新たなる旅路へ 出航の朝が来た。空はまるで、ナミの新しい門出を祝うかのように雲一つなく、澄み渡っていて、あまりの美しさに涙が出そうだった。 ナミもルフィくん達も今日この島を出る。ナミにもルフィくんにも誘われたけど、一緒に行くつもりはない。トウシンさんにも何も言わずにココヤシ村を出るつもりだ。トウシンさんがわたしが刀鍛冶であること、そしておそらくはお祖父ちゃんの事を言ったという事は、きっと、トウシンさんはルフィくん達の船に乗ることを望んでいるはずだ。ただの想像でしかないけど、でも、じゃなきゃルフィくん達の前で直ぐにでも海に出ろなんて言うはずがない。 薄緑色の入院服から、動きやすいカジュアルな服に着替える。全身包帯と言うのがあまりにも目立ちすぎるから、なるべく肌が隠れるチョイスを選んだ。頬のガーゼはなんとかとってもらったけど、頭のはとりあえず包帯だけは取ってもらえて、ガーゼだけが未だに額に鎮座している。血が傷を塞いでるからガーゼいらないのだけど……悪魔の実の能力者ってバレて、変なトラブルを引き込むよりはマシと思うしかない。体は傷の事もあるからとりあえず、拭くだけだけど綺麗には出来たし、なんとか髪の毛も説得して、桶にお湯をためる形で、首はつらかったけど洗うことは出来た。ほぼ半年以上切っていなくて、その半分以上を牢の中で過ごしていた黒髪は長いばかりで、艶も水分も失っていて、山姥のごとくなっているから、少しでも誤魔化せるように一本に縛る。すでにドクターによって薬が多めに一か月分用意していてくれてあったのはありがたかった。 元の世界から持ってきたリュックのジッパーを開けて、中からわたしが帰るべき世界の家の鍵を取り出す。鍵につけている無病息災のお守りを優しく解いて、ベッドの横に置く。手紙を……残そうかと思ったけど、きっと謝罪しか書けなくなってしまうような気がして、やめた。だからせめて、これからトウシンさんが少しでも長生き出来るように、お守りだけ置いていく。きっとトウシンさんならわたしが置いていったものだと思うだろう。 ドクターがルフィくん達のお見送りに行ったのを確認したから、出るなら今だ。ドクターは最後まで考えなさいと言っていたけど、もうわたしの気持ちは決まってる。 お守りに手を添えて目を閉じる。 ──勝手にまた病院を抜け出してしまってすみませんドクター。治療ありがとうございます。 ────トウシンさん、何度も想いを踏みにじってしまってすみません。一緒に過ごせた日々とても幸せでした……ありがとうございます。 ────……ナミ、友達になれて嬉しかった。ごめんなさい。 ◇◇◇ 病院から出て、アーロン―パークにトウシンさん達が向かう時に言われた、船で脱出しろと言われた場所に向かう。確かアーロンパークとは反対の場所だったはずだ。あの後何も言っていなかったから、きっと、まだある筈……なかったらなかったで他の村に行って船を借りよう……いや、貰うっていう形になるのかな。 まるで海賊みたい、なんて、馬鹿なことを考えて、乾いた笑みが零れる。きっと海賊として海に出ることも、一人で海に出ることも、海軍から追いかけられる時点で、あんまり変わらないのかもしれない。 きっとルフィくん達は海賊と言っても、飲む打つ買う……は分からないけど、少なくともアーロン達みたいに、どこかの島を支配したり、虐げたり、暴力は……きっと無意味に振るったりはしないだろう、多分。売られた喧嘩は買うとか、敵相手とか海軍相手とかはあるかもしれないけど。でもアーロン達のような力の振るい方はしないはずだ。でなければ、ココヤシ村の、島の人達と宴会なんてするはずがない。……海賊って何だろう。 海賊の在り方を考えて、ゲシュタルト崩壊なのか哲学になりかけながら、ルフィくん達の船がある方に背を向けて歩いて、そろそろ反対の海岸に着こうとしていた時、わたしと海岸の間を隔てるように人が立っていた。 「どうして……」 零れ落ちた言葉には誰も答えてくれなかった。数十メートル先に立っているナミでさえ。 ナミは仁王立ちを解くと、速足で、わたしの方に怒りを湛えた表紙をしながら歩いてくる。 「まさか、本当に来るとはね。トウシンさんの言ったとおりにしておいてよかったわ」 「なんで」 「なんで? それはこっちのセリフよ。まさか何も言わずに消えようとするとは思わなかったわ」 ついに目の前まできて、わたしよりも高い位置にある目が見降ろしてくる。不義理なことをしている自覚があるだけに、目を合わせることが出来ない。 「なんで、そう、思いっきりがいいのよ……事情は話さなくてもいいって言ったけど、勝手に居なくなっていいとはいってない」 「ごめん……」 「ごめんじゃない。もう、本当……」 泣きそうな声が気になって、上を見上げる。ああ……そんな悲しい表情をさせたいわけじゃないのに。 唇をかみしめ、眉間にしわを寄せながら、強い悲しみの色を滲ませている瞳に、やるせない気持ちになる。そんな顔をさせたくて、黙って出てきたわけではないのに。 「────ヒノデ、私今日から海賊なの」 「え? うん、知ってるよ」 急にナミの顔が、泣き出しそうな悲しみの色が強い表情から、表情が抜け落ちて真顔になる。その表情の変わりように、うなじがザワザワとして落ち着かない。 「あの、ナミ?」 あまりの変わりように、心配になってナミに手を伸ばすよりも先に、ナミの手が伸びてきて、背負っていたリュックを腕から無理やり抜き取られる。抜き取られた勢いで、半回転した体は地面に無様に転がった。草が生えていて幾分柔らかい地面のおかげで、コンクリートに叩きつけられるよりは痛くはなかったけれど、鈍い痛みは体を襲って、ぐぅッと喉が鳴った。 「悪いわね、ヒノデ! 海賊らしくこの荷物はもらってくわ!!」 猫のような素早さで、わたしのリュックを肩にかけたナミは既に走り出していた。走り去る後姿を、地面に腹這いになりながら呆然と見つめていたけれど、すぐに正気に戻る。うそでしょ!? 盗まれた? どんな考えがあって、リュックを持ち去ったのかはわからないけれど、あのリュックの中には携帯や学生証、元の世界のものがいろいろ入っている。見られたらまずいし、何よりわたしと元の世界を繋いでいる大事なものだ。急いで立ち上がって、同じように転がっている旅行鞄を持って、既に百メートル近く先を走っているナミを追いかける。 ナミは一体何を考えてるの!? 久しぶりに思いっきり走る体は、自分が頭の中で思っている以上のスピードを出してはくれなかった。元々そんなに走るのが早いわけではないけど、こんなに遅くもなかった。どんどん苦しくなる胸を必死に押さえつける。喉からはか細い笛のようなヒューと言う音が絶えず出ていて、もう自分が息を吸っているのか吐いているのかすら分からない。 このルートはナミはルフィくん達が停泊している海賊船に向かってる。ナミはもしかしてわたしをルフィくん達の船まで誘導しようとしてる? 一つの予想が、更にわたしを焦らせるけど、ナミを追いかける足はむしろ疲れでどんどんスピードを落としてる。耳鳴りすらし始めた体は限界を訴えていた、包帯を通り越して流れ落ちてくる汗を拭うと、拭った腕の隙間から海岸が見えてくる。海岸にはココヤシ村の人達と、羊の船首がかわいい木造の船が停泊していた。まずい、あのまま船に乗られたら。 必死になりながら、なんとかナミの背に追いつくと、小鹿の様に震えた足は自分の体を支えられなくて、その場に座り込む。喉はヒューヒューとか細い笛のような音を絶えず出している。心臓は口から出てきそうなほど大きな音を立てていて、拭っても拭っても滴り落ちてくる汗をぬぐいながらナミを見上げると、ナミはしてやったり、と言う風な邪悪ともとれる笑みを浮かべていた。 「ルフィーーーーッ!!!」 ナミは羊の船首の船に向かって片手を大きく振って、片手ではわたしを指さしている。何の合図送って……。 息も絶え絶えに、問いかけようとした時、わたしの体に何かやわらかいものが巻きついた。何が巻き付いたのかと思って、自分の腰あたりを見ると、手が巻き付いていた。手が巻き付いて……手が巻き付く? 当然の疑問が頭をいっぱいにした時、体が地面から浮き上がり、まるで引き延ばされたゴムが元の形に戻るように空中に引っ張られた。 「き、きゃあああああ!!?」 絹を裂くような叫び声が自分の喉から飛び出した。ジェットコースターのように速いスピードと心臓が浮く感覚は、まともに抵抗する事もできずに、木造船へと一直線に向かっていく。どんどん近づいてくる木造船の床に、この後襲い来る痛みに、ギュッと強く目を瞑った。ぐっと体全体に力を籠める。 「よっと!」 甲板にぶつかると思っていた体は、甲板ではなく、もう少しだけ柔らかい何かにぶつかった。甲板ではなかったものの、ドクターが言っていたように何か所か骨が折れている体は、体の内側で太鼓が強く叩かれたような痛みが骨全体に響き渡る。カエルが潰れたような音が喉奥で鳴った。 「来たんだな! ヒノデ!!」 「ル、ルフィくん……」 どうやら受け止めてくれたのはルフィくんだったようで、抜けるような大空の下に似合う、はじけるような笑みのまま、久しぶりの再会を喜ぶ恋人のような距離感で、腕に座らせるようにしてわたしを抱き上げていた。普段なら距離感の近すぎる男の子に、恥ずかしくて直ぐ離れようとするけれど、今は骨折しているであろう部分をトンカチで直接叩かれているような痛みが、ルフィくんに抱き上げられていることを気にさせなかった。痛みに耐えてい居る間にも、背後でナミが「船を出して!!!」と指示を出している声が聞こえる。 「走り出した!!? 何のつもりだ!?」 「船を出せってよ……とにかく出すか」 まずい、ナミはこのまま出発するつもりだ。 わたしの体越しにナミを見ながら話すルフィくんを横目に、一緒に船に放り込まれた旅行鞄の場所を確認する。 「あ、あの……ルフィくん」 「なんだ?」 「お、おろしてほしいな……?」 未だにわたしを抱き上げているルフィくんに恐る恐るお願いすると、あっさり降ろしてくれて、ほっと一息吐く。愛想笑いを浮かべながら、無造作に置いてあった旅行鞄を持って、一歩一歩船主の方に後ずさる。不思議そうな表情をしているルフィくん達に笑みを張り付けながら、逃げようと決心したけれど、陸の方から聞こえてきた声に、驚いて足が止まってしまう。 「ルフィーー!! ヒノデの事押さえつけといて!!!」 ナミ!? 陸の方を振り向くと、ナミがココヤシ村の人達の間を蛇のようにうねうねと曲がりくねりながら、船の方に向かってくる。もう海とか考えてる時間はない、飛び降りる! 船の手すりに手をかけようとしたら、再び、今度は両腕を巻き込んで太い紐のようなもので拘束される。さっきは驚いて気づかなかったけど、腕に何重もの形で巻かれていたのは人の腕だった。喉元から引きつった音が鳴った。 「ヒノデ能力者なんだろ? 海に落ちたら危ねェぞ」 「え、あの、ルフィくんうで……うでが、折れて」 「折れてねェよ! おれはゴムゴムの実を食べたゴム人間だからな!」 にしし、と、いたずらっ子のような笑みを浮かべて、自分の頬を横に伸ばすルフィくんに乾いた笑みしか出てこない。頬は人の肌ではありえない長さで伸びていて、ルフィくんが手を外すと、文字通りゴムの様にバチンと言う音を立てて、何度か震えるようにして元のルフィくんの顔に戻った。 ゴムの能力がどういうものか分からないけれど、ゴムなら伸びるだろうと思って、何とか腕から抜け出そうとしたけれど、縄の様に硬くなっていて全く抜け出せない。硬さも自由自在なのかもしれない。わたしがもがいている間にも、逃げる猶予は刻一刻と迫ってきている。 「おい、いいのか!? こんな別れ方させちまって」 「あいつの別れ方ぐらい。あいつが決めりゃいいじゃん」 「そうだけどよ、ヒノデちゃんもこんな別れ方でいいのか? おい、ルフィ、ナミさんのお願いだとしてもキツく締めるなよ!」 「そんなにキツく締めてねぇよ、なぁ?」 「痛くはないので大丈夫です。ただ、あの……別れ方と言うか、別れかた以前の問題でして」 頭にハテナマークを浮かべるサンジさんに、どう説明しようか迷っている間にも、ココヤシ村の人達の惜しまれる声を背に、ナミが鹿のような美しい跳躍で甲板に飛び乗ってくる。 「ナミ……!!!」 「海賊だって言ったでしょ、ヒノデ」 言いながら、ナミはTシャツの裾をあげると、そこから形も色もさまざまな財布がまろびでてくる。まさか、村の人達の間を蛇みたいにうねるように走ってたのは! 「みんな元気でね♡」 「やりやがったな、あのガキャーーーッ!!!!」 「ナミ何やってるの!? 駄目だよ、財布なんかとっちゃ!」 ナミのサプライズが成功したような子供のような笑みはかわいかったけれど、やっていることは泥棒である。今更なのは分かってるけど。ルフィくん達はなぜか面白がっているし。 「ああ、ルフィ、ヒノデの事離していいわよ」 「そうか?」 「ええ、もう逃げられないし」 わたしの体を滑るようにして解かれた腕は、勢いよくルフィくんの元に戻っていく。拘束が取れてすぐ、ナミの下に向かう。 「ナミ、わたし……一緒にはッ……!!」 続く言葉はナミに優しく掌を口元に添えられたことで遮られた。 「──今は、みんなにお別れの挨拶だけしましょ。船出は笑顔がいいでしょ?」 柔らかく、陽の光を浴びながら微笑むナミに、毒気を抜かれて、ナミが視線で促した岸辺の方に目を向ける。 「いつでも帰ってこいコラァ!!!」 「元気でやれよ!!!」 「お前ら感謝してるぞォ!!!」 「ナっちゃん、ヒノデちゃん楽しくやれよ!!!」 「小僧!! 約束を忘れるな!!!」 財布を取られたばかりとは思えないほど、村の人達は満面の笑みで船出を祝福してくれていた。その中にはトウシンさんも当然のように居て、熱いものが胸の底から込み上げて、喉元までせりあがってくる。ぐっと力を込めて、せり上がってきたものを抑える。じゃないと瞼から涙が零れ落ちそうだった。 ただ、見送りを見ていることしかできないわたしの手をナミが持ち上げる。 「じゃあね、みんな!!!! 行って来る!!!!」 声高らかに、今まで見た中で一番きれいな笑顔で別れを告げるナミを呆然と見つめる。 「ヒノデはいいの?」 促すような目で見るナミに、ココヤシ村の皆さんに、トウシンさんに目を向ける。トウシンさんは大事な宝物を見るような、とても優しい目でわたし達に向かってゆったりと手を振っていた。自然と託された左側のベルトに差した刀に触れる。ここから飛び降りても、もう間に合わない。なら、もう……やることは一つしかなくなっていた。 ナミが挙げてくれた手と同じように、左手も空に向かって突き出す。これでもかと言うくらい肺に空気をため込んで、めいいっぱい喉を広げる。 「トウシンさん体には気をつけて!!! みなさん行ってきます!!!!」 声は震えていたかもしれない。でも、きっとこの世界に来て一番の笑顔で告げられたはずだ。どんどん小さくなるトウシンさんの顔は、泣き笑いのような表情で、もう二度と逢うことがないかもしれないと思うと、耐えていたものが決壊して、頬を、涙が伝った。 【 章一覧|TOP 】 |