最後まで共に ルフィくんに振り落とされないように、時折意識が薄れるのを耐えながら、全身を使う勢いで必死にしがみつき、アーロンパークに向かってもらっていると、突然急ブレーキで止まったルフィくんに振り落とされそうになり、更に強く首にしがみつく。 「あれがアーロンパークか?」 「そ、そうです……。あれが、アーロンパーク……」 目で指し示された場所には、わたしをナミさんをみんなを苦しめたアーロンパークが、我が物顔でココヤシ村の誰よりも豪勢な姿で存在していた。 (魔王のお城みたいだ) じわじわと体を侵食し始めるものは怒りなのか、恐怖なのか、体が意図せず強張ってしまう。 よっ! と言いながらルフィくんが両手で地面に降ろしてくれるけれど、降ろしてくれた両腕を縋るように掴んでしまっていた。 「大丈夫か?」 「え?」 「顔色さっきよりも悪ィぞ。震えてるし」 「あ……これは、ちがくて」 しっかりしなきゃ、わたしなんかのことで手を煩わせちゃダメなのに。アーロンパークの目の前にみんなが居た、早くしなくちゃいけないのに。 落ち着かなくちゃと思えば思うほど、心臓は鼓動を早め、呼吸は浅くなる。喉に何かを詰め込まれたかのように息ができない。 ヒューヒューと音を立て始めた喉に、自分の体なのにコントロールすることが出来ず、息苦しさに視界が灰色と化し始めた時、優しく肩を叩かれる。 「ほら、これ」 叩かれた肩の方を振り向くと、わたしに松葉杖を差し出す緑の髪の男の人と、鼻の長い男の子と金髪の男の人がいた。 「これなきゃ立てねェだろ、その体じゃ」 「そうなのか?」 「いや、その……」 「ルフィ……お前はもう少し考えろ、見りゃわかんだろ」 「でも、ゾロは今動いてるだろ?」 「おれと一緒にすんな!」 再び目の前で言い合いを始めてしまった二人に、息苦しかった喉は徐々に元の呼吸へと戻っていく。お二人ともわたしの緊張を和らげるような、そんな意図はないのかもしれないけれど、さっきまでの恐怖は少しずつ離散していく。 「ありがとうございます」 「おう」 差し出された松葉杖を、今度はちゃんとルフィくんから両手を離して受け取る。今度は震えず離すことも受け取ることもできた。 アーロンパークは怖い、建物を見るだけで虫が足元から徐々に這ってくるような恐怖に体が震えだす。あの地獄のような、終わることのない拷問のような日々が体にまとわりついて動けなくなる。だけど来ると決めたのはわたしだ。 「本当にありがとうございます、急いでいるのに連れてきていただいて」 「気にすんな! 行くところは一緒だったんだしよ」 「ほっといたら這ってでも行きそうだったしな」 御名答です。這ってでも向かうつもりでした。緑の髪の男の人──ゾロさん? の言葉に見透かされていたのかと、苦笑いを浮かべた。 「ありゃココヤシ村の人間か?」 「そ、うです」 鼻の長い男の子の言葉に、喉の奥が詰まって返事が遅れてしまった。アーロンパークの前で、各々武器を持って今にも戦おうとするみんなの姿は、現実味を帯びてなくて、元の世界で観た映画の一場面のように思えたけれど、握りしめた手に刺さる爪の痛さがわたしを現実へと繋ぎとめてくれた。 現実味の薄い光景に、心がとらわれていた間に、ルフィくん達はアーロンパークに向かおうと足を進めていた 「あ、あの……」 さっきまでの、気さくな元の世界の同級生と同じような感覚で話していたルフィくんの背中は、様相を一気に変え、こちらが立ちすくんでしまうほどの、噴火一歩手前のマグマのような怒りをはらんでいた。 こんな事を思うべきではないのかもしれないけれど、どうしよう……すごく、怖い。わたしがルフィくんに剣を向けて、首の傷だけで済んでいるのは、わたしが敵にすらならなかっただけだ。改めて、目の前の人達は、アーロン達とは違うのかもしれないけれど、同じ『海賊』なのだと再認識して、斬られた首元部分を擦りながら、背中を冷たいものが伝った。 「首、痛むのか?」 「あっ……いえ、そうではなくて」 「でも、触ってんじゃねェか」 横から覗き込むように、見てきたロロノアさんに、無意識に一歩足を引こうとしたけれど、伸びてきた手がまるで壊れ物でも触るかのように、首の左側に手を添えられ、傷がある硬化した血の部分を親指でゆっくりとなぞられる。背筋を這い上がってきたゾクゾクとした、擽ったいような、指の先が痺れるような、なんとも言えない甘い刺激は、今まで感じたことのない感覚で、びっくりしてすぐさま一歩引いてしまった。けれど、立ってることすらままならない体は、うまく一歩目を支えることができずに、後ろに倒れそうになる。 「ぅわッ!」 急いで体制を立て直そうと頭では思ったけれど、体は思考に追いついてくれなくて、そのまま倒れそうになったの体を、目をきつく瞑って襲いくる痛みを覚悟したけれど、腕を力強く掴まれて引っ張られて、後ろに倒れるのは免れた。だけど、倒れないように腕を自分の方に引っ張ってくれたことで、さっきよりも距離が近くなったゾロさんの体から漂ってきたここ数ヶ月、嫌というほど自分の体から漂ってきた鉄と似た独特の匂いに、心の底をなぞられるような不安感に襲われる。 「おい、本当に大丈夫か?」 わたしを立て直させてくれながら、眉間に皺を寄せ伺うように尋ねてくるゾロさんに、むしろこっちが同じ表情をしたいくらいだった。 「ありがとう、ございます……わたしは大丈夫です、それよりあの」 「なんだ?」 訝しげな、それでいて心配そうな気配をのせて、わたしを覗き込むゾロさんの、大胆にも開かれた上半身の乱雑にまかれた包帯に目を向ける。ゾロさんはわたしの怪我の事を心配してくれているけど、わたしとしてはゾロさんの怪我の方が心配だ。 それにしても、近くにいるとより分かる、血の匂いが濃すぎる。 「あの、怪我……大丈夫ですか? そんな怪我で」 「……そのセリフそっくりそのまま返す。そんなミイラ状態のくせに人の心配する暇があったら自分の心配してろ」 確かにミイラ男ならぬ、ミイラ女状態だけれど。正直五十歩百歩の気もする。ちゃんと治療はしたんだろうか、お医者さんには診てもらったのかな。 「てめェは心配してくれてるレディに向かってなんて口の聞き方だ。あといつまでヒノデちゃんの腕を握ってんだ!」 「エロコックが、てめェの頭はそればっかりか」 「いえ、あの気にしてないのでください」 それよりゾロさんの怪我の方を気にしてあげてほしい、そう思うけれど、なぜかみなさん気にした風がない。もしかしてこれくらいの怪我は海賊からしたら当然なの? ただでさえゾロさんは怪我をしているのに、再びさっきみたいに喧嘩が始まってはことだと、ゾロさんの腕から離れ、自分で地面に立ち直しながら、気にしていないことをアピールするために松葉杖を持っていない方の手を横に振る。 「本当にごめんね。そう言えばおれとしたことが、まだ名前を聞いてなかったね」 「ヒノデだよな!」 にししと、特徴的な笑い声を上げながら、振り向きざまにルフィくんがわたしの名前を呼ぶ。さっきまでの恐ろしいほどの怒りが霧散し、反対の陽だまりのような温かい雰囲気へと変わる。 「はい、ヒノデと言います」 「ヒノデちゃんだね、おれはサンジ。あっちの長っ鼻はウソップ」 「キャプテ〜〜〜ン!! ウソップだ! よろしく!」 同級生はおろか、日本ではなかなかみない紳士的な対応──そう言えばレディなんて初めて言われた……な対応をしてくれるキラキラと太陽の光を受けて輝く金髪の方がサンジさん。ルフィくんと同じくらいの気さくさで、同級生のような雰囲気で片手を上げて応えてくれたのがウソップくん。キャプテンって言ってるけどウソップくんがキャプテンなのかな? 「ヒノデちゃんはここに居たほうがいい。顔色もさっきよりも悪いし、何よりその怪我、支えがあっても立ってるの辛いだろ?」 反論する言葉が見つからない。正直もう立ってるだけで辛い。体の表面は蒸されたかのように熱いのに、体の中は極寒地帯に居るのかと思うくらい寒い、なにより足が鎖で地面に繋がれているように動かない。心の一番奥深くい所が、あそこに行きたくないと言っていた。 「アーロン達はこのキャプテン・ウソップに任せとけ」 「またね、ヒノデちゃん」 景気良く自分の胸を叩いたウソップくんと、笑顔で手を振るサンジさん。そして既に背を向けてアーロンパークに向けて歩き始めてるルフィくんやゾロさん。何か声をかけなければ、そう思うのに、なかなか言葉が出てこない。 何と言うのが正解なんだろ? 頑張ってはおかしいし、怪我しないで……も絶対おかしい、助けてくださいって言った側が言う言葉じゃない。怪我はしてほしくないとは願うけれど、きっと無理だ。 「あの!」 ひっくり返った声が出てしまったけれど、みなさん足を止めて振り返ってくれた。 なにか、何か言わなければ。 「あの……みなさん、お気をつけて」 お気をつけてって何。もっと他に気の利いた言葉があったでしょ。これからアーロンパークに行く人達に向かってお気をつけてって。 ぐるぐると自分の言った言葉が間違っていたんだじゃないか、そもそも声をかけるべきじゃなかったんじゃないか、いろんな考えが浮かんでは消えていくけれど、わたしの方を振り返ったルフィくん達は皆さん一様に笑みを浮かべていた。 「行ってくる!!!」 「お前は自分の心配だけしてろ」 「このキャプテン・ウソップに任せとけ!」 「ヒノデちゃーん! 安心して待っててねー!!」 三者三様の反応に、ムズムズとくすぐったいように口の端が動く。不思議だ、いつのまにか体の震えは止まり、鎖に繋がれたように動かなかった足は軽くなっていた。あんなに体を支配していた、恐怖や不安、絶望もなくなっていた。ただ、ルフィくん達ならなんとかしてくれる、してしまいそうな、そんな強い雰囲気がある。 怖いと思うはずだ、ルフィくんはこれからアーロン達と戦いに行くんだから、そんなルフィくんを怖いと思って当然なんだ。きっと皆さん覚悟も信念も大事なもの全部持ってここに居るんだから。 再び背を向けてアーロンパークに歩き出したルフィくん達に、歪な体制のまま、深く頭を下げる。どうか、どうか無事に帰ってきて。 下げた頭を上げた時には、既にルフィくん達はココヤシ村の人達の間を、モーゼの海割りのように歩いて行き、アーロンパークの中へと消えて行った。 ココヤシ村の人達がルフィくん達を見守る中、一人わたしの方を見る一対の目があった。 「トウシンさん……」 呟いた声は聞こえなかったはずなのに、普段使っている杖をつきながら、普段とは違い、腰に刀を差したトウシンさんがわたしの方に向かってくる。その表情は怒りと焦燥が浮かんでいた。 「ヒノデ……なぜここにいる。ナミと海へ出ろと行っただろ!?」 「……ごめんなさい」 目を合わせることが出来なくて下を向く。トウシンさんからは強い悲しみを感じた。 「ヒノデちゃん! そんな怪我で……こんなところまで」 トウシンさんの後ろにはわたしに気付いたのだろう、魚屋のおばさんやおじさん、他にも二人くらいトウシンさんと共にわたしを囲むように立っていた。みんなそれぞれ武器を構えていて、どう言う気持ちでアーロンパークに来ているか想像できてしまえて、それが酷く嫌だった。 「ヒノデ、今すぐ村を出ろ。ココヤシ村のことはもういいんだ、みんな覚悟を決めてここに来ている。ヒノデもナミも自由になっていいんだ」 小さい子供に言い聞かせるように言葉を紡ぐトウシンさんに、首を横にふる。 「ヒノデちゃん、私達のことを想ってくれているなら、もう大丈夫だから、ナッちゃんと一緒に海に行って」 おばさんの言葉を聞き入れることなんて出来なくて無言で首を振る。 「ヒノデッ!!!」 耐えきれないとでも言うように、大声を上げたトウシンさんは、痛いくらいの強さでわたしの肩を掴む。 トウシンさんの気持ちも分かってる、けど、わたしだって同じ気持ちだ。 「絶対嫌です。わたしだけ逃げるなんてそんなの……絶対嫌ですっ!!」 叫ぶように出た言葉は、震えていた。最後の方はノイズがかっているかのように掠れた音だった。今までで一番大きく出た声は、喉が引き攣れ、体を痺れさせるほどだったけれど、そんなものは大した問題ではなかった。トウシンさんに怒鳴るような声を出すなんて初めてだった。事実、トウシンさんは初めて見る新種の生物を見るような表情でわたしを見ていた。 「わたしだけ逃げるなんていやです……絶対いや。それに」 ナミさんだってきっと同じ選択をするはずだ。 アーロンパークの前に、ナミさんの姿は遠目から見ても発見できなかった。もしかしたらルフィくん達が言っていた、泣いていたという言葉の通り、どこかでまだ泣いている可能性だってある。だけど、ナミさんはわたしなんかよりずっと強い人だ、必ずここに来る。 今のわたしと同じように。 「トウシンさんは、わたしと一緒に過ごせて良かったと言っていましたよね」 わたしの言葉にトウシンさんは静かにわたしを見るだけで何も言わない。 「家族のように思ってるって言ってくれましたよね」 まだトウシンさんは何も言ってくれない、だけどわたしの肩を掴んでいる手が微かに震えている。 「────わたしだって、トウシンさんのこと大事な家族だと思ってます。その家族が死ぬかもしれないのに、わたし一人逃げるなんて出来ないッ!!」 微かに震えていた手が、何かとても強い感情を耐えるような、大きな震えへと変わる。 「わたしも一緒に最後まで居させてください!! 一緒に居たい……!!」 言い終わった次の瞬間には、トウシンさんに抱きしめられていた。耐えるように体を大きく震わせ、けれどわたしの怪我に響かないように優しく抱きしめてくれているトウシンさんに、目頭が熱くなる。まだだ、まだ泣いちゃいけない。 「ワシは最低だ……ヒノデが安全に居てくれればと、生きていてくれればいいと思っていたのに」 一つ一つ、噛み締めるようにトウシンさんが言う。 「それなのに、ヒノデが一緒に最後まで居てくれるという事を、嬉しく思ってしまっている……ヒノデが生きていてくれれば、笑顔で居てくれればそれでいいと……」 思っていたのに。コップのふちで耐えていた水滴が零れ落ちるように、漏れてきた小さな声は、わたしにとっては何よりも嬉しい物だった。 「こんなお別れじゃ、笑顔になんてなれません」 震えるトウシンさんの背中に、松葉杖を持っていない方の腕を背中に回す。 大きいと思っていたトウシンさんの背中が今は、とても儚く、繊細な飴細工のような脆さすら感じて、わたしがこの場に居る事を喜んでいる自分への葛藤が伝わってきて、心が痛くなった。 「家族だもの、大事な時は一緒に居たいわよね」 「おばさん……」 優しく、泣いている子供をあやす様に背中を撫でてくれた、魚屋のおばさんに、小さくうなずく。 「トウシンさんが無事でいてくれないと、わたし笑っていけませんよ」 そっとトウシンの背中から手を離したのを合図に、トウシンさんもわたしを抱きしめる腕を緩めて、向き合ってくれる。トウシンさん表情は悲哀と慈愛に満ち、口元はきつく引き結ばれているのに、目元は目尻を下げて穏やかな喜色をたたえていた。 初めて見たトウシンさんの、泣き笑いのような、口元と目元がちぐはぐな表情に、こんな酷い時なのに、思わずクスクスと小さく笑い声をあげてしまう。 「笑うなヒノデ」 「だって、トウシンさん、変な顔してるんですもん」 呆れたようにため息を吐くトウシンさんだったけれど、きつく引き結んだ口元も、今は微かに口の端が上がっていて、久しぶりの穏やかな時間に、もう少し浸っていたかった。 しかし、束の間の休息は、アーロンパークから聞こえてきた、飛行機でも落ちたかのような轟音に残酷な世界であることを思い出させられ、心も体も引き締めなおされた。 「ルフィくん……」 きっとアーロン達が奏でた破壊音だろう、ルフィくんは、大怪我を既に追っている可能性があるゾロさんは、ウソップくんやサンジさんは無事だろうか。 「……行こう、アーロンパークに来たあいつらも心配だ」 「はい……」 皆さんなら大丈夫だ、そう自分に言い聞かせるので精一杯だった。 おばさんが優しく、わたしの松葉杖を突いてない方の腕を支えてくれ、トウシンさんや皆さんと頷きあって、アーロンパークに向かう。 助けてほしい、そんな勝手なことをわたしが言ってしまった。トウシンさんと一緒に居る事は勿論、わたしは助けを求めた側として、最後まで見届けるんだ。たとえどんな結果になったとしても。 【 章一覧|TOP 】 |