独りではないということ

 あれからどれくらい時間が経っただろう。左肩はわたしに痛みを訴えてきているか、それすらどうでも良かった。あの後も路地裏から離れるどころか、立ち上がる事すらできなくて、その場でひざを抱えて顔を埋める事しかできない。
 頭の中で金槌が打ち付けられてるのかというくらいの頭痛がわたしを襲う。自己嫌悪だけが血となり肉となり、わたしを構成している気分だ。何も話さないのが一番なんだ、何も話さないでナミから、皆さんから離れる。誰にも関わらず何も話さないのが一番なのに、言葉で関わらない方がいいとか、何も話さない方が良いって言っているだけで、本当はナミの優しさに、ルフィくん達の優しさに甘えてる。本当にどうしようもない。
 いつまでも動くことが出来ないわたしを嘲笑うかのように、空から雨粒が降り注ぐ。徐々に町の大通りの方が騒がしくなっているけれど、それすら煩わしい。
 頭の中ではメリー号に戻って荷物だけでも取りに行かなくては、とか、いつまでもこの場で動かないわけにもいかないとか、色々考えているのに怖くて、怖くて、一歩も動けない。体が自分の物じゃなくなってしまったみたいだ。
 地面を打つ雨粒の音が、より一層わたしが孤独だと知らしめる。

「これからどうしよう……」

 頭から髪の毛を伝って顔まで流れてきた雨粒ととともに、瞼から溢れた出た涙が一緒になって流れ落ちる。
 どれだけ綺麗事を言っても、わたしが歩んできた十八年間が一つもない世界で独りは怖い。本当はナミ達と一緒に居たい、でもそれは海賊として生きていくことだ。だけどわたしには海賊として生きていくほどの信念も夢もない。ましてやわたしの抱えている問題のせいで、またナミを危険に晒してしまうかもしれない……考えれば考えるほど、本心とは裏腹に大事な人たちを無駄に危険に晒してしまうのだ。それが嫌で、それが分かっていながら、海賊になる覚悟もないのに一緒に居たいなんて思う自分が汚く思えて……。
 嗚咽を必死に抑え込みながら涙を流す。
 綺麗ごとで着飾っている自分も、その癖して肝心なところでナミ達の優しさに甘えている自分も嫌になってくる。それでもどうしても――

「ひとりはいやだ……」
「──だったら全部話せ」

 頭上から聞こえてきた聞き覚えのある力強い声に、膝に埋めていた顔を上げた。そこには全身を雨で濡らして、走ってきたのか、息を切らせたゾロさんが立っていた。

「なんで……?」
「なんで? じゃねえ。どこに居んのかと思ったら、こんなところに居やがって、自分がついさっき襲われたの忘れたのか」

 まるでわたしを心配しているような口ぶりに、次から次へと沢山の疑問が浮かんでくる。なんで、どうして、わたしを軽蔑したんじゃないの。
 馬鹿みたいに口を開けままゾロさんを見上げているわたしに、痺れを切らしたのか、煩わしそうに舌打ちすると、ゾロさんはわたしの二の腕を掴んで無理矢理立たせた。抵抗する気力もわいてこなくて、久しぶりに立ち上がった体は少しよろけながら、先程と同じように頭一つ分近く上にあるゾロさんの顔を眺める。ゾロさんはわたしの顔を見ると、なぜかばつの悪そうな表情をして視線を逸らした。

「とにかく行くぞ。海軍が出てきやがった、早く出航しねぇと港が封鎖される」

 海軍という単語に、背筋に冷たいものが走った。そうだ、わたしは海軍にも狙われる可能性があるという事を愚かにも今思い出した。

「全員もう船に向かってる。早く行くぞ」

 その、大きく力強い手で腕を引くゾロさんの手を、力いっぱい払いのけた。まさか払いのけられるとは思っていなかったのだろう、ゾロさんは普段より幾分幼くみえるような表情で、目を見開いてわたしを見ていた。

「むりです……わたしは皆さんとは行けません」
「何言って──」

 時間がないのだろう、少し苛ついた様子を滲ませながら、戸惑いの声を上げるゾロさんを遮るようにわたしは無理矢理言葉を続けた。

「わたしは……皆さんと一緒に行けないです」
「さっきの男の事か?」

 違うという意味を込めて首を横に振る。

「それだけじゃありません。ゾロさんが言うようにわたしには、ゾロさんに……ナミにすら言っていない秘密があります。でも、それを言うつもりはありません。なのでここで置いていってください。皆さんの旅にわたしは必要ないです」

 なるべく感情をこめないように、抑揚のない声で話す。頭の別のところで、もう一人の自分がわたしを見ている気がしてくる。

「船を降りるかどうかはお前が決めることじゃない」

 さっきまでとは打って変わって、とても落ち着いた声色で話すゾロさんの顔は、なにを考えているのか無表情で、内心を推し量ることは出来なかった。けど、わたしの前からいなくなる気もないようだ。
 その姿に頭の芯がじんじんと痛む。眉間が凝り固まって痛い。落ち着けと、もう一人の自分が言う。

「……わたしは、まだ皆さんの仲間じゃありません。船を降りるかどうかはわたしが決められると思います」
「お前……」

 ゾロさんの眉間に皺が寄る。怒っているのが瞳の色からも伺えたけれど、もうどうにでもなれ、という気持ちが心のどこかにある。奥歯を噛み締めすぎて、歯の根が嫌な音を立てる。

「わたしはっ……!! ルフィくんに仲間に誘われた時、皆さんの事を利用しようと考えたんです!!」
「利用?」

 利用と言う不穏な言葉に、ゾロさんの声が敵を相手にするときのような、声色に変わる。斬られるかもしれないな。なんて他人事みたいに考える。

「そうです! 利用しようとしたんです……!! 自分のいきたい所に安全に行くために……利用しようと考えたんです。そんなわたしが仲間になれるわけがない……」

 喉から漏れ出る声が、徐々に抑えきれない怒りのようなものを含み始めた。

「わたしは!! 皆さんの仲間になる資格も、船に乗る資格もありません……。だから、もう行ってください。わたしの荷物だけは岩場のどこかに置いておいてください」

 お願いします。と頭を下げる前に、額に走った激痛に頭を下げることは出来なかった。視界に星が散るくらいの衝撃と痛みに、泣くまいと耐えていた涙も引っ込んでしまった。あまりの痛みに額を抑えながらゾロさんを見ると、ゾロさんの額も少し赤くなっていて、ゾロさんに頭突きをされたのは明白だった。

「ごちゃごちゃうるせェ!! 船を降りるかどうかはお前が決めるんじゃねぇ、船長が決めるもんだ! 船長の許可も出てねぇのに船を降りる事なんかできるわけねぇだろ!」

 あまりの言い分に、痛み以外でも涙が目の奥に引っ込んだ。

「なんですかそれっ……そもそも!! ゾロさんが船を降りろって言ったんじゃないですか!!! それにわたしはまだ仲間じゃないです!!!」
「まだってことは、これからなるって事だろうが!! それに、おれは降りろなんて一言も言ってねェ! 全部話せって言ったんだ!」
「だから!! 話せないからっ……利用しようとしてるから、迷惑をかけるから降りるって言ってるんですよ!!! やっとアーロンの支配から解放されて、ルフィくん達と旅ができるのに、わたしの事で影を落としたくない! ナミの笑顔を奪いたくない……!! 皆さんの旅の邪魔をしたくない!! なんでそれが分からないんですか!!!」
「何も話そうとしねェのに、なにを分かれって言ってんだ!!」

 迫力のある声と、申し訳ないけれど平素の目つきの悪さ以上に、凶悪な顔をしているゾロさんに恐怖を感じるけれど、それ以上に今まで喉元で堰き止めていた感情が、言葉となって次から次へとあふれ出す。黙っているという選択肢はもはや微塵も存在しなかった。

「わたしにどうしろって言うんですか!? あの人なんか知らない!! なんでわたしの名前を知ってるかなんてわからない……」

 言うな、これだけは言うなと、警報のように頭の中でもう一人の冷静な自分が堰き止める。けれど一度決壊してしまった感情は、濁流のように喉を通り、言葉となった。

「わたしだって──来たくて来たわけじゃないっ!!!」
「てめェ……!!!」

 ゾロさんの声色に、完全に敵意が込められたのを、殺意にも似た怒りを向けられたのも感じた。けれどもう自分でも訳が分からなくなっていて、瞳の奥に引っ込んだ涙が今度は別の意味であふれ出して止まらなくなる。この涙はもう怒ってるから出てきてるのか、悲しくて出てきてるのか、混乱して出てきてるのかも分からなくなっていた。
 こうなったらどうにでもなれと言う気持ちで、ゾロさんの胸元を握り締めて、ゾロさんをにらみつける。

「何もかも全部おいてきたんです!! どうなってるかも分からない……! 帰ってもわたしの居場所があるかも分からないっ……!!! 早く帰らなくちゃいけないのに、帰り方すら分からない…! なんで、お祖父ちゃんは何も教えてくれなかったの……!!?」
「おい、お前何言って……」

 ゾロさんからしたら意味がわからないだろう。恐らく船に対する文句だと思っていたはずなところを、わけのわからない事を喚いているんだから。自分でも無茶苦茶なことを言っているのは分かってる。涙で滲んだ視界の先に居るゾロさんの表情が困惑でいっぱいになっていることも、全部分かるのに、止められなかった。

「帰れなかったらどうしようっ……!!! 独りになってたらもう、どうしていいかわからない……」

 震える声で、ひとしきり自分の気持ちをぶつけて、後から後から流れ出てくる涙を片手で必死に拭う。これでもう本当に終わりだ。逆ギレして、八つ当たりして、ゾロさんからしたら意味が分からないような事情を喚き散らして……完全に幻滅されたはずだ。
 嗚咽と徐々にやってきた寒さに体を震わせながらも、ゆっくりゾロさんの胸元から手を放す。お互い何も言うことが出来ず、わたしの嗚咽と雨音だけが、わたしとゾロさんの間に静かに響き渡る。我儘なのは分かってるけどこのまま何も言わずに立ち去ってほしい。だけどわたしの思いとは裏腹にゾロさんは立ち去ることはせず、怒りを滲ませながら口を開く。

「言いたいことはそれだけか」

 殴られても、なにをされても仕方ない。勝手が過ぎるとは思ってる、だけどその声色に恐怖を感じないわけでもなく、体が大げさに震えた。
 何を言われるのか、されるのか……恐怖を感じながらも、何をされても文句は言えない状況に覚悟だけきめて、涙が溢れ続ける瞳を固く瞑ると、わたしの考えていた痛みはいつまで経っても来ず、なぜか今日二度目の浮遊感と腹部への圧迫を全身で感じた。驚いて瞑っていた瞼を開くと、何故か目の前には先程までわたしが立っていた古びた石畳が見える。
 え? あれ? なんで?
 やってくる思っていた痛みや罵声は聞こえてこなくて、逆になぜか数時間前と同じ状況になっていることに、次々と疑問が浮かんできて思考が纏まらないうちに、あまり感じたくない酔いそうな小刻みな上下運動と、お腹への衝撃が再び始まり、景色が素早いスピードで流れ始める。
 わたしを担いでゾロさんが走っている。そう理解するのに時間は必要なかった。

「ちょ!? 何してるんですか!? やめてっ! 降ろして!!!」
「うるせェ!! こうでもしねェと、お前いつまでもグチグチ言ってるだけだろうが!」

 身勝手で最低な事を言ったにもかかわらず、なぜかわたしを担ぎ上げて恐らく船に向かおうとしているゾロさんに、急いで肩の上で何とか降ろしてもらおうと全身を使って暴れ始める。

「やめてください!! わたしは船に戻るつもりはありません……! さっきわたしが言ってたこと聞いてましたよね!!?」
「ああ、聞いた。本心も聞いた。……独りは嫌だって言ってたのはどこのどいつだ」
「っ!? それとこれとは違いますッ! とにかく放して……──ゆうかーーーーいっ!! 誘拐ですっ!!! だれかーー!」
「おまっ!? ふざけんな! 何言ってんだ?! おい、暴れんな!」

 暴れるなって言われて暴れない人は居ない。全力で叫びながら渾身の力で降ろしてもらおうと藻掻いていると、何故か段差もないようなところでゾロさんが軽くジャンプをしたせいで、今までで一番の浮遊感が襲った後に来る衝撃は勿論お腹に来るわけで──十代の女の子にあるまじき、カエルの潰れたような声が出てしまった。

「ああ、悪い悪い、段差があったからな」

 一度浮遊してから、ゾロさんの肩に腹部にほぼ全体重を乗せてぶつかる衝撃は大きくて、痛みに悶えていたわたしの耳に、わざとらしいゾロさんの謝罪が、届くけれど今はそれ所じゃなかった。わたしまだ怪我治ってないし、さっき大怪我したばかりなんですけど。
 体の奥底から響いてくる蓄積された痛みに呻いていると、ゾロさんは静謐のような声色で話し始めた。

「お前がナミを、クルーの事を大事に思ってるのは分かった。あんなヤバいのに目を付けられる理由も気にはなるが、まあ……今はそれだけで十分だ」

 十分なわけがない。わたしまだ何も話せてない。

「なにも、わたしなにも話せません……皆さんを巻き込む」

 巻き込みたくない。ナミの事は勿論……あんなにボロボロになってまでココヤシ村を救ってくれたこの人たちに、不要な重荷を背負わせたくない。なにより今から偉大なる航路グランドラインに入るんだ、皆さんの安全を脅かす不安要素は消えるべきだ。

「……巻き込まれるのは慣れっこだ。おれがお前に対して言ったのは仲間になるつもりもない癖に面倒ごとだけ持ち込んで、おれ達を利用しようとしてるのかどうかだけが判断付かなかったから話せって言ったんだ。でもお前の本心聞いて、ヒノデがおれ達の事を利用するつもりがない事は分かった」
「わたし利用しようとしたって言いました……」
「あのなァ、本気で利用とする奴は自分から利用しようとしたなんて言わねェし、それ以上にナミやおれ達の事なんて気にするかよ。諦めろ、ヒノデに誰かを利用したり唆したりするのは無理だ」

 その言葉は今のわたしへの、ゾロさんからの最大の信頼に思えた。

「話さねェって事も、おれ達を思って話そうとしてねェってだけなら、お前が話したくなるまで待つ」

 優しいと、心底思った。無理矢理口を開かせる事もきっとできるはずなのに。

「……最後まで話さないかもしれませんよ」
「そうはならねぇだろ。賭けてもいい」
「……面倒ごと持ち込みますよ。絶対……」
「だから慣れっこだ」

 だから安心しろ。
 一切の迷いもないその言葉に、今度は嬉し涙が溢れてくる。

「いっしょに……居てもいいんですか?」
「居てもいいも何も、船長がお前を船から降ろすとは思えねェな」
「わたしに選択しないじゃないですか……」
「はッ! 諦めろ未来の海賊王に目をつけられた時点でな」

 そうかもしれない。そんな事を思いながら、少しだけ笑い声を漏らして、静かに嬉し涙を流した。
 一緒に居ていいと言ってくれる人が居る。それがとても嬉しかった。


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