深淵との邂逅

 ランジェリーショップに強制連行されて、現在進行形で窮地に陥っていた。

「これとかいいんじゃない?」
「え、やだ」
「これにしましょ!」

 目の前にはわたしのサイズの黒い繊細なフリルの下着があった。さっきからどれだけわたしが拒否しても、ナミは「お金を払うのはわたしよ」と言って、次から次へと自分の分と、わたしの下着を籠にホイホイ突っ込んでいく。にしても大きい……なにがって、ナミの下着のサイズが。小さいスイカ程度なら下着で持ち運べそうだ。言ったら怒られると思うから心の中に留めておくけど。これが格差社会というものなのかな、ある意味の。

「ヒノデのサイズは可愛い系ばかりね〜。もっと大人っぽいのが欲しいんだけど」
「……わたしは普通だよ! 多分」
「まぁ、ヒノデは身長もそんなに高くないものね」
「だからわたしは普通だって!」

 元の世界ならわたしのサイズは本当に日本人女性の平均なんだ、一番種類あるはずなんだ! ……こっちの世界の人が発育良すぎなだけなのに。身長だってわたしは元の世界──日本なら平均なのに……こっちの人のスタイルが異次元なんだって!
 心の中で全力で反論しつつ、ナミとの違いに肩を落とした。

「でも船旅で必要な分は手に入れたし、会計に行ってくるわね」
「あ! ナミ、あの……お金」
「お金はいいわよ。みんなから貰ったものがあるし♡」
「それ、貰ったんじゃなくて、掏ったの間違いじゃない?」
「そうとも言うわね」
「そうとしか言いようがないよ」

 とても魅力的なかわいい笑みを浮かべているけど、やっている事はスリだ。ココヤシ村の人達が全然気にしていなかったから良かったものの。小悪魔的な笑みを浮かべたままレジに向かったナミに、諦観を覚えながら、大通りへと目を向ける。カラフルな色彩の、外国のリゾート地を思わせるような外観が立ち並ぶ建物は、見ているだけでもとても楽しい。

「お待たせ。はい、ヒノデの分」
「ありがとうナミ……お金、ごめんね」
「だから、気にしなくていいって言ってるでしょ。そもそも、これはヒノデのお金でもあるのよ」
「わたしのお金?」

当然というように、ナミが頷く。その瞳には辛そうな色が浮かんでいた。

「私の集めた一億ベリーはココヤシ村に置いてきたし、ヒノデの刀のお金だって本来ならある意味ヒノデのお金なんだから、ココヤシ村に置いてきたのも同然でしょ?」
「同然ではないと思うけど……」
「同然よ。ヒノデのお金だってココヤシ村を救うためでもあったでしょ」

 あまり話したくないのだろう。抑揚のない声で言葉を紡ぐナミに、やっぱりそれは違うと、首を横にゆっくり振る。

「あれは……わたしを助けるための、お金で、ココヤシ村の為になっていたとは思えないよ。わたしは引っ掻き回しただけで」

 否定するわたしの言葉に、ナミは不愉快そうに眉を顰めて、両手を組んで人差し指で自分の腕をトントンと苛立ちを押さえるように叩いている。

「だからなんでそうなのよ。少なくとも、ココヤシ村の住人の一人──私の為にはなってたわよ。だからそうやって、自分を卑下するのはやめなさい!」
「でも……」
「でもじゃない!! ココヤシ村の住人の一人として、わたしはヒノデに感謝してる。そしてヒノデの打った刀はココヤシ村を救った。だからこのお金はヒノデのお金でもある! みんなだってそういうわ。だから、そんな顔はしない」

 組んでいた腕を、頭の上に軽く振り落とされて、「いたっ!」と声をあげながら、両手で頭を押さえる。病み上がりなのに。

「とにかく、次言ったら今度は本気で叩くわよ」
「これよりも強く?」
「もちろん」

 語尾にハートマークがついていそうなほど、魅惑的な声色と笑顔で告げたナミに、受け取った紙袋を胸に抱く。

「うん、あの……大切に使うね」
「素直でよろしい」

 納得したのか、今度は先ほどとは打って変わって、十代の少女らしい笑顔に変わったナミに促されて、ランジェリーショップの外に出る。盗まれたら怖いから、紙袋がぐしゃぐしゃになってしまうかもれしないけど、持ってきたリュックの中へと入れる。

「ヒノデはどこか行きたい所はある?」
「うん。あのね、トウシンさんから預かった刀あるでしょ。その刀を持ち運ぶベルトみたいなの欲しいなって」
「そういえば持ってたわね。今日は持ってきてないの?」
「わたし剣術出来ないから……持ち歩いてる方が盗まれたり、誰かに使われたりしたら大変だと思って、船に置いてきたの」
「なるほど、そういうことね」

 情けなくて、視線が足元を向く。こんなことになるなら、剣道習っていた方がよかっただろうか……いや、付け焼刃すぎるかな。一回お祖父ちゃんに連れていかれて体験入学みたいな事したけど、怖いのと痛いのとで、嫌がっちゃったんだよね。悪魔の実を食べた後の事だったから、お祖父ちゃんもわたしが嫌がることに対して無理強いする時期でもなかったし。まあ、剣道習ったとしても真剣で斬りあいは無理か。
 どうあがいでも常識や危険度が違うこの世界では、悪魔の実を食べていたとしても、わたしの役立たず具合は変わらなくて、胸の底に暗い塵のようなものが雪のように降り積もる。

「これからよ、これから。何もトウシンさんだってすぐ使いこなせっていう意味で託したわけじゃないと思うわよ」
「うん。宝の持ち腐れにならないといいたんだけど」

 宝の持ち腐れどころか、いざ、誰かと戦うとなったとき、わたしは『人』に攻撃できるんだろうか。ルフィくんを押し倒した時だって、ルフィくんを傷つける気持ちはなかった。今は傷つけなくて良かったと心底思っているけれど。
 数歩先を、アーロン達から解放されて、新しい刺青をTシャツの隙間からのぞかせて、野原を歩いているような心身ともに軽やかな足取りで前を歩くナミを見て、足が止まる。
 わたしは……ナミがこの先傷つく時があったとして、ルフィくん達が傷つくことがあったとして、傷つけた相手を傷つけることは出来るんだろうか──。

「あのっ……ナミ……」
「ん〜? どうしたのよヒノデ。おいていくわよ」

 こちらを振り返ったナミは、立ち止まっているわたしをみて、不審そうに眉を顰めている。

「あの、ごめん。少し気分が悪いから……先に船に戻っててもいいかな?」
「大丈夫? 確かに顔色も悪いし、船に戻った方がよさそうね……。私も一緒に行くわ」

 こちらに走り寄ってきて、覗き込むようにわたしを見とめたナミは、腕をとってわたしを船の方に連れ行こうとしたけれど、その腕をやんわりと握ってとめる。

「大丈夫。多分船から陸に降りてちょっと、体がふらふらしてるだけかもしれないから」
「でも」
「本当に大丈夫だから」

 小さく微笑んで、続くナミの言葉を押しとどめる。まだ何か言いたげな表情をしていたけれど、これ以上言ってもわたしが折れることはないと思ったのか、ナミは溜息を吐くと、真剣な瞳でわたしを見つめ返してきた。

「分かった。でも無理はしないでね。途中気分が悪くなったらどこかで休んでなさい」
「うん。ありがとう」

 心配そうに何度も振り返りながら、人込みへと消えていく波を見とめて、深く息を吐く。今後の事を考えると、特に元の世界へと帰ること、その際に生じる可能性が高い──人を傷つけるかもしれないということ、普段あまり考えないようにしていることが、ふとした瞬間に浮かび上がってくる。考えれば考えるほど、思考はどんどん悪い方向に向かってしまう。こんな気持ちでナミと一緒に買い物できる自信がなかった。

「船に戻ろう」

 本当ならここで、ナミたちの前から煙のように跡形もなく姿を消すべきなのは分かっているけれど、トウシンさんからの預かった刀も、元の世界の荷物も、わたしの着替えもそのままだ。
 気持ちに引きずられるように、重い足取りで船へと向かう。人々の波を避けて歩いていたら、前を見ていなかったのか、右肩を強く押されて、後ろにたたらを踏む。

「すみません!」

ぶつかったしまった事を急いで頭を下げて謝罪すると、肩にぶつかった人の姿を確認して、わぁ、と意図せず声が出てしまった。それくらい、目の前の男性は壮絶なくらい美しかった。

「私の方こそすみません。お怪我はないですか?」
「は、はい!」

 黒い髪に黒い目、と言うわたしとは変わらない色合いをしているけれど、男性の髪も目もわたしなんかとは比べられないほど艶めいていて、ほう、とため息が出てしまう。長いまつげが大きな瞳に影を落とすように縁取っていて、白目もだけれど、肌も毛穴が見当たらないほど綺麗で内側から発光しているのかと思えるくらい白く輝いている。お人形のようだという言葉があるけれど、まさにこの人はお人形のように美しい。思わず見とれてしまう。ナミもノジコさんもだけれど、この世界の人は少しスタイルも顔の造型も整い過ぎてはいないだろうか。

「それなら良かった。実はこの街に来たばかりで、よそ見をしてしまっていて。でも、あなたみたいな可愛らしい女性に出会えてラッキーかな」

 はにかんだような笑みを浮かべる男性に、可愛らしいなんて言われなれていないどころか、元の世界では男の子に言われたことすらなかったので、顔にじんわりと熱があつまる。同時に、凛とした透き通るような声に、綺麗な人は声まで綺麗なのかと感心する反面、そのあまりにも作り物じみた綺麗な風貌にある種の畏怖も覚えてしまい、逃げ腰になってしまう。

「それでは、あの、ぶつかってしまってすみませんでした」

 ここらへんでお暇しようと、軽く会釈して立ち去ろうとした時、右腕を強くつかまれて立ち去ることは出来なかった。突然腕を掴まれたことに驚いて、男の人を振り返ると、その作りものめいた顔を苦笑で歪ませていた。

「あ! すみません。実は私雑誌記者をしていまして、今このローグタウンを取材しているんです」

 右腕をゆっくり放しながら、穏やかな口調で話してくれる男性に、少しだけ警戒心は薄れるけれど、この世界なにが起こるか分からない。一歩分、距離をおかしく思われないように後ろに片足を一歩引く。

「そうなんですか……でも、すみません。わたしこの島の人間じゃないんです。わたしも観光できたので」

 流石に海賊で、偉大なる航路に入る前の物資調達と、海賊王の亡くなった街なので寄りました。なんてことはわたしでも言ってはいけない事は流石にわかるので、誤魔化して答える。

「そうだったんですか……でも、観光で来た方だからこそ分かると魅力というものもあるので、取材させていただいても構いませんか?」

 まさかの路線変更に、そんな簡単でいいの? と思いながらも、雑誌記者さんの仕事は分からないので、悩んでいると、子犬のようなうるうるとした瞳で見つめられて、ぐっと押し黙った。無理、こんな綺麗な人のこんな表情、断ることなんてできない。断れる人が居たら見てみたい。

「じゃあ、少しだけ……お役に立てるかはわからないですけど」
「本当ですか! ありがとうございます。わあ……嬉しいな。それなら写真撮っても構いませんか? 写真付きでインタビューを紹介してるんです」
「う、え? しゃ、しゃしんですか?」

 正直嫌だ。現代っ子として。容姿に自信があるならまだしも、いや容姿が魅力的だったみーちゃんも大勢の人に見られるところにアップあされる写真は、個人情報的な意味でも、ストーカーを作りかねないという意味でも嫌がっていたな。
 それはちょっと……と眉根を寄せて、口を引き結びながら、心の中でどう断らろうかと考えていると、わたしの心の中でも読んでいるのか、男性に優しく両手を取られる。

「どうしてもダメですか?」
「いや、あの……!」

 わたしより身長は高いはずなのに、なぜか上目遣いで見られるという高等な技術を見せつけられて、心が折れた。

「……わかりました。わたしなんかでお役に立てるなら」
「本当ですか! ありがとうございます」

 絶世の美人の満面の笑みを見せられて、わたしの写真ごときでこんなに素敵な笑みを見れるなら安いものかと、心の中で自分を納得させる。

「良かった。ではまず、写真を最初によろしいですか?」
「はい」

 ポーズ撮ってくださいと言われて、男性が一眼レフのようなカメラを取り出したのを見とめて、ありきたりだけれど右手でピースして、小さく笑みを浮かべる。困ったような笑みを浮かべているかもしれないけれど、そこはもうご愛嬌だ。

「はい、ピース」

 男性の掛け声とともに、シャッターが切られた音と、カメラ独特の白い光に目がくらみながら、男性に片手を差し出されて反射的に握り返す。

「写真ありがとうございます。アカツキ・ヒノデさん」
「──……え?」

 フルネームで呼ばれた名前に、背筋が凍った。おかしい、わたしは目の前の男性に名前なんて、ましてやフルネームなんて教えていない。それにわたしの名前を知っている人なんて、この世界にはココヤシ村の人達とルフィくん達しか──。
 予想打にもしていなかった男性が呼んだ名前に、地面に根が張ったかのように動けないわたしなど一切気にしていない様子で、男性は小さく笑みを浮かべながら、背を向けて雑踏の中に消えようとしていた。その後姿を見て、頭の芯が冷たく痺れる。
 あの人、記者じゃない……写真を撮られた!!

「──待って!!!」

 得体の知れなさに、恐怖で震える体を𠮟咤して、男性の背中を追いかける。
 ぶつかる人たちに、謝り続けながら、男性の姿だけは見失うわけにはいかないと、一定の距離を保って見える男性の背を追う。走っているからと言う理由だけで早鐘を打っていない心臓に、焦りを感じながら路地裏へと消えた男性をの姿を追う。路地裏の壁に沿って無造作においてある酒瓶や、大きな木箱を避けたり倒したりしながら必死に後を追う。
 男性を追っているのか、それとも自身が追われているのか、恐怖で奇妙な感覚を味わいながら、追いつけない男性の背を追い続ける。わたしの名前を知っている時点であの人は普通じゃない。海軍の方の可能性もあるけれど、こんな回りくどい真似をするはずがない。
 焦りばかりが先立ち、周りが見えていなかったのだろう。男性の背に距離が近づいてきたところで、男性が曲がり角を右に曲がったのを確認して、続けて曲がり角を右に曲がると、パンっという何かが破裂するような音と同時に、左肩に焼けるような強烈な痛みが走って、その場に膝をついて崩れ落ちる。
 火で炙られているような強烈な痛みに左肩を抑えると、ぬるっとした嫌な感触が掌を襲う。視線を左肩に向けてみると、真っ赤な血が左肩から重力に従い滝が岩を下るように流れ落ち、ところどころがひび割れした灰色の石畳を真っ赤に染めていた。
 ──撃たれたんだ。
 元の世界──日本ではありえない光景に、頭の芯が痺れる。恐る恐る前を向くと、予想通りさっきの男性がその右手に銀色に鈍く光る拳銃を握っていた。銃口からは細く硝煙が上がっている。

「普通危ないと思うはずなんだけどな。一人でこんな路地裏にくるなんて」

 男性を取り囲んでいた野の花のような穏やかな雰囲気は一変し、今は近付く者全てを切り裂かんばかりの冷たい空気が男性を覆っていた。表情も先程までのたおやかさとは打って変わり、笑ってはいるが、それはわたしに対する侮蔑や嘲笑を含んだものだった。
 今にも叫びだしたいくらいの痛みを脳に叩き込んでくる左肩も、壊れそうなくらい鳴り騒ぐ心臓も、体の芯が冷えていく感覚も、恐怖で歯の根が合わないのも、頭の隅ではまるで空からもう一人の自分が見つめているみたいに冷静で、体は第三者に動かされているみたいに震えながらゆっくり立ち上がる。
 逃げなければ──そう思うのに、男性の凍てつくような雰囲気にのまれて、立ち上がることだけで精一杯だった。

「能力者……驚いたな」

 男性の視線が左肩に注がれて、左肩を見ると、血が結晶化して傷口を塞いでいた。ご丁寧に左腕を伝うように流れていた血も無くなっているのを見るに、きっと傷口を塞ぐ糧になっているのかも知れない。
 男性の表情は、最後まで大事にとっておいたショートケーキのイチゴを食べるような、そんな爛々と瞳を輝かせた子供のような無邪気な笑顔を浮かべていた。

「厄介だから戦えないように、もう少し傷つけておくから動かないでね。下手に照準を外して使い物にならなくさせたくないんだ」

 はにかむような笑みを浮かべながら、トリガーに手がかけられ、銃口が再びわたしに向けられる。今度はどこを狙ってくるかわからない。なのにわたしの体は完全に自分の意志から外れ、目の前の処刑人に刑を執行されるのを待つ罪人のように動けなかった。
 遂にトリガーが引かれ、再びわたしを襲うであろう痛みに、目をきつくつむんだ時、右肩を大きな手に力強く掴まれ、引き寄せられる。
 引き寄せられた先で一番最初に感じたのは、服越しに伝わる普通の人より高めの体温、最近何度も近くで嗅いだ鉄と潮のにおい。遅れて頭上から聞こえてきたのは、低く落ち着く声。わたしを暗い牢屋から助けだしてくれた声──。

「──何してんだ」
「ゾロ、さん……?」

 右肩を引き寄せられ、首元に額を擦り付けられるほど近くに抱きしめられながら見上げ先に居たのは、眉間に深い皺を寄せ、男性を見据えているゾロさんの姿だった。


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