深淵との邂逅

 ローグタウンに足を踏み入れたわたしとナミは、町に入る前にわたしが言った、奢らせてという宣言通りにナミに奢ったのはいいけれど――、

「ナミ本当に飲み物だけでいいの?」
「だから、さっきからそう言ってるでしょ。これ以上言うと怒るわよ」
「でも……」
「でも、じゃない」

 ナミがわたしに買わせてくれたのは、四百ベリーのオレンジのフルーツジュースだけだった。ジュースだけじゃ気が治まらない。と何度も言ったけれど、聞く耳もたずで、しまいにはほっぺたを思いっきり抓られて、事態は無理矢理収束されてしまった。まさかほっぺたを抓るという暴挙に出てくるとは思わなかった。
 まだ少しジンジンする右側のほっぺたを優しく擦りながら、わたしもナミとは味は違うけれど一緒に買ったマスカットジュースを飲む。果汁百パーセントを売りにしているだけあって凄くおいしい。前の世界の百パーセントジュースよりもおいしい気がする……やっぱり何か違うのかな?
 今まで飲んだ中で一番おいしいであろうフルーツジュースに舌鼓を打ちながら、左横に居るナミに目を向ける。

「あの――」
「ジュースの事言ったら怒るわよ」
「う……言いません。ナミは何かこれっていう買い物があるの?」
「分かればいいのよ。そうね〜」

 もう何も言わないわたしに満足げな顔をすると、ナミはあたりの店を見まわしてから、何か気になるお店でも見つけたのか、一点をその長い指先で指し示す。

「あのお店なんかどう?」
「え? あのお店? 凄く高そうなお店に見えるけど……」

 ナミの指が差し占めたお店は、他の立ち並んでいるお店とは外観からして一線を画すような佇まいで、生まれも育ちも、はたまた中身さえも田舎者のわたしは気後れして一歩後ずさろうとしたが。

「どこ行く気? ヒノデ?」
「ナミ……」

 逃げようとしていたのがバレていたのか、ジュースを掴んでない方の手で、ナミがわたしの手首を握りしめていた。正直犯人を連行する手錠をかけられている気分だ。

「それじゃあ行くわよヒノデ?」
「はい」

 もうこうなったら行くしかない。ナミの満面の笑みの瞳の奥に「絶対に逃がさない」と言う気持ちが込められているのを見てしまえば。

 殆ど引っ張られるような形で店に入れば、中からわたし達がお店に向かってきているのが見えていたのだろうか、なぜか髪の毛がハンガーみたいになっている店主さんだろう人が満面の笑みで駆け寄ってきた。だけどそこからはナミの独壇場だった。ナミは目についた気に入った衣装を数十点見繕うと、試着室に入ったと思った、一人ファッションショーを繰り広げ始めていた。

「どお?」
「おおっ!! お似合いでお客様っ!!」
「ナミセレブみたい!似合ってるよー!」

 毛皮の上着が目を引く服を着たと思えば。

「どお?」
「ほーっ!!エレガントでお客様っ!!」
「女スパイみたいで素敵だよ!」

 今度は深くスリットが入った大胆な服を着るナミに、店長さんと一緒に称賛の声を上げる。実際ナミはさっきからいろんな衣装を着て、試着室から姿を何度も表しているが、本当にどんな洋服も完ぺきに着こなしていて、今ナミが着ているような洋服を逆立ちしても着こなせなさそうなわたしは、ファッションショーを見ているような気分で楽しくなってきてしまう。きっとわたしでここの洋服店の服は着るというよりも、着られているという風になってしまうだろう。
 目の前で繰り広げられるナミのファッションショーに興奮していると、試着室で着替えていたナミがカーテンの隙間から顔だけ外に出して、ちょいちょいと私を手招く。
 なんだろう? そう思いながら試着室に近づくと、ナミはわたしの耳に唇を寄せて囁いた。耳にかかる吐息が擽ったい。

「ヒノデも好きなところ見てきていいわよ? 私の着替え見てるだけじゃ暇でしょ?」
「そんな事ないよ。ナミのファッションショー見てるの楽しいし」
「ファッションショーって……とにかく私もう少しここで洋服見るから、ね? 時間もなくなっちゃうし、ヒノデも色々見てきた方がいいわよ。次着いた島が安全かどうかなんて分からないんだから」

 その、次に着く島までわたしが居るかどうかは分からない。なんてナミに言うことも出来なくて、わたしは苦笑いを浮かべながら、ナミの言葉通りに、他のお店を見に行くことに決めた。ナミが居ないのは不安だけれど、いつまでもナミの金魚の糞では自分一人で旅する時に色々困ることになるだろう。

「じゃあ、他のお店見てくるね」
「ええ、じゃあ後で中央の広場で落ち合いましょう」
「分かった」

 こそこそと話を終えると、わたしは不思議そうにこっち見ている店長さんに軽くお辞儀をして、お店を後にした。

◇◇◇

「改めてみてもすごいな〜……」

ナミと別れて一人で町中を散策し始めてもやはり、自分が住んでいたところと全く違う世界なのだと言うことを再認識させられる。まるで一昔前を題材にした洋画のセットのようで、やっぱり興奮してしまう。

「わ〜……本当映画みたい」

 旗から見たらすごく浮かれてるように思われてしまうかもしれないけど、許してほしい。映画の中でしか見ないような世界が作り物としてではなく、本物として実在していて、今わたしもその世界の中に居ると考えると、どうしても浮足立つ気持ちを抑えきれない。
 完全に観光気分でステップを踏むように周りを見渡しながらメインどおりを歩く。もしかしたらお上りさん感が出ているかもしれないけど、この時ばかりは気にならなかった。
 ルンルン気分で歩きながら、とりあえず目についた目ぼしいお店に立ち寄ろうとした時、後ろから力強く肩を掴まれる。突然肩を掴まれた驚きに声を上げながら、びっくりして後ろを振り返ると、そこに居たのは一目見ただけでハッとさせられ、緊張してしまうほどの綺麗な顔をした男の人だった。身長はサンジさんよりも低いだろうけど多分ウソップ君よりは高い、艶のある黒髪と深い黒目が特徴的だ。服の上から見た感じでは線も細く見える。かっこいいやイケメンと言うより、男に人に使うべき言葉じゃないかもしれないけれど、美人という言葉が似合う品と艶をうまく両立させた男の人だった。仕立てのいい紺と黒で纏められたジャケットやスラックスが品の良さや男の人の顔立ちを更に際立たせている。年は恐らくサンジさんよりも少し年上くらいかもしれない。
 突然登場したあまりに綺麗な男の人に、一歩後ずさってしまう。

「すみません。突然驚かせてしまって」
「い、いえ……あの何かしましたか、わたし」

 凛とした透き通るような声に、綺麗な人は声まで綺麗なのかと感心する反面、そのあまりにも作り物じみた綺麗な風貌にある種の畏怖も覚えてしまい、逃げ腰になってしまう。
 わたしが気後れしているのに雰囲気や言葉から気づいたのだろう、男の人はその作り物じみた表情に苦笑いを浮かべて、慌ててわたしの肩を掴んでいた手を離すと、何もしないというアピールのように両手を胸の前で広げる。

「いきなり驚かせてすみません。実はぼく記者をしていまして、今ローグタウンの取材をしているんです」
「そうなんですか。えっとそれで……」
「はい。お姉さん観光客の人ですよね? さっきからキョロキョロして物珍しそうにお店とか見てたのが目について、もしお時間があれば観光客の人から見たローグタウンって言うのを載せてみたくてお声をかけさせて頂いたんです」

 にこにこと笑顔で話しかけてきてくれる男の人に少しずつ警戒心も薄れていく。

「あの、お役に立てるかは分からないんですが」
「良いんですよ。気にった所などを言っていただければ」

 そう言いながら柔らかく微笑む男の人に、思わず顔に熱がこもるのが分かった。美形の人怖い、思わずそんな感想を抱いてしまう。そんなわたしの心情など気にせず、もしかしたら気づいているけれど、慣れていて気にしていないだけなのか、例えばどこですか? と告げられて、慌ててわたしもローグタウンの素敵だと思ったところを身振り手振りを交えて興奮交じりに話してしまう。はっきり言って男の人にちゃんと伝わっているのかさえ微妙だけれど、男の人はたまに頷きながら手に持った黒いメモ帳に何かを書き込んでいる。
 興奮しきりなまま話し終えたわたしは、今更ながら容量を得ない話だった気がして不安になりながら男の人を見上げると、男の人はパンっと黒いメモ帳を閉じて、嬉しそうに「ありがとうございます。いい記事が書けそうです」と言われて、ほっと胸を撫でおろす。

「わたしの方こそ貴重な経験ありがとうございました。お役に立てて光栄でした」

 深く男の人に頭を下げて、それじゃあと言って背を向けて今度こそお店を少し巡ろうかとした時――。

「ぼくの方こそありがとう。アカツキヒノデさん」

 涼やかな声で名前をフルネームで呼ばれて、え……? と声を漏らしながら振り返ると、カメラ独特のシャッター音と眩しい光に目がくらみ、一瞬何が起こったのか分からず、思考が止まるけれど、再び透き通るような美しい声で名前を呼ばれ、またねと言う再会を暗示させるような言葉に、霞む目で急いで男の人の姿を探すと、軽くこちらの様子を微笑みながら見る男の人が、狭い路地裏に入っていったのが見えて急いで霞む目を擦りながら後を追う。
 おかしい、この世界で初対面でわたしの名前を呼ぶなんてありえない。わたしはこの世界に本来なら存在していないのだから。
 走っているからと言う理由だけで騒いでいない心臓に、焦りを感じながら路地裏の壁に沿っておいてある酒瓶や大きな木箱を避けたり倒したりしながら後を追う。
 まずい、わたしの名前を知っている時点であの人は普通じゃない。
 焦りばかりが先立ち、周りが見えていなかったのだろう。男の人の背にようやく追いつけそうな所で曲がり角を右に曲がったのを視界に入れて、わたしも続けて曲がり角を右に曲がると、パンっという何かが破裂するような音と同時に、左肩に強烈な痛みが走り、その場に膝をついてしまう。
 焼けるような痛みが走る左肩を抑えると、ぬるっとした嫌な干渉が掌を襲い、目を左肩に向けてみると、真っ赤な血が腕を伝い、時代を感じる石畳の埃を被った地面を真っ赤に染めていた。
 ――撃たれたんだ。
 この世界に来てから何度か聞いた先程の破裂するような音、そして左肩を見て自分が撃たれたという事に気づくのに時間はかからなかった。
 恐る恐る前を向くと、予想通りさっきの男の人がその右手に銀色に輝く拳銃を握っていた。銃口からは細く硝煙が上がっている。

「普通危ないと思わないか。こんな路地裏にくるなんて」

 さっきまで男性を取り囲んでいた柔らかい雰囲気は一変し、今は近付く者を全て切り裂かんばかりの冷たい空気が男性を覆っていた。表情も先程までのにこやかさとは打って変わり、笑ってはいるが、それはわたしに対する侮蔑や嘲笑を含んだものだった。
 鳴り騒ぐ心臓と、左腕の痛みに震えながらゆっくり立ち上がる。
 逃げなければ――そう思うのに、男性の凍り付くような雰囲気にのまれて、立ち上がることだけで精一杯だった。

「能力者とは……予想外の収穫だな」

 男性の視線が左肩に注がれて、わたしも左肩を見ると、血が結晶化して傷口を塞いでいた。ご丁寧に左腕を伝うように流れていた血も無くなっているのを見るに、きっと傷口を塞ぐ糧になっているのかも知れない。
 そうだ、能力だ、能力を使えばいい。頭の中ではそう何度も自分自身が怒鳴るのに、完全に男の人の雰囲気に呑まれて、能力が発動できない。その間にも拳銃の照準がわたしに再び向けられる。

「厄介だから戦えないように、もう少し傷つけておくから動かないでくれよ。下手に照準を外して使い物にならなくさせたくないんだ」

 トリガーに手がかけられ、銃口がわたしの方を向く。今度はどこを狙っているかはわからない。だけど早く逃げるなり、戦うなりしなければいけない。なのにわたしの体も能力も全く動かない。ただただ目の前の処刑人に刑を執行されるのを待つ罪人の様に。
 遂にトリガーがわたしに向かって引かれ、再び私を襲うであろう痛みに、目をきつくつむんだ時、右肩を力強く掴まれ、引き寄せられる。
 引き寄せられた先で一番最初に感じたのは、服越しに感じる温かなぬくもりと、ここ最近何度も安心感を感じた優しい匂い。遅れて頭上から聞こえてきたのは、予想通りの声。この世界に来てから何度もわたしがピンチの時に助けてくれた声――、

「――何してんだ」
「ロ、ロノア、さん……?」

 肩を引き寄せられ、後ろから守るように胸元で抱きしめられているわたしが、見上げ先に居たのは、眉間にしわを寄せ、男性を見据えているロロノアさんの姿だった。


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