旅立ちの時

 病院の方を振り返らずに、一心に海に向かって走り続ける。
 久しぶりの外は、今までだったら何も感じなかったけれど、沢山の物が見えてくる。頬を撫でる風、コンクリートとは違う柔らかい土の地面、どこまでも澄み切った青い空、鼻腔を突き抜ける海特有の潮の匂い。命の息吹を感じるというのはこういう事なのかもしれない。
 ドクターの言うように既に体は万全と言えるくらいだった。久しぶりに走ったせいで、何度か足は縺れそうになったけど、怪我による痛みや疲労感は殆ど無い。だからなのか、こんなにもただ走っているという事がとても幸せに感じる。数日前までは考えられなかった事だ。
 外の世界を感じ、自分の体を自由に動かせるという幸福を噛み締めながら海へと向かっていると、視界にオレンジ色の鮮やかな髪の色をした人が見えてくる。

「ナミ!」
「ヒノデ!?」

 わたしの声に反応してナミが振り返る。何でここに居るの、そう思っているんだろう。ナミの顔には吃驚という表情が浮かんでいた。
 ここ数か月の運動不足のせいで、落ちてしまった体力のせいでナミの傍に駆け寄るのは少し遅いし、やっと傍に着いても、せき込んだ上、久々のそこまで激しくはない運動なのに体は精神に追いついていかないのか、目の前で何度か餌付いてしまう。

「バカ! 何走ってきてんのよ!! 自分の体の事考えて動きなさいよッ」
「ごめ、ごめッ……ごめん」

 ゲホゲホと咳き込みながら、返事を返す。確かに少し調子に乗りすぎていた。久しぶりにまともに体を動かせるという事が、自分で思っていたよりも嬉しかったみたいで、はしゃぎ過ぎていたみたいだ。そのせいで喉からはヒューヒューとか細い息が漏れる。

「もう。本当無茶ばっかりするんだから」

 呆れたような、仕方ないと言っているような、そんな口ぶりで言うナミにわたしも笑みを返す。
 ようやく走って切れた息も整ってきた所で、ナミの目の前に背を伸ばして立ち上がる。

「あのね、ナミ、わたし……!」
「決めたのね」

 わたしが本題を話そうと口火を切る前に、ナミが何もかも分かった顔で、満面の笑みを浮かべる。ここに来た時点でナミも分かっている筈だろう。わたしが出した答えを。
 ただ、ナミには本当に申し訳ないけど、わたしの答えはナミが考えているものと少し違う。

「あの、あのね……ナミ達との旅は大変な事もあるんだろうけど、きっと楽しい事もたくさんあると思うの、でもね、でも……わたしやっぱりッ! まだ……海賊になる程の覚悟は無いの」

 情けなくてごめんね。
 そう締めくくって、口を閉じる。情けなくて仕方ないとは思う。だけど半端な覚悟でナミ達の旅の邪魔は出来ない。
 何も言わないナミに、だんだんとナミの顔が見れなくなって、下を向いてしまう。視界の先には自分が履いているスニーカーと、青々とした草が生えた地面が見える。反応が怖い。いつまでも何も言わないナミに、不安が募り始めて、わたしの心の中に暗雲が立ちこみ始めたとき、ナミが口を開く。

「そう言うと思った。あんたの性格くらい把握してるわよ」
「ナミ……なら、なんでわたしを誘ったの」

 わたしが最後に今の決断をすると分かっているなら、なんで誘ったの。心に渦巻くは疑問ばかりである。

「そうね。もしも、一緒に旅してくれるなら心強いって思ったのはある。それと同じくらいあんたの事が心配なのよ」
「心配……ああ、確かにわたしは海の知識とか、その、常識とか、コミュニケーション能力とか足りないし、ね」

 わたしには足りないものが沢山ある。だからそれを心配して一緒に行こうと言っているんだろう。自分の中で出た結論に納得しかけた時、ナミにわたしの考えを否定された。

「違うわよ。初めてあんたと会った時からずっと思ってたことがあるの」
「思ってたこと?」

 ナミと初めて会った時の事を思い出す。あの時の事はある意味衝撃的だったけれど、同時にパニックに陥っていて、あまり記憶にない。一生懸命初めてこの世界に来た時の事を思い出そうとしていると、ナミの静かな笑い声が聞こえてくる。

「別にヒノデとの会話の中にある事じゃないわよ。ただ、私が勝手にヒノデに対して思ったことよ。初めて会った時からヒノデはまるでこの世界に居るのに居ないみたいで……いつか、いきなり消えちゃいそうで」

 ――心配なのよ。

 何も言葉が出なかった。なんて鋭いんだろう。いや、鋭くて当たり前なのかもしれない。ナミはわたしと違ってずっと一人で過酷な環境で生きてきたんだ。人と接するときなんかもきっと、一線引いて、人の表情や心の中を読むようにして生きてきたんだろう。だからこそわたしの違和感に気づいたのかもしれない。ナミ自身はその違和感の意味には気づいていないだろうけれど。

「だからね、これは私の我儘だったの。ヒノデ、あんたを繋ぎ止めるための。今にも私の前からお別れも無しにいきなり消えちゃいそうなあんたを」
「っ……」

 言葉を発することが出来なくて、ナミを眺めている事しかできない。

「おかしなことを言ってる自覚はあるわ。それでも、本当に怖いのよヒノデを見ていると」

 ナミの事を不安にさせているのは心苦しい。だけど言うわけにはいかない。わたしが違う世界から来たことだけは……もしかしたらわたしが違う世界から来たことをナミが知った事で面倒ごとに巻き込む可能性がある。せっかくアーロン一味の呪縛から逃れたというのに、わたしの事でまた重荷を背負わせるわけにはいかない。
 何か言ってごまかさなくちゃいけないのに、あまりにも真剣な、わたしを思って言ってくれていることが分かるナミの言葉に、嘘やごまかしで答えていいのか、ぐるぐると頭の中で何を口にするのが正解なのか必死に考えるけど、最善と言える返事は思いつかなくて、口を紡ぎ続けるわたしに、ナミは優しく声をかけてくれる。

「ごめん、変なこと言って……。あとヒノデの気持ちは分かったわ。でも、海には出るんでしょ」

 話題が変わったことにほっとしつつ、きっとわたしの微妙な反応を感じ取ってわざと話を変えてくれたナミに、感謝しかない。だからこそ、それ以外の事ではナミに対してだけは誠実でありたい。
 さっきまで見つめることの出来なかったナミの目をしっかりと真正面から見つめる。

「うん、海には出る。だけど、モンキーさん達の船には……」
「おそらくあんたの事だから、トウシンさんに隠れてドクターにでも船の用意をお願いしてたりするんじゃない?」

 まるでわたしの考えが見え透いていたかのように、これからわたしが起こす行動を予期している口ぶりで話すナミに何も言うことが出来ない。実際トウシンさんには内緒でドクターに、アーロン一味の船の中で使える物が数隻だけあって、それを使いたいと伝えていたからだ。最初反対して中々首を縦には振ってくれなったドクターも、わたしが何度も何度も粘って懇願し続けたら、納得はしていなかったみたいだけど渋々了承してくれた。最後の最後まで納得していなかったみたいだけれど。わたしとドクターの二人だけの秘密。
 だけどそれは今回の時のような保険の為に伝えていたものだった。まさかトウシンさんがわたしを無理矢理ともいえるような方法で海に出すとは思っていなかったけど。わたしが考えていたのは、トウシンさんが言うように、お祖父ちゃん関係でわたしを探し出そうとする人が居るかもしれないと考えたからだった。もしそういった人達が現れた時、海に出る船が無かったら困ると思ったからだった。
 何も言わず、おそらく表情にも動揺が出ているであるわたしに気づいてはいるんだろうけど、そのままナミは話を続ける。もしかしたらわたしに反論を許さないためかもしれない。

「だとしたら見逃せない。少なくともあんたを一人で海になんか今の状態で行かせられない」
「でもっ! モンキーさん達の船に乗るわけには……海賊になる覚悟もないのに」

 それに何よりわたしの抱えているものがナミ達にどんな影響を与えるかもわからないのに、下手に船に乗ることは出来ない。ただでさえナミ達は海賊なのだ。更に海軍に狙われれうような事はさせられない。

「だったらせめて、グランドラインに入るまでは船に乗って。それに関しては既にトウシンさんがルフィ達に交渉しているから」

 交渉って何。いつの間にそんな事。
 きっと気づいていたんだろう、わたしがもし今日この村を出ることになったとしても、ナミ達の船に乗る気がない事を全部気づいてて、それで先回りしてわたしの事を囲い込んだんだろうか、わたしが一人にならないように、優しくて温かい――ぬるま湯とも言える檻の中に。

(どこまでわたしの事を想って……)

 羽のように柔らかくて、優しい母の腕の中に包み込んでくれるようなトウシンさんの優しさは、わたしをいつだって守ってくれる。
 言葉にすらできない程のトウシンさんの優しさは、わたしの不安を全て優しく取り払ってくれるようだった。けれど、その優しさを本当に享受するだけでいいのか、それは本当に正解なのか、不安を取り払ってくれた優しさは、また新たな不安をわたしに突きつける。
 ずっと黙ったままで、その場に立ち止まったままで居るわたしにしびれを切らしたのだろう、ナミが力強くわたしの両肩をつかむ。

「とにかく、ヒノデあんたの事を一人でグランドラインに行かせるなんて無謀な事だけはさせないわ。グランドラインに正規の方法で入るにはあんたの身分を明かさないといけない。そしたら本当にその時点で海軍が必ず出てくるわ。海軍を信用していないわけじゃない。だけど、あのアーロン一味とグルになってたネズミが言ってたの……あんたの事だけは必ず海軍が奪いに来るって……私は正直、イッセンアカツキの血縁者だけでそこまで海軍が執着する意味が分からない。きっとあんたが何隠している理由がそこに隠されていると思ってる」

 理由に関しては本当に分かっていないだろうけれど、大筋は当たっている。海軍の人達がわたしを、いや……アカツキの血縁者を狙っている理由は唯一つ、わたしやお祖父ちゃん、そしてわたしの予想が正しければ、お父さんも別の世界からこの世界に来たという、常識や世界という枠組みから外れた存在だからだ。
 唇をきつく噛み締め、瞳に焦燥と不安を入り混じらせた悲痛な表情でわたしを見るナミに不誠実なことをしている自覚はある。だけど、本当の事を話すにはわたしは弱すぎる。

「私はヒノデを説得できるほどの物は持ってない。だから悪いけど――」

 次の言葉は、力強く引っ張られた右手首と一緒に、音となって言葉となってわたしの耳に入ってきた。

「無理やり連れてくわ!!」
「えっ! ナミ!?」

 わたしの右腕を無理矢理掴んで走り始めたナミに、慌てて足を踏ん張って立ち止まろうとするけれど、健康的な意味でも、体力や筋力的な意味でも今現在三か月前よりも落ちている上、元々のナミとわたしの間にある運動能力の差はとても大きいらしく、足を踏ん張る暇もなく、引きずられるようにしてきっとモンキーさん達が待っているであろう海辺へと走り出す。

「待ってナミ!! わたし行けないよ! ナミ達とは行けないのッ!!」

 いっそ縺れて転んだ方がナミを止められるかもしれない、だけど同時にナミにけがを負わせてしまう可能性が無きにしも非ずの状況が、わたしの判断を鈍らせる。

「私は今日から海賊なの! だから、欲しい宝が目の前にあるのにみすみす手放すようなことはしないのよ!!」

 だって海賊なんだから。
 最後の言葉は今までのナミなら絶対に出ない言葉だった。無理矢理引きずられるようにして走っている中で思う事ではないかもしれないけど、体の内側からじんわりと火を灯す様に安堵感が染み渡っていく。少なくとも今のナミは自分の夢へと向かって、真に進みたい道へと歩んでいこうとしているんだろうと。
 笑みが口端から零れる。良かったと、こんな日を迎えられて良かったと。
 だからこそ振りほどかなければいけない。今、わたしの右手首を力強く握りしめている手を。けれど、今のわたしはナミを巻き込んで転ばないようにするだけで精一杯で、何度か力の入り切らない腕を軽く振ってみるけれど、ビクともしない。その間も何度もナミの名前を呼んで足を止めさせようとするけれど、止めることは出来なくて、それどころかとても愉快そうに笑われてしまう。

「諦めなさいヒノデ! 海賊に目をつけられたのが運の尽きよ!」
「そんなこと言われても困るよ!! ねぇっ! ナミったら!!」

 ナミはわたしがここまで拒む理由を知らないからこうしてわたしの手を引いているんだ。事情を話すべきなのか、と思ってしまけれど、事情を話すこと自体が今後のナミ達の旅に大きな影を落とす可能性がある。どうすればナミがわたしを置いて行ってくれるのか。どれだけ考えても、ナミを巻き込んで転ばないようにするだけで精一杯の、酸素が足りなくなった頭では良い案が全く浮かばなくて、そうこうしている内にココヤシ村の人達が住む住宅街を抜け、モンキーさんのように麦わら帽子を被った海賊機が掲げられている、わたしが想像していた海賊船とは対極に位置しそうな可愛い羊さんが船首像のモチーフになっていて、船全体の造りも凄く可愛い。確かあれはキャラヴェルと言うタイプだったと思う。トウシンさんに教えてもらった事をわたしが間違えて記憶していなければ。
 ナミを呼ぶ声はもう息も絶え絶えで、本当に着いていくのだけで精一杯だ。そうこうしている内にも既に船はもうあと数百メートル先で、船の前にはココヤシ村の人達が集まっている姿が顔が視認できるくらいの場所まで来てしまった。ナミも皆が集まっているのが分かったのだろう。一度立ち止まると、大きく声を上げる。

「船を出して!!!!」

 ナミの大きな声に海の方を見ていた村の人達がこちらを見て、口々にナミとわたしの名前を言うのが聞こえてくる。
 ここで本当に引き返さないと、わたしはあの海賊船に乗ることになる。

「ナ、ナミ……!! おね、がいッ! わたしを――」
「置いてかないわよ。絶対に」

 先に言われてしまった言葉は、とても重くて、力強かった。
 振りほどかなくては、そう思う前にナミに再び先程よりも力強い手で引かれて走り始めてしまう。まさかこのままナミは村の人達にお別れを言わないつもりなのかもしれない。わたしと同じように。
 海賊機と同じように麦わら帽子を被ったドクロが描かれた帆が大きく、風を受けてその姿を大空の元、はためかせる。その堂々とした姿は、これから大海原に出るナミ達にとても似合った荘厳な海賊船だった。

「止まれナッちゃん!! ヒノデちゃん!!!」
「礼ぐらいゆっくり言わせてくれ!!!」

 焦る村の人達の群れにナミに連れられて村の人達の元に突っ込んでいく。その間にも「出向―!!」と言う高らかな声と共にモンキーさん達の船が船着き場を離れ出航してしまう。

「ナミ、ヒノデ待て!!! そんな勝手な別れは許さんぞ!!!」

 ゲンゾウさんの静止の声を無視して、ナミは村の人達の間を不自然にくねくねと数字の八の字でも描くように走り抜けると、そのままわたしの手を引いたままあろうことか、船へと飛び乗るつもりなんだろう、足に力を入れるのが一緒に走っていて分かった。
 まずい、わたしがこのままナミに引きずられたままだったら、ナミごとわたしは海に落ちてしまう。何よりわたしに――悪魔の身の能力者にとって海は最大の敵だ。
 無意識のうちに防衛本能が働いてしまったのかもしれない。ナミが足を踏み切ると同時に、わたしも一緒に海との境目の乗り場を蹴り上げてナミと一緒に海を飛び越え、船に乗ってしまう。が、横で軽やかに船尾に着地したナミとは真逆に、わたしは片手に持っていた荷物を放り投げてしまった上、両手で体の衝突を支えることもできずに、無様にも大の字とまではいかないけれど、それに近い形で木材で出来た床に顔面ごと全身を打ち付ける。幸いにもナミは船に飛び乗った瞬間にわたしの手を手放したらしく、巻き込ませて転ばせることだけが無かったことだけは良かった。

「おい、大丈夫か……」
「顔面から行ったぞ」

 未だに床で全身の痛みに耐えているわたしの頭上で、ロロノアさんとウソップさんの心配する声と、呆然としたような呆れた声が聞こえてくる。やめてほしい、余計に顔を上げにくい。恥ずかしくていられない。
 こもるような全身の痛みと、羞恥心と言う精神的な痛みに耐えながらゆっくりと四つん這いになりように体を起こすと同時に、横で色も形も様々な財布が雨が降るかの如く床に落ちるのが視界の端に見えた。何故かナミのトップスのTシャツの中から。
 何故船に乗る時村の人達の間を縫うように走ったのかが今分かった。あの走り抜けている間にナミは村の人達の懐から財布を抜き取っていたらしい。
 いつの間に……一緒に走っていたわたしですら分からなかったんだから、村の人達は余計に分からなかっただろう。現に今ナミがとても良い笑顔で財布から抜いたお札を島に居る皆さんに見せつけている。

「やりやっがた、あのガキャーーーッ!!!」
「ナミ、それ泥棒……」
「あら、だって私元々泥棒よ」

 あははと笑顔を浮かべながらわたしの手を掴んで、立ち上がらせてくれたナミに倣うように手摺に手をかけて、もう戻ることは出来ないだろうココヤシ村へと目を向けた。最初は怒っているような毛尾を上げていた村の人達も、次にはナミやわたし達を応援するような声や感謝の声が聞こえてきた。その中に交ってゲンゾウさんの声も聞こえてくる。

「小僧!! 約束を忘れるな!!!」
(約束……?)

 目線的にモンキーさんを見ているから恐らくモンキーさんとした約束なんだろう。モンキーさんもゲンゾウさんの言葉に応えるように力強く親指を立てた。ゲンゾウさんの必死で何より固い意志のこもった瞳と、モンキーさんの様子からきっととても大事な約束事なんだろうと思える。そしてその約束の中身はきっと……。
 今まさにわたしの左手を掴んで、満面の笑みで大空に向かって突き上げたナミに関係するものだろう。

「じゃあねみんな!!!! 行って来る!!!!」

 太陽が燦然と輝くような、とびっきりの笑顔でゲンゾウさん達に手を振るナミに、わたしの口元も思わず緩んでしまう。ナミのこんな笑顔を見れる日が来るなんて思ってもみなかったから。
 だけど、この展開はわたしの望みではない。このままわたしはナミ達とは別れるべきだったのだ。なのに今、モンキーさん達の船にナミと一緒に乗船している。ましてやここは海の上、陸に居た時遠目から見てもこの船に脱出用の船は無かった。それはそれでどうかと思うけど。とにかく今のわたしにこの船から降りる術はない。悪魔の身の能力者は海に嫌われている。
 船から降りる術が見つからず、ただ静かにココヤシ村の方を見ているわたしの手を、手を振って無い方の手でナミが空へと突き上げる。突然手を突き上げられて、吃驚してナミの方を見ると満面の笑みでわたしを見た。

「腹括りなさい。目をつけられたのが悪いのよ」
「まるで、わたしが悪いみたいな言い方だね……」

 何とも海賊らしい言葉に、本当にこれからナミはこの船で海賊として生きていくのだと、思わされた。そしてナミはナミの考えでわたしの為に一緒に船に乗らせようとしている。

「だって、そうじゃない。最初にわたしに近づいてきたのはヒノデなんだから」

 諦めも肝心よ。なんて、いたずらが成功したみたいな表情で笑みを浮かべるナミに、ここまでされたらわたしももう何も言うことが出来なくて、微かに口元の骨格を上げるだけしかできなくて、傍から見たら凄く歪な笑みにしか見えなかっただろう。最も下を向いていたわたしの笑みを見ることが出来る人は居なかっただろうけれど。
 つられるようにして上げられた腕を、ぎこちなくも少しずつココヤシ村の皆に向けて振り返す。顔を上げて再度目を向けたココヤシ村の人達の中に、トウシンさんの姿も見えた。

(全部お見通しだったのか……)

 そりゃそうかと、心の中で納得する。わたしなんかよりも経験豊富で聡明なトウシンさんを騙すなど最初から土台無理な話だったのだ。
 多分ナミは意地でもわたしを一人にはしないだろう。けど、わたしはナミ達の為にこの船を絶対に降りる必要がある。それだけはそれこそわたしに何か奇跡でも起きない限り絶対だ。
 だけど今だけは――。

(最後の別れを笑顔でしたい)

 さっきまでの骨格だけ上げただけの笑みを、わたしなりの笑みを口元で瞳で、全身で表して、ナミに繋がれた手首を一度優しくほどき、今度はわたしからナミの手に自分の手を絡ませてココヤシ村に向けて大きく腕を振った。
 手を握ったのを嬉しく思ってくれたのかもしれない、ナミもわたしの手を力強く握り返してくれて、更に大きく二人でココヤシ村に向けて腕を振った。
 当初の予定とは大幅に狂ったけれどここから始まるんだ……わたしの、元の世界に帰る為の旅は。


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