選択という名の重み

 ナミさんと今までとは違う"友達"になってからは、罪悪感も沢山あるけれとど、それ以上に歓喜の方が上回ってしまっている。わたしは何て勝手なんだろう。そう思うのに、もうナミさんと繋いだ手を手放す気にはなれなかった。



「じゃあ、ナミさんはモンキーさん達の船に乗るんですか?」
「そうなるわね。と言うか敬語! それにさん付けは禁止って言ったでしょ。同い年で友達なのに敬語とさん付けは違うでしょ? ヒノデ別に友達にも敬語とかさん付けで話すわけじゃないのよね? あとちゃん付けもなしよ」
「ご、ごめん。なんか慣れなくて……ナミちゃん呼びも駄目なんだ」
「だって私ヒノデの事、ヒノデちゃんだなんて呼んでないじゃない」

 確かにそれはそうだけど……そうは思っても、ドクターに新しい刺青を彫られながら言うナミさんは、わたしがどう言っても意見は変わりそうにない。別に友達の事呼び捨てで呼べないというわけじゃない。今までの友達もあだ名で呼んでいた子もいるし、呼び捨てで呼んでいた子もいる。だけど大体本人から呼び捨てで良いといわれない限りはちゃん付けで呼んでいたし、でも――。

(ナミって呼ぶのはなー……)

 なんとなく抵抗がある。嫌って言うわけじゃないけど、しっかりしすぎてて年上に見えるんだよね。
 そうは思うけれど、目の前でうつぶせの状態でこちらに顔だけで見上げているナミさんの表情は不服気だ。これはわたしがナミさんの意見を聞き入れない限り治りそうにない。ドクターもわたしの方を振り向いて早く呼べって顔してるし。

「わ、わかったよ……ナ、ナミ」

 ぎこちなさ感が満載だけど、ナミさ――ナミは納得してくれたのか、嬉しそうに満面の笑みを浮かべると、わたしの方を見上げていた顔を、再び元の位置に戻した。ナミが納得してくれたことにホッとしつつ、刺青を彫られている部分を見てしまって、目をそらす。真横で刺青彫らないでほしいです、ドクター。
 淡々と横でわたしとナミの会話を聞きながら、ドクターは刺青を彫り続ける。その恐ろしい光景から目を逸らしながら、ナミと船に乗ることについて話そうとし始めたとき、ナミの口から予想外の言葉が飛び出す。

「て言うか、もう記憶喪失の演技は良いの?」
「え?」
「だから、記憶喪失の演技は良いの? って聞いてるのよ」

 なんで……。小さく呟いた言葉は、宙へと消えていったと思っていたけれど、しっかりナミの耳には入っていたみたいだ。恐らく何も言わないけれどドクターの耳にも入ってる。

「なんでってあんたね……はっきり言って、ヒノデとそれなりに関われば、記憶喪失が演技だってわかるわよ」
「――ちなみに理由は」

 既になんで、と呟いた時点でわたしの敗北は決まってしまった。ここは下手に惚け続けるよりも、なぜナミに記憶喪失が演技である事がバレてしまったのかの方が重要である。
 わたしの問いに、ナミは呆れたように大きなため息を吐くと、一度ドクターに目配せしてから話し始めてくれた。

「あのねー、そもそも記憶喪失って言うけど、ヒノデ少ししっかりしすぎよ。記憶喪失にしては不安定感が無いのよね。もう少し精神的に不安定になるものなのよ普通は。確かにヒノデは一般常識を知らない事多いけど、それでも記憶が無いことに対しては随分と無関心だったじゃない、ねえ? ドクター」
「そうだな」

 ああ、これはまずい。完全にバレている。確信をもって言っている口調だ。でも、記憶喪失の人の演技なんて分からない。この世界に来たときは必死だったんだ。
 両手で顔を覆い隠して項垂れるわたしを見ているんだろう、ナミの笑い声が聞こえてくる。

「笑わないで……」
「だってヒノデ気づかれてないと思ってるんだもん。そりゃあ笑うわよ」
「ナミ、そう言ってやるな」

 穴があったら入りたい。いや、むしろ自分で穴を掘って入る勢いだ。ドクターも気づいてたなら言ってほしい。まあ、わたしも演技とか特にした記憶が無いから何も文句は言えないけど。
 恥ずかしさで死にそうになりながらも、両手を顔から外し、なるべく刺青を彫っている作業を視界に入れないようにしながらナミを見る。

「それで、ナミはその、記憶喪失を装っていたことについて聞かないの……?」

 わたしの問いにナミは一度視線をさまよわせて、何かを考えこんでから口を開く。

「何か言えない事情があるんでしょ。じゃなきゃヒノデみたいな子が記憶喪失なんて装ったりしないだろうし」

 何か隠してることにはやっぱり気づかれてるんだ。それなら普通もっと深く追及してくるはずなのに、何でナミはしないんだろう。ナミからしたら、大事なココヤシ村に得体のしれない人間が居るという許せない状況なのに。本当は聞くべきなんだと思う。なんで事情を聞かないのかと、そう思うのに、嫌われるのが、気持ち悪がられるのが怖くて聞くことが出来ない。
 何も言葉にすることが出来なくて押し黙っていると、ナミの大きなため息が聞こえてきて、びくりと肩が跳ね上がる。

「何を隠してるかは分からないし、正直話してもらいたい気持ちも大きい。でも、聞かないわ」
「どうして……」

 本当にどうして。自分自身でもわたしはこの世界にとってイレギュラーだと分かっていて、なぜ聞かないの。普通なら聞いて当たり前だし、わたしもナミに問い詰められることを前提で話を切り出したのに、なのに何で何も言わないの。なんで――。

「どうしてって、そんなのヒノデだって私の話を私が自分から話すまで聞かないってトウシンさんとゲンさん達に言ったんでしょ? だったら私もヒノデが自分から話したいって思うまで聞かないわ。それが筋ってものでしょ」
「ナミ……ありがとう……。いつか、本当に話せる日が来たら必ず、話すから」
「うん。首をながーくして待ってるわ。ただあんまり待たせすぎないでよ? 首が長くなりすぎちゃうから」
「うん……ナミがキリンみたいになる前には話せるように頑張るから、もう少しだけ待ってて」

 言う気なんてさらさら無いくせに。もう一人の自分がわたしに意地悪く囁いた。だけど、その言葉をわたしは無視してナミの言葉の続きを待つ、仕方ないのだ、この世界で生きていく為にはこれ以外に方法が無いのだ。
 呆れ混じりに言われたナミの何回も言わなくてもわかるわよ、という言葉がナイフのように私の心を抉った。 

◇◇◇

 少ししてから、刺青を入れ終わったのか、ナミは消毒をして包帯を巻いてもらっている。刺青を入れた人に今まであった事なかったから分からなかったけれど、刺青を入れて、はい終わりではないみたいだ。早くても今日一日包帯は外すなと言われている。

「ま、お披露目は明日ってことね」
「いたく、なかった?」
「十年位前に一度入れたことあるから別に、それに今回は自分から彫るんだもの、精神的にも違うわ」
「そっか……それなら良かった。ナミが痛くなくて」

 本当に良かった。自分から彫るのと、無理やりアーロンさん達の仲間としてココヤシ村の人達を人質として取られて彫るのとでは全然違うはずだから。わたしが一人嬉しくて、口元のににやけを止められないでいると、ナミがなぜかナミもわたしの方を見て笑っている。

「どうしたの?」
「ううん。ただあんたは私が無事で良かったとか、笑ってくれて良かったとか思ってるみたいだけど、言っとくけどわたしだってヒノデが今無事で良かったとか、笑ってくれてて良かったとか思ってるんだからね」

 白い肌をほのかに赤くして照れながら言うナミの熱が伝線したように、わたしの顔にも熱が集まる。はたから見たら女子二人が顔を突き合わせて赤くなっている奇妙な図だろう。わたし達のベッドの間にいるドクターが何やっているんだという目で見ている。
 ドクターの視線に恥ずかしさを覚えながらも、最初の話題だったモンキーさん達の船に乗るという話をわたしの方から切り出す。ドクターの話では明日にでもココヤシ村を出るという話だったはずだ。もちろんモンキーさん達と一緒に船に乗るというナミも例外じゃない。

「ナミも船に乗るってことは……明日この村を出るんだよね」
「そういう事になるわね……ねぇヒノデ?」
「ん?」
「ヒノデも、一緒に行かない?」

 まさかの誘いに言葉を出すことは出来なかった。ナミまでわたしを海に――いや、海賊に誘うだなんて。ドクターもナミが船に乗船することは知っていたみたいだけど、わたしを誘うとまでは思っていなかったのか、わたしと同様に驚いた表情をしている。わたしの反応は予想通りだったのか、ナミは何とも言えない表情で申し訳なそうな顔をすると、何故わたしを船に誘ったのか、その理由を話し始めた。

「トウシンさんに聞いたけど、ヒノデも海には出るつもりんでしょ? しかも私と同じグランドライン」
「なに!? ヒノデお前さんグランドラインに入るつもりだったのか!」

 “グランドライン”それは偉大なる航路と言われている場所だ。だけどそこは屈強な海賊の人達でも危険な場所で“海賊の墓場”そう言われているらしいというのは、トウシンさんから習った。だけど、同時にトウシンさん曰く、このイーストブルーではわたしが元の世界に帰る方法、もしくは帰る切っ掛けは見つからないと言っていた。確かにグランドラインは海賊の墓場と言われているけれど、同時にこの世の常識が通じない場所だとも聞いた。既にわたし自身がこの世界の常識から外れていて、その上違う世界に行こうという、頭がおかしいとしか思えない願いを持っているのならば、同じくこの世の摩訶不思議を詰め込んだ航路を行くしかないのは必然といえる。
 何も言わないわたしに、グランドラインに入るという事実を肯定と受け取ったのか、ドクターが大きくため息を吐いて、苦虫をかみつぶしたような表情をする。

「トウシンさんは何も言わなかったのか……」
「そのトウシンさんが勧めてきたんです」
「なんと馬鹿なことを……」

 確かに馬鹿なことなのかもしれない。提案するトウシンさんも、そしてその提案に乗るわたしも。でも、例えどれだけ馬鹿なことだとしても――。

「どうしても帰りたいところがあるんです。どれだけ危険を冒してもいい……全部、全部おいてきちゃったんです。大事なもの、全部おいてきちゃったんです」

 お別れも言わないで。
 口から洩れた言葉は、自分が思っていたよりも弱弱しくて、そして掠れていた。本当にわたしは全部おいてきちゃったんだ。決して長いとは言えないし、人生というにはあまりにも短いけれど、わたしが生きてきて培ってきた十八年間を突然奪われたんだ。返して欲しいに決まってる。家も、家族も、友達も、未来も――本当に何もかも全部おいてきてしまったのだから。
 病室に重い空気が流れる。正直ナミ達からすれば何を言っているんだろうと言う感じだろう。おいてきちゃっただの、お別れも言わないでだの意味が分からない。言ってしまった後だけれど、わたしも後悔している。何を言っているんだろう、こんなの余計に怪しまれるに決まっているのに。ナミやドクターかの次の言葉が怖くて押し黙っていると、明るいナミの声が聞こえてくる。

「なら、尚更私達と行くべきよ。はっきり言って一人でグランドラインを航海するなんて無謀すぎる。大体ヒノデ航海術なんて持ってないでしょ」
「そ、それはそうだけど! 旅行船とかそう言うので……」
「無理だな」

 反論を許さないかのように、きっぱりと無理と言い切ったドクターに、何故という疑問が頭のなかを駆け巡る。確かにわたし一人で海に、特にグランドラインに出るなど無謀もいいところだけど、それでもドクターの言葉はそれ以外も含んでいるようで、心がざわざわと音を立てて不安げに波打つ。ナミもここまではっきりと否定したドクターに何かを感じたのかもしれない。黙ってドクターを見ている。私とナミの視線を受けて、ドクターも流石に誤魔化せないと思ったのか、ため息混じりに口を開いた。

「まず、ヒノデがアカツキイッセンの孫娘であるのがまずいんだ。伝説の刀鍛冶と言われた血縁者など、みすみす政府や海軍が見逃すわけないだろう」

 真剣な顔をして言うドクターには悪いけれど、正直実感が沸かない。お祖父ちゃんのことは凄いと思うし、この戦乱とは違うけれど、海賊王のせいで大海賊時代となった物騒な世の中で武器の売買はかなりの数だろう。日本じゃ考えられないけれど。だとしても、たとえお祖父ちゃんが伝説の刀鍛冶と言われていようとも、わたしまで刀鍛冶としての腕が良いとは少し考え方がポジティブ過ぎるというか、楽観的では無いだろうか。多分済んでいた世界が違うせいなのも関係してるのかもしれないけれど、安直とも言えるドクターの考えに、反論しようとした時、思い出したくも無い牢屋の中に居た時の記憶が、思い出さないように何重にも鍵をかけていた記憶の箱の錠が開けられていく。
 そう言えば、海軍の大佐の人が来た時に言ってた。いくら意識が朦朧としていて、あの後色々なことがあったとはいえ何で今の今まで忘れていたんだろう。あの人は確かに言っていたのに。

『――ただでさえ海軍ではアカツキイッセンの血縁は何故か極秘扱いされている。このおれでさえ見つけ次第即刻保護と言われているくらいだ。それだけこいつには何かしら隠された秘密があるはずだ』

 ああ、そう言えば知ってるんだった……海軍や世界政府はお祖父ちゃんが別の世界から来たことを。じゃなければいくら伝説の刀鍛冶と言われても、極秘扱いや保護なんておかしいに決まってる。きっと他の世界から来た事を知っているんだ。じゃなければ少なくとも伝説の刀鍛冶と言う事で、何かお祖父ちゃんの技術やまだ世に出てない刀などを欲していたとしても、極秘扱いと保護は行き過ぎている。正直犯罪者にでもなった気分だ。追われるというのはこう言う事なのかもしれない。一生体験したくなかった。

「ねぇ、それならやっぱり私達と明日一緒に海に出た方がいいわよ。あのアーロン達と組んでた海軍の大佐がヒノデの名前も言ってた。もしかしたら直ぐにでも海軍がこの村にヒノデを探しに来るかもしれない」
「でも……わたし、海賊には」
「この際海賊になるかならないかは置いといて、今すぐにでもこの村を出たほうがいいと思う。じゃないと、もしかしたらヒノデ、あんた帰りたいところに帰れなくなる可能性があるわよ」

 どうして。下唇を前歯で噛み締めて、叫びたくなる気持ちを塞き止める。今ここでナミ達に当たり散らすわけにはいかない。わたしだけの問題であり、むしろわたしはナミ達のココヤシ村の状況を更に悪化させかねない存在なんだ。やっとアーロン一味から開放されたんだ、これ以上厄介事には巻き込めない。だけど、何で関係ない人達が邪魔するんだと思う。わたしはこの世界に対して何か大それたことも危害も加えるつもりもない。ただただ、一心に元の世界に帰りたいだけなのに。なのになんで邪魔するの。

(トウシンさんに会いたい)

 昨日以来会ってないトウシンさんに無性に会いたくなる。あの人だけなんだ、わたしの事を全て知っていてくれるのは、この世界で唯一の私の抱えている物を理解し、受け入れてくれた居場所。
 だけど今はそのトウシンさんさえ、わたしがモンキーさん達の誘いを断った事をどう思っているんだろう。
 もう、どうしていいか分からない。
 目の前に広がる選択という名の道は、わたしにとってどの道を歩んだとしても、周りを巻き込む物でしかなかった。


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