 目の前で鼻の長い方と金髪の方がロロノアさん相手に泣かしただの泣かしてないだのの押収が繰り返されていて、わたしがいくら違います、勝手に泣いてしまってと言っても、聞く耳を持ってくれず、ドクターやトウシンさんは他の方達の事を完全に無視して私の包帯を変えたり容態を聞いたりしているし、私の左横にパイプ椅子を持ってきて座っている麦わら帽子の男の子も男の子で、自分のお仲間の事を無視してわたしにしきりに話しかけてくる。 わたしは聖徳太子じゃないから三方から話し声が聞こえてきたり、声をかけられたりでてんやわんやだ。 「あの、えっと、ちょっと少し、ゆっくりと言うか……皆さんに一気に話しかけられても答えられないので、お一人ずつお願いしたいんですが」 恐る恐る未だにわたしの前で話し続けている皆さんに声をかけるが、止まってくれたのはトウシンさんとコトーさんだけで、横の男の子は次は自分のお仲間さんの会話に入り始めているし、お仲間さんはお仲間さんでわたしのお願いを聞いてくれる様子はない。 印象が薄いとかは言われたことあるけど、まさか目の前に居るのに無視される程影までうすのかわたしは。さすがに悲しくなってくる。 一人自分の存在感の無さに打ちひしがれていると、ドクターが近くに居た鼻の長い男の子の頭を殴った。 「うるさい。ここは病室だぞ。お前さんらとは違ってまだヒノデは万全の状態じゃないんだ。静かにせんか!」 「いや、おれらも万全の状態じゃねぇんだけど……」 鼻の長い方が言うように、ロロノアさん達も確か怪我をしていたはずなんだけど。 (どうしよう。皆さん凄い元気そう) 包帯を巻いていたり、ガーゼを張り付けていたりと治療の後は残っているが、既に外の宴会に参加できるまで動けるようになっている皆さんに驚きを禁じ得ない。骨折した腕がくっついている……かもしれないわたしが言うべき言葉ではないけれど。それよりこの鼻の長い男の子さっき宴会場で歌ってたような気が。 未だに怪我を負っている自分の方がおかしいのかと勘違いしてしまうほどロロノアさん達はピンピンしていた。じゃなければ外の宴会に参加するなどあり得ないだろう。 目の前の人達の驚くほどの回復力に驚いている中、横から激しい貧乏ゆすりが聞こえてくる。目を合わなさないようにちらりと横を見ると、麦わら帽子の男の子が何か話したそうにわたしを見ている。多分表情が顔に出やすいんだろう、目がキラキラ輝いているのが私にも分かる。正直なんでそんなにキラキラした目でわたしを見ているのか分からない。 横の男の子にどうしていいか分からず、じっと石のように俯いていると、横にいる男の子の方で何かを殴るような鈍い音が聞こえてきた。 「うるせェ! そんでテメェはいつまでヒノデちゃんの事見てんだ!」 「イテェな! 何すんだよサンジー!」 金髪の男の人もとい、サンジさん? 恐らく名字ではないので、心の中だけで名前で呼んでしまうけど、そのサンジさんが勢いよく右足を振り上げて男の子の脳天に踵を振り下ろした。凄い音がしたけど大丈夫なのだろうか? そして目の前で起こったあまりにも暴力的な光景に怖くなってくる。普通踵落としなんてしない。下手をしたら死んじゃうかもしれないのに。 助けてもらったのに失礼極まりないけど、突然暴力的な行動に出たサンジさんに恐怖を抱いていると、今現在一番恐怖を抱いているサンジさんとばっちり目があってしまう。何か話さなくてはいけないのに、声が出ない。そんなわたしに気づいているのかいないのか、サンジさんはわたしの包帯の巻いてある痛々しい両手を優しく指の長い男らしい手で包み込む。突然男の人に手を掴まれて、悲鳴を上げそうになった所をぐっと堪える。 「おれの名前はサンジ。ヒノデちゃんだよね、君に似合うとても可愛い名前だ」 「えっ!? そんな、その……!」 男の人に面と向かって可愛いなんて言われた経験がないのもあるが、中学あたりから異性とは基本わたしが呼ぶのも男の子の方がわたしを呼ぶのも名字にさんか君付けが当たり前だった中で、名前で呼ばれたうえ、まるで王子様のように両手を掴まれた事もあって、一気に顔どころか全身の血が沸騰するように熱くなる。ただでさえ男性は苦手な部類の入るのに……刺激が強すぎる。 言葉にならない単語を発しながら狼狽えるわたしを見て、サンジさんは何故か嬉しそうに口元を緩めている。 「可愛いな〜……顔真っ赤にしちゃ――」 「今すぐその手を離せ小僧」 地を這うようなドスの利いた声で、いつ取ったのかサンジさんの丁度首筋の頸動脈にメスを背後から当てたトウシンさんが、今にもわたしの 手を握るサンジさんを射殺さんばかりに睨みつけていた。 正直睨まれていないわたしでも怖いですトウシンさん。 「おわっ!! 危ねぇだろうが何すんだクソ爺!!」 「何をするんだはワシの言葉だ小僧。ヒノデに気安く触るな」 いや、サンジさんは冗談で言ったと思うんですけど。そう思いながらも、殺気立っているトウシンさんが怖くて中々言い出せない。 そんな中、わたしはサンジさんに踵を落とされた麦わら帽子の子を見るけど、サンジさんに勢いよく蹴られたにも関わらず、全然大丈夫そうだった。それにサンジさんに蹴られた事も気にしていないようだった。もしかしたらこれが彼らなりのコミュニケーションなのかもしれない。少し……というか凄く暴力的だけど。 トウシンさんとサンジさんを抜いたコトーさんとロロノアさん達で何かを話し合っていた麦わら帽子の子が再びわたしの方を振り向いて近づいてくる。 「なあなあ! お前刀鍛冶なんだよな!!」 「えッ!? あ、と……はい。そうですね、いちおう……?」 親戚の子にでも話しかけるみたいに気安く話しかけてきた男の子に、正直戸惑いを隠せない。少なくてもわたしには出来ない芸道だし、なによりこんなにも初対面の人に対して距離の詰め方が早いのに嫌な感じを覚えないのは、一重にこの人の一種の才能なんだろう。 ワクワクと言った感じで麦わら帽子の子は話を続ける。 「おれはモンキー・D・ルフィ! 海賊王になる男だ!」 「すご、いですね。あっと、あの、わたしの名前は――ヒノデです」 アカツキと言う名字を言いそうになったのを、声に出す一歩手前で喉の奥に押し殺して、名前だけを名乗る。 それにしても海賊王と言うこの世界でしか聞かない単語に、どう返答することが正解なのか分からず、凄く微妙な答えを返してしまった事を心の中で謝りながら、麦わら帽子の子――モンキーさんにわたしが自己紹介して貰っている中に割り込むように鼻の長い男の子も入ってくる。 「おれはキャプテーン!! ウソップだ! よろしくな」 「えっと、はい。わたしの方こそよろしくお願いします……」 キャプテンは確かモンキーさんじゃ無かったっけ? 自分の中にあるこの世界の漫画の知識を振り返るけど、正直うろ覚えすぎて自信がない。 自分の中の記憶を一生懸命掘り起こそうとしていると、わたしの疑問に答えるように、ロロノアさんも近づいてくる。 「何か勘違いしてると思うが、キャプテンはルフィで、ウソップは狙撃手、さっきお前にちょっかい出してた眉毛はコックだ」 「え! でもキャプテンって」 「いつも言ってるから気にすんな。本人も本気で自分がキャプテンだとは思ってねぇよ」 「はぁ……そうなんですか」 いまいちよく分からない彼らの関係性に曖昧な返事しか返せない。と言うよりさっきそのコックのサンジさんキャプテンに踵落とししていたのはいいんだろうか。海賊ってもう少し殺伐しているものだと思っていたんだけど。 少なくともわたしには分からないモンキーさん達の海賊感に戸惑っていると、ロロノアさんもわたしに自己紹介をしてくれた。 「おれはロロノア・ゾロだ」 「ロロノアさん、ですね。よろしくお願いします。あの……」 「何だ」 ロロノアさんに次会ったら伝えたいことがあったので、自己紹介だけで終わらせるわけにはいかない。 まだ痛む背中を折り曲げて、深々と頭を下げる。 「牢屋から助けて下さってありがとうございました……! お礼を言うのが遅くなってしまってすみません……」 「頭上げろ。別に気にしてねぇ。それより」 嫌そうに頭を上げろと言われたので、体を傷めない様にゆっくりと頭を上げると、ロロノアさんが気まずそうに頭をガシガシと掻き、言葉の続きを言いよどんでいた。 「あの、何か」 「あー……牢屋での事覚えてねぇよな?」 「え? いや、すみません。あの時意識が殆どなくて……その、失礼ながら、ロロノアさんの声と髪色ぐらいしか覚えて無かったんです。それで、あの、もしかしてわたし何か、してしまいましたか?」 正直本当にあの頃は記憶が抜け落ちているところが多くて、そもそもまともに意識があった時の方が珍しいくらいだった気がする。もしかしたら丁度わたしの記憶が抜け落ちている時に何かをロロノアさんにしてしまったんじゃないかと思って、恐る恐る尋ねるけど、なぜかわたしよりもロロノアさんの方がほっとしている顔をしている。わたしが何かをしたならロロノアさんがほっとする必要はないと思うんだけど。 「いや、お前はなにもしてねぇ。殆ど意識なかったしな。むしろ……」 「?? むしろ?」 「いや、覚えて無いならそれでいい」 え? 気になる。 これ以上追及されたくなさそうなロロノアさんの様子に、言葉にすることは出来なかったけど、正直凄い気になる。何もしてないっていうけど、ロロノアさんの様子じゃ絶対何かあったはずなのに。 聞きたい気持ちは凄く大きいが、ロロノアさんは命の恩人だ。その命の恩人が追及されたくなさそうにしているのにこれ以上聞くことは出来ない。 聞きたくてしかない気持ちを抑えながら、目の前に居るロロノアさん達を見る。これがこの世界のファンの人なら嬉しがる光景なんだろうな、なんてひとごとに感じながら目の前の光景を眺めていると、ルフィさんがベッドに手をついてわたしの方に乗り出してくる。 「なあなあ!! お前行きたい場所があるんだよな!」 「えッ!? えっと……」 なぜモンキーさんがわたしが行きたい場所、いや、帰りたい場所があると知っているのかが分からなくて、縋るようにトウシンさんを見る。 だけどトウシンさんはわたしを観察するような目で見るだけで助け舟は出してくれない。その間もモンキーさんの話は続く。 「海出るんだよな!」 「ま、まあ……そうなりますね、多分……」 「じゃあよ――」 モンキーさんの次に続く言葉が予想出来てわたしの心臓がドクリと大きく音を立てた。 それは恐怖だったからなのか、それとも歓喜からだったのか分からない。 「一緒に海賊やろう!!」 その誘いはあまりにも真っ直ぐで、そして宝石箱のようにキラキラ輝いていたものだった。 top |