強くなるまで泣かせてください 空を見上げれば雲一つない絵に描いたような大空。息を大きく吸い込めば、潮風と一緒に家庭菜園の土独特の匂いと、ガーデニングの花の香りが混ざり合って、良い香りとは言えないけれど、リラックス出来る香りだとは思う。 「よし! 今日も一日頑張ろう」 この世界に来て、既に三か月と言う時が立とうとしていた。 約三か月前この世界に来たわたしは、ナミさんと言うこの世界のメインキャラクター? に出逢って、この世界でわたしを探している人がいるという事を知り、その人の元まで案内してもらって、件の人物に会ったところで意識を失ってしまった。沢山の事が一気に起こったせいで、自分でも知らず知らずに少しの時間で相当なストレスが溜まってしまって気絶してしまったという事が私を探していた人──トウシンさんの意見だった。 「おはようヒノデ。今日も元気そうでなによりだ」 「はい! おはようございますトウシンさん」 玄関から出てきたトウシンさんに頭を下げて朝の挨拶をする。わたしの返事を聞いてトウシンさんも満足したのか、笑顔を返してくれる。目の前に居るトウシンさんにはどれだけお礼を言っても言い足りないくらいにお世話になっている。 三か月前突然目の前に現れたわたしを匿ってくれ、村長さんや村人の人達にも話をつけてくれ、なによりわたし達の世界には存在することの無い、人間よりもはるかに強い魚と人間をかけあわせ魚人と言う相手にも話をつけ、十万と言う大金を月に一回払わせてしまっている状況だ。 「今日は何をしますかトウシンさん? わたしに出来る事は何でも言ってください」 「ははは、頼もしいな。じゃあ、今日はそこのトマトを採ってくれるか? そろそろ頃合いだと思うんだ」 「はい! トウシンさんは休んでいてください。昨日から腰の調子悪いんですから」 「そうか? うん。じゃあ、悪いな。そうさせてもらうよ。何かあったら言うんだぞ」 「分かってますよ」 昨日から腰を痛めているトウシンさんに、腰と同じくらいにあるトマトの収穫なんてさせるわけにはいかない。更に腰を痛めてしまう事になる。 少し不満げな顔をしていたけれど、ちゃんとお家の中にトウシンさんが入ったのを確認にして、地面に片足をついてトマトの収穫を始める。この世界に来て本当に色々な事があったと思う。三か月前の記憶は未だに強烈過ぎてわたしの脳裏にしっかりと刻み込まれている。 トウシンさんに出逢ってすぐ気絶してしまったわたしは、トウシンさんの既に故人となっている奥さんのベッドにわたしを運んでくれたみたいで、目覚めた時は本当にびっくりした。パニック状態になっているわたしをトウシンさんは根気よく慰めてくれて、この世界におけるわたしと言う存在。そしてお祖父ちゃんについて教えてくれた。 トウシンさん曰く、わたしの予想は当たっていたみたいで、お祖父ちゃんはわたしが生まれる前にこの世界に来ていたそうだ。実際お祖父ちゃんはわたしがまだ物心つく前の頃に、半年ほど行方不明になっていたとお父さんから聞いたことがある。そして一年後ひょっこり戻ってきたとも。元々いきなり旅行に行ってそのまま数か月帰ってこないとか、そう言う所があるお祖父ちゃんだったと聞いていたからあんまり気にしていなかったけれど、まさか漫画の世界に来ていたなんて……。 お祖父ちゃんはこの世界に来ていた時に産まれて間もないわたしの写真を仲間の人達に見せて回っていたらしく、名前まで教えて貰っていたからわたしの事をトウシンさんは知っていたみたいだ。ただ、産まれたばかりの写真なんて当てにならないんじゃないかとは思ったけれど、トウシンさ曰くとにかく雰囲気が似ている、他の人達とは纏っている雰囲気が違うと言われた。それこそ、白い紙に黒インクが落とされたかのように目立つというよりも、存在が浮いていると言われた。浮世離れなんて言われたけれど、本当に文字通りの意味でこの世界の人間ではないので浮世離れだろう。 それにしても、お祖父ちゃんが生きていた頃に聞いた『海賊だった』と言う話は本当だったみたいで、しかもトウシンさんまでもお祖父ちゃんと一緒に海賊をやっていたと聞かされた時は本当に驚いた。 トウシンさん自身は海賊業? を途中で終えた後、別の島で今は亡き奥さんと出会ってこの島に根を降ろしたらしい。 今もだけど海賊話なんてお祖父ちゃんが小さいわたしをあやす為の作り話だと思ってた、こうして別の世界に来て、トウシンさんから話を聞かなければ信じていなかっただろう。 海賊話も小さい頃は面白おかしくしてくれていたけれど、小学校低学年の時にお父さんが事故で亡くなって、入退院を繰り替えてしていたお母さんの体調が悪化の一途を辿って、中学生に上がる前に亡くなったのと比例するように一切海賊の話をしなくなってしまって、元の世界に置いて来てしまった航海日誌も隠すようになってしまったから余計にだ。お祖父ちゃんがなくなった後遺品整理で見つけたから、捨てるに捨てられない大事な宝物だったのかもしれない。 お祖父ちゃんの真実を教えてくれたトウシンさんは、その後元の世界に帰るまでこの世界で生活する上での知識や注意など点を教えてくれた。 この世界での通貨、危ない人間の見分け方、海賊に海軍、この世界の地理や、基本常識等々――わたしが今後生活する上で知っていて損の無い事を教えてもらった。 その中でも特に注意するべき点として教えてもらったのは、わたしが別の世界から来たという事、お祖父ちゃんの血縁者だと言う事を人に言わないという事だった。お祖父ちゃんはこっちの世界では伝説の刀鍛冶として名を馳せたらしい。いや、伝説って何? とか、お祖父ちゃん何やってるの? とかもう色々言いたいことはあるし、正直伝説とか言われても全然ピンと来なくて、漫画やゲームのようなフィクションの世界としか思えない。 実感は全くわかないけれど、事実こちらの世界では有名みたいで、お祖父ちゃんの──伝説の刀鍛冶の孫娘なんて、お祖父ちゃんが打った刀の居場所を知っていると言う情報源として捕えられてしまう可能性があるから、と言う話だった。 もう一つ、特にこちらの方が重要なのだが──わたしが違う世界から来たという事は絶対に人に言ってはいけないと言われた。自分の事も危険に晒すが、話した相手を危険に晒す可能性があるからである。 そもそもわたしやお祖父ちゃんの出生自体がこの世界に一切存在しないのが、裏の世界や政府などでは疑問視されていて、探っている人が多いようだ。それはそうだろう、わたし達はこの世界の住人じゃないんだから。 だから私がとった記憶喪失と言う選択は結果的にプラスに働いたみたいだ。 (トウシンさん以外の人達に嘘をつき続けるのは辛いけど……嘘をつき続けなければわたしの命も、そしてわたしの秘密を知った人達も危険に晒すことになる) これから生活していくうえで、人と一線を引きながら付き合わなければならないという事が、重くわたしに乗りかかる。簡単に言えば上辺だけの付き合いをしなくてはいけないという事だ。ただでさえ別の世界に来て不安だと言うのに、その上、人付き合いさえ一定の距離を定めなければならない。 (トウシンさん以外の人と壁を通してでないと接することが出来ないのは凄く辛い) せめて一人、もう一人だけでいいから線引きしないでいい人が欲しい。 そんな事を考えると必ず頭に思い浮かぶ人がいる。 (ナミさん……あの日から会ってない。同じ年代の女の子って言うのもあるけど、なによりこの世界で一番初めに会った女の子で、トウシンさんの所まで案内してくれた女の子だ。出来れば友達になりたいけど……関わらないでって言われちゃったんだよね) この世界に来て数日たった時、関わらないでと言われても、さすがにお礼だけは言っておきたくて、再びナミさんに会ったときにお礼を言う前に言われた言葉が、わたしに重くのしかかる。二度も念を押すように関わらないでと言われたのは、おそらくナミさん側に何らかの関わってほしくない事情があっての事だとは思うのだけれど、とにかく拒絶されてしまったからには、うかつにナミさんに近づくことは出来ない。 二回も同じことを言うのはよっぼどの事が無いとありえない。 (こんなに悩むことになるなら友達に漫画借りてちゃんと読んでおけばよかった) 後悔したって後の祭りだけど、後悔せずにはいられない。記憶にあるのは目の前で楽しそうにワンピースと言う漫画を読む友達の姿だけだった。本当に何であの時わたしにも貸してと言わなかったのか、悔やんでも悔やみきれない。 「後悔しても仕方ないよね」 少しでも読んでおけば、ナミさんが何でわたしに関わらないでと言ったかも分かると言うのに。それに村の人達のナミさんへの態度も気になる。皆ナミさんを避けているような感じなのに、その反面とてもナミさんを心配しているように思える。トウシンさんに話を聞いていみても言葉を濁すばかりで、何も教えてくれない。この世界に来て三か月くらいしか経ってないわたしに、そんな簡単に村の事情を押してくれるとは思っていないけど、逆にそれが余計にわたしの心に孤独と言う二文字を刻みつける。 それにもし運よくお祖父ちゃんと同じように元の世界に帰れたとしても、時間軸がどうなっているか分からない。お祖父ちゃんがこっちの世界で過ごした年月は二年間らしい。でもわたしの世界でおじいちゃんが居なくなっていた期間は約半年──わたしの世界と、この世界での時間が全くあっていないのだ。こっちの世界の時間の進みが早いのか、それともわたしの世界の時間の進みが遅いのか、もしくはランダムで時の流れが変わっているのか……どちらにしろ、わたしがもし帰れたとしても元の世界がどうなっているか分かったものじゃない。帰ったとしてもどんなふうになっているか分からない。 わたしだけが他の人と違うかもしれないんだ。 最後のトマトを収穫し終え、空を見上げる。 帰っても孤独、だけどこの世界に居ても孤独。本当の意味でわたしの居場所がなくなってしまうと言う恐怖に、この三か月間追い詰められている。多分トウシンさんもその事には気づいているんだろうけど、何も言ってこないのは凄くありがたい。わたしにここまでよくしてくれるトウシンさんに八つ当たりなんてそんな最低なことしたくはない。 不安と恐怖を体の中から吐き出すように、ゆっくりと息を吐き出すと、トマトの入った籠を持って家の中に入る。 「トウシンさんトマト取ってきました!」 「ああ、ありがとう。そこのテーブルの上に置いておいてくれ」 「はい」 ルッキングチェアに座りながら新聞を読んでいるトウシンさんを横目に、ダイニングテーブルに籠を置く。 「何か面白い記事ありました?」 「いや、どこもかしこも物騒な事くらいしか分からないな。ヒノデも読むか?」 「いいんですか?」 「いいぞ。新聞とかの方がこの世界の情報も入って来やすいしな。それに何よりもこの世界の文字の勉強にもなる。分からない言葉があったら聞きなさい」 「すみません。その時はお願いします」 もう読み終わったと言うトウシンさんの手から新聞を受け取って、リビングにあるソファに腰掛けて元の世界から持ってきた英和辞書を片手に新聞に目を通す。 この世界に来て一番初めに困ったのは文字だった。こっちの世界は元の世界で言う英語が言語となっているから、簡単な単語や文章は読めても、それ以上となると完全にアウトだった。耳で聞いてる言葉やわたしが発している言葉は日本語なのに文字は英語なんて本当に意地悪と思うべきか、それとも話す言葉や聞く言葉だけでも日本語であるという事を嬉しく思うべきなのか。 辞書を引きながら自分が一番今欲している単語と読める単語や文章だけピックアップして一旦読んでみても、どこの記事にも、どの海賊の賞金が上がったとか、どこの町が襲われたなどばかりが書いてあるだけだった。この世界は本当に物騒という事しか書いてないし、自分の英語力の低さも更にわたしに重くのしかかって、思わず肩を落とす。 わたしの落胆が傍から見ても分かったのか、トウシンさんが労わるように声をかけてくれる。 「焦るなとは言わないが、焦り過ぎても大事な事を見失うぞ。帰る方法にしても言語力にしてもな」 「それは分かっているんですけど……でも、早く言葉を覚えなくちゃトウシンさんにご迷惑がかかりますし。それに、帰らないとわたしの存在がどうなっているのか」 「それもそうかもしれないが」 言いたくないけれど、愚痴が零れそうになってしまう。さっきトウシンさんに八つ当たりのような事はしたくないと心に誓ったのに。なにもかもこの三か月何の情報も得られない事が原因だ。 この三か月、わたしはこの世界の言葉以外の一般常識的な事はほとんどマスターしたけれど、一番大事な元の世界に帰ると言う方法は一向に見つけられるどころか、別の世界と言う単語すら聞かない状況だ。トウシンさんの言う通り焦っても状況は変わらないけど、こうしている間にもわたしの住んでいた世界と、この世界での時間の進み方が変わっているかもしれないし、何より元の世界での私がどうなっている変わらないんだ。 わたしの不安や不満が分かったのか、トウシンさんは申し訳なさそうな表情をする。トウシンさんにそんな表情をさせたいわけじゃないのに。どうしても自分の気持ちがコントロールできない。 「焦る気持ちも分かる。だが、今はじっとしててくれ。魚人達の支配が終わるときまで」 「はい。それは勿論分かってます」 「魚人達の支配が終わったら、違う島に情報を探しに行くと言う手もある。今は耐えてくれ」 「はい」 元の世界に帰る方法を探すのに手間取っている最大の原因は、魚人の人達にこの島が支配されていると言うのが一番大きかった。トウシンさん達は魚人の人達の支配がいつかは終わると思っているようだけど、本当にそんな時が来るのかわたしには分からない。村の人達は確信があるような口ぶりだったけど。 全く進展を見せない現状に、悔し涙が溢れそうになって、顔を隠す様に俯く。トウシンさんや村の人達の方がわたしなんかより辛い目に長い間あっているのは分かっているけど、それでもやっぱりわたしは直ぐにでも元の世界に帰れる方法が知りたい。 顔を俯かせて必死に涙が溢れそうになのを耐えているわたしを、トウシンさんが優しく抱きしめてくれた。 「本当にすまないなヒノデ。本来なら巻き込むべきではないヒノデをこんな事に巻き込んでしまって」 一番辛いのは、自分達の故郷を理不尽によその人達に支配されているトウシンさんなのに、トウシンさんはいつもわたしにいつも優しくしてくれて、そして謝ってくる。 トウシンさんが悪いわけじゃない。悪いのはこの村を暴力で支配して、悪魔の様に蹂躙している魚人の人達だ。それなのにわたしはこの世界を責めてしまう。 (すみません。トウシンさんもっと強くなりますから、もっと強くなりますから。だから今だけは──) ──トウシンさんの腕の中で自分勝手な気持ちでなくことを許してください。 top |