貴方から貰った宝物 遂にナミ達の出航の朝がやってきた。 嵐にでもなればよかったのに、そんな自分勝手なわたしの思いなど、当然の如く跳ね除けられた、 どこまでも青く澄み渡った青空は、ナミ達の出航を後押ししているようだった。 「今日、ナミ達は海に出るんですね」 「そうじゃな。本当に良かったのか? ナミ達について行かなくて」 「そう、ですね……。やっぱりわたしには海賊は無理だと思うので。私はここにいるので、ドクターはお見送りに行って来てください」 ドクターは何か言いたそうな表情をしたあと、わたしに一言二言告げてから病院を出て海岸へと向かった。当のわたしはと言うと、お見送りに行く気持ちにもなれず、窓の外に顔を向ける。そろそろ出航する頃だろうか、出航の音は聞こえてこないが、あと少しで。 何をすることも無く、わたしとは別の道を進むことになるナミの事を案じ、同時に寂しさと、仲間がいるという事に自分勝手な嫉妬を感じながら、時が過ぎるのをただ独り病院のベットの上で座って待っていると、視界の端で病院の入り口から誰かが入ってきた気がして、目を向けみるとそこに居たのは……、 「トウシンさん……」 「久しぶりだなヒノデ」 いま一番会いたくて、そして一番会いたくない人だった。 トウシンさんは片手に旅行用の革製の頑丈そうなベルトが二本付いたトランク型の鞄と、片手にはわたしがこちらの世界に来た時に一緒に持っていた学生カバン代わりのリュックを――え? 「トウシンさん……なんで、わたしの鞄」 「ヒノデ、今日お前さんはこの縞を出て、ナミと一緒に麦わら坊主の船に乗るんだ」 なんでそんな事言うんですか。そんな言おうと思うのに、言葉には出来なくて、闇がわたしの心に迫ってくる。トウシンさんも思っていたのだろうか、わたしはこの島にこの村にとって疫病神でしか無いのだと、だからモンキーさん達に誘われた時も何も言わなくて、その後わたしに会いに来てくれなかったんだろうか。 突然来て、船に乗るべきだと言われて、何を言っていいのか、これからどうすべきなのか、自分がどの道を進めばいいのか分からない。前に進もうにも後ろに進もうにも、わたしに待っているものなんて本当にあるんだろうか。 トウシンさんの言葉のショックが大きすぎて、視界がどんどん狭まって、絶望の色へと染め上げていこうとした時、ふわりと、優しく抱きしめられる。お日様のにおい、と湿った土のようなにおい。わたしが大好きなにおいに包まれる。 「ヒノデおまえが邪魔で言っているんじゃない。ワシもできるならまだ、もう少しだけヒノデの手を手放したくはなかった……だがそんな事を言っている場合じゃなくなってしまったんだ」 「トウシンさ――」 「お前を守ると決めたのに……ワシにできる事はこんな事しかないのか」 なんて無力なんだ。 続けて言われた言葉に、そんな事ないと、首を横に振る。むしろわたしはこの世界に来てからトウシンさんに助けてもらうばかりで、何もしてないのに。与えてもらうばかりで、受け取るばかりで、渡せるものなんて何もなくて……本当にどれだけ、ありがとうと伝えても足りないくらいなのに。 「ヒノデの意思を無視している事も、ワシの我儘だと言うことも分かっている。だが、今おまえを海に送り出すしかないのだ、もうすぐきっと海軍が来る。その時、ワシではお前を守り切れない。守り切れないんだ」 「そんな事、そんな事いいんです……!! わたしはトウシンさんの傍に居られただけで……」 いつか来る別れだとしても、幸せだったのに。 誰かの傍に居られる。誰かに必要とされる、それだけでいいのに。それすらも許されないのか、わたしはどれだけこの世界に歓迎されていないんだろうか。無理矢理連れてこられたのに、それなのに今度は早く元の居場所に戻れとでも言うように、居場所を奪われる。何のためにわたしはここに来たんだろう。 「わたし、なんでこの世界に来たんでしょうか……」 本当に何のために、何のために。 どれだけ心の中で自問自答しても答えは一向に出てこない。お祖父ちゃんがこの世界に来て、そしてわたしがこの世界に来た。なによりお父さんもこの世界に来ていた可能性がある。わたしの家は少なくとも、刀鍛冶という普通とは違う職業だけれど、それでも変わらないはずだ、他の人達と、変わらないはずだと思っていたのに。 急に自分という存在が、この世界にとっても、そして元の世界にとっても異質だと思えてくる。元の世界に帰ったとして、わたしはわたしのままで居られるのだろうか。 「この世界に来たか、か……それはワシにも分からない。だが、何か意味が必ずある。ワシがこうしてヒノデに出会ったことも、ナミとヒノデが友達になったことも、そして麦わら坊主の船に誘われたことにも、必ず意味はある」 「意味……」 「そうだ、必ず意味はある。そして、今ワシがすべき事はヒノデお前を海に出すこと、そしてヒノデ、お前が今すべき事は海へと出ることだ。海賊になるとしても、ならないとしてもまず、海に出ないと話にならない。今、この島にある船は麦わら達の船と、あの賞金稼ぎ二人の船しかない。グランドラインを目指すなら、麦わら達の船に乗るのが得策なんだ」 「でも、わたしやっぱり海賊には……」 確かに、ナミ達との旅は楽しいだろうとは思う。だけど、ナミ達のように海賊としての覚悟をわたしは持っていない。ましてやわたしはいずれ船を降りるしかなくなるんだ、そんな人間が乗ってていいわけがない。きっとあの船に乗っている人たちは、皆何かしらの理由があって乗っているんだろう。それこそ、海賊として生きるのだから、本人の命を懸けてもいいと思えるほどの何かを。 何も言うことが出来なくて言い淀んでいると、トウシンさんは優しく、あやす様にわたしの背中を一定のリズムで叩いてくれる。固く緊張したわたしの体をほぐしてくれるようで、もう一度ゆっくりと口を開いた。 「わたし――ナミ達の事は羨ましいとは思うんです。ああやって、仲間と一緒に……って思うんです。いつか元の世界に帰るわたしには絶対無理なのに」 「それは、本当に無理なのか?」 思いもよらなかった切り返しに、トウシンさんの胸に預けていた顔を上げる。見上げた先に居たトウシンさんはなぜか悲しい顔をしていた。 「ヒノデの言い方だと、ワシとこうやって出会えたことも、いつか元の世界に帰ってしまうヒノデにとっては意味の無いことと言っているように聞こえるんだがな」 そんな事はありえない。そう言いそうになったが、よくよく考えてみれば、わたしが言っていることは確かにトウシンさんが言っている事と何が違うんだろう。いつの日か別れが必ず来るから、だから関わらない、仲良くならない。なら、トウシンさんは? 関わらない、仲良くならないという項目にトウシンさんは何故入らない? 最悪だ、わたし……安心していたんだ。 トウシンさんはお祖父ちゃんの事を知っているから、お祖父ちゃんと一度別の世界同士という別れを経験していて、わたしが違う世界からきていることも知っていて、元の世界に帰りたいことも知っていて、そして――元の世界に帰ることに協力してくれている。どこかで安心してたんだ、お互いに必ずいつか永遠の別れが来ることを、それをお互いに理解しているから、きっと元の世界に帰るときは、何も言わずに送り出してくれるだろうと、きっと喜んでくれるだろうと、勝手なわたしの事を責めないでくれるだろうと、安心していたんだ。トウシンさんなら何もかも全部受け入れてくれるからと。 改めて気づかされた、自分の醜さと身勝手さに吐き気がする。 自己嫌悪の渦に飲み込まれそうになった時、トウシンさんが今度は優しく頭をなでてくれた。 「何を考えているかは分からないが、意地の悪い質問をしてしまったな。ヒノデが本当にワシとの関係を意味のない物と思っているなら、ワシを命がけで助けたりはしないだろう。ただ知ってほしかっただけだ。例えいつか来る生きていながらも二度と会うことのできない別れが待っていたとしても、それまでに築き上げた物は消えることなく残っている。そして、それがヒノデのそしてワシ達の大事な一部となるんだ。だからいつか居なくなるからと言って、一人にならなければならない理由は無いぞ」 そんな事考えたこともなかった。 この世界が漫画の世界だからと言って、トウシンさんの事をナミの事をただの物語の登場人物とは思っていない。もうそんな事を思えないほど、わたしはトウシンさんやナミ達の事を大切だと思っていた。同時にわたしがナミやモンキーさん達と関わったからと言って、何も影響しないことも。もしわたしが来たことで何か物語に対して影響することなんてことがあるなら、既にお祖父ちゃんがこの世界に来ている時点でおかしな事になっているはずだ。なにより、結局わたしはアーロンさん達との戦闘で何も影響がなさげな感じからして、わたし一人が居たところで何が変わるとか無いのだ。と言うよりも今思うと、わたしはわたしを思ったよりも高く見積もっていたらしい。わたし一人のせいで何かおかしな影響がこの世界に起こるかもしれないと……そんな事あり得ないのに。そんな影響力を持つほどの価値などあるわけないのに。過去の自分を怒りたい気分だ。 だけど、いつか帰るから関わってはいけないとは思っていた。だって必ず永遠の別れが来るのに、わざわざ自分から辛い思いをすべきではないと。 ナミと友達になろうと言われた時、あんなに嬉しかったのに、もうナミの手を手放せないとすら思ったのに――ああ、やっぱりいつか必ず来る別れだとしても、やっぱり一人ぼっちは嫌だ。無かった物になんて、意味の無い事だなんて思えない。思いたくない。 気持ちを切り替えるように、両手で二度ほど自分の顔を叩く。 「意味の無い事だなんて思いません。わたしこの世界に来て、トウシンさんに会って、ナミに会って、お祖父ちゃんの事を知って……無意味だったなんて思いません。わたし海賊になるだなんて、やっぱり想像つかないし、モンキーさん達の事もよく知らない。だけど」 ――あの人達との旅はきっと辛い事も多いけど、それ以上にきっと楽しくて、 ――いつか別れる日が来たとしても、きっと楽しかったって、出会えてよかったって思えると思います。 海賊になるなんて断言できない。度胸も覚悟も何もかも足りてない。でも、もっとモンキーさん達の事を知りたいと、もう少しだけでいいから一緒に居たい、そう思う――思うだけだ。 わたしの答えにトウシンさんは優しく微笑むと、わたしの両手を取って一緒に立ち上がらせる。 「行ってこい」 「トウシンさん……」 溢れ出そうになる涙を、必死に抑え込み、トウシンさんに今までで一番の笑顔を見せよと、目元を細め、骨格を上げて笑みを作る。 「今までありがとうございました、トウシンさん……!! わたしトウシンさんに出会えて本当に良かった。この世界に来て、心が折れなかったのは、一人じゃないと思えたのは、トウシンさんのおかげです!! もう、会えないかもしれない、でも……わたしトウシンさんと出会えて本当に良かったと思ってますッ!!!」 今わたしが出来る精一杯の笑顔で、トウシンさんと別れたい。泣いた顔が最後のトウシンさんとの別れだなんて嫌だ。トウシンさんも私と同じ気持ちで居てくれているのか、優しい、孫を見るような目でわたしに笑顔を向けてくれた。 「お礼を言うのはワシの方だ。一緒に居たのは一ヵ月くらいしかなかったが、それでもワシにとってかけがえのない日々だった。ヒノデはワシにとって血が繋がってはいなくても、本当の家族のように思っていたよ。ワシの……宝だ」 もう一度、二度とこの触れ合うことのできないであろう温もりを、忘れないように二人できつく抱きしめあいながら、名残惜しさを感じながらゆっくりと離れる。 「こんなことを言うのもあれだが、どうせ旅するのなら、イッセンを超えてこい。ワシはヒノデにはそれが出来ると思っているよ」 「簡単に言ってくれますね」 「出来ると思っていなかったら言わないさ。出来ると思っているから言っている。きっとこれもヒノデがこの世界に来た意味にもなる」 何の疑いもなく、わたしが本当にお祖父ちゃんを超すことの出来る刀鍛冶だと思っているんだろうか。そう思うのにトウシンさんの目は一切の曇りもなく、本当にわたしがお祖父ちゃんを超すことの出来る存在だと思っているのかもしれない。こんなにも何の疑いもなく、わたしの事を本当に信じてくれているんだろう。今までこんなにも誰かに期待を受けたことなんて無い。可もなく不可もなく、大勢の中の一人生きてきた。そんなわたしに。 「……わたしの一番は元の世界に帰ることです。でも、もし本当に出来るなら――頑張ります。トウシンさんの気持ちにも答えたい」 「ありがとう。あと、もう一つこれも持っていきなさい」 そう言ってトウシンさんは病院の入り口にまで戻ると、日本刀を入れるための紺色の刀袋を持ってくる。 「トウシンさんそれ……」 「中に刀が入っている。下手に拳銃を使うよりましだろう。使い方は……おいおい覚えていきなさい。イッセンが打ったものだ。あいつが打った最初で最後の物だろう」 「そんな大事な物……!」 「いいんだ。ワシにはもう扱えないだろう。お守り代わりにでも持っていけ、使うべきものが使った方がいい」 渋るわたしの両手にトウシンさんは無理矢理刀袋を渡す。お祖父ちゃんが打った最後の刀。それが今わたしの両手にある。なんて尊いものなんだろう。 「ヒノデが使いなさい。ワシからの最後のプレゼントだ」 暖かくなんとも穏やかな優しい表情と声で告げるトウシンさんに、わたしは何も言えなくて、両手で刀袋を握りしめ、胸の前で抱え込む。 「ありがとうございます……トウシンさんッ! 大切に、大切にします……」 「ああ、そうしてくれ。さあ――」 優しくわたしの両肩をもって、トウシンさんは立ち上がる。 「早く行きなさい。ヒノデの新たな門出だ。遅くなってはいけない」 「はい! はいッ!」 言葉にできないほどの感謝と、わたしが居なくなった後のトウシンさんの幸せを祈り、笑みを作る。 「トウシンさんもお体には気を付けて。無理をしたりしたら駄目ですよ?」 「肝に銘じてをおくよ。さあ、行きなさい。ヒノデの幸せを祈っている」 何度も何度も頷いて、トウシンさんから受けとった刀袋を肩にかけて、わたしも立ち上がる。 「行ってきます」 「ああ、行ってらっしゃい」 さよならと言う言葉はあえて言わなかった。二度と会えないけれど、それでもそんな悲しい言葉で別れたくない。 トウシンさんに背を向けて、用意してくれた荷物を持つ。足が重いのは、久しぶりに足を地につけたせいか、それとも荷物のせいか、これからの旅を思ってか……どれかは分からない。それでも進むべき道は一つ。 外に通じる扉を前に、もう一度だけで例え何年、何十年経ったとしても思い出せるように、そう願いながらトウシンさんに体を向け、トウシンさんの姿を目に焼き付ける。 (行ってきますトウシンさん……) 言葉にはもう出さないで、体をくの字に折って、深く頭を下げる。 「今までありがとうございましたッ!! このご恩は一生忘れません!!」 「ワシの方こそありがとう……後は老い続けるだけだと思っていた人生が色づいたよ」 あまりにも嬉しすぎる言葉に、涙が溢れそうになるが、片手で力強く瞼をぬぐい顔を上げる。 「お元気で、トウシンさん」 「ヒノデもな」 口元に笑みを作り、わたしを見つめるトウシンさんの姿を焼き付けるように見つめ、今度こそ病院の外へと出る。もう振り返らない、きっとここで振り返ったら旅に出ることを止めてしまうから。 一ヵ月という短い間だったけれど、トウシンさんとの生活は、お祖父ちゃんが死んでから独りで暮らしてきたわたしにとっては何よりも大切で大事で心が温かくなるものだった。朝起きて言う「おはよう」という言葉、食事を作って誰かに「いただきます」「ごちそうさま」と言われる言葉、「おいしい」と言われるわたしが作った食事への感想、どこかに出かければ「行ってらっしゃい」と言われ、帰ってくれば「おかえり」と言われて、寝るときには「おやすみ」と言われる。普通の事が本当に嬉しかった。 トウシンさんと過ごせた日々はわたしにとって宝物だ。 わたしに素敵なプレゼントをありがとうございましたトウシンさん。 最後に嘘をついてごめんなさい。 top |