海は広いな、クジラは大きいな カームベルトに入って大型の海王類に食い殺されそうになったり、大型の海王類の鼻先に船ごと乗せられたり、レッドラインの門に激突しそうになったり……大小様々、と言うより大きいトラブルばかりが起こる中、なんとかレッドラインの頂上? についたゴーイングメリー号は、穏やか──とは言い難いけれど、偉大なる航路への道をジェットコースターよろしく、下っていた。 「行けーーーーっ!!!」 船主にしがみ付いているルフィくんのグランドラインへの期待で一杯の声に、わたしはどうしてもルフィくんの様に楽しむことは出来なくて、さっき味わった恐怖を抑え込もうと未だにせわしなく脈打つ胸を服ごと握りしめる。 分かっている、こんな事ばかり考えていたらいけないことは。 いくら打ち消そうとしても、一度味わってしまった恐怖は中々消えてくれない。これがグランドライン、海賊の墓場。これから始まる旅はきっと、もっともっと、色んな事に注意しないとわたしなんかすぐに死んでしまう。 とにかく気持ちを落ち着かせようと深呼吸していると。 「オイ、大丈夫か?」 横から聞こえてきた気遣わしげな声に振り向くと、視線の先に居たのは眉間にしわを寄せながら、こちらを見ているゾロさんだった。普段からあまり人相が良いとはいえないゾロさんの、眉間に皺を寄せた厳しい表情は、輪をかけて人相が、その……悪くなっている。声色から心配しているのが聞いて取れるから怖い気持ちはないけれど。 そんなにひどい顔してるかな……。片手で確認するように自分の顔を触る。 「大丈夫です。ちょっと……色々あって疲れてしまっただけなので」 「本当? 中で少し休んでたら?」 「本当に大丈夫だよ。ちょっと疲れちゃっただけだから」 反対側からは今度はナミの心配する言葉が聞こえてきて、両隣から心配されて心苦しくなってくる……わたしの顔色が悪いのは決して体調が悪いからとかではない。勿論ローグタウンに降り立った時からの怒涛ともいえる出来事に全く疲れてないとは言えないけど。この数時間で色々あったから。本当にいろいろ。 けど──わたしは疲れてるわけじゃなくて、怖がってるだけだ。 弱い自分を隠すように、笑みを作って未だに心配そうにわたしを見る二人に答える。 「今からグランドラインに入るんだから、これぐらいで疲れていられないから大丈夫だよ。ゾロさんもすみません、わたしは大丈夫ですから」 心配をかけないためにも、ちょっとアホっぽいけれど元気ですよアピールの為に、右手の拳を上に突き上げる。だけど二人は疑いの目を向けてくる。自分でも空元気感がぬぐえてない気はしてるけど、そんな容疑者を見る刑事のような目をしなくても。 このままだとボロが出かねないので、徐々に視線を二人からゆっくり外すと、これ以上は何を言っても聞かないと思ったのか、二人同時にため息を吐かれた。最近人に心配をかけた上で、ため息を吐かれていることが多い気がする。わたしがいけないんだけど、せめてもうちょっとだけ隠してほしい。オブラートに包んでください。 「もう、本当に体調が悪かったら言いなさいよ。わかったわね」 「うん」 念を押す様に指を向けながら言うナミの目ちゃんと見ながら何度も頷く。何も言わないゾロさんの方にも目を向けてみると、さっきよりも眉間の皺が深くまれている上、なぜか目つきも更に射抜くような鋭い物になっていて、気分は蛇に睨まれた蛙状態だ。 目を逸らしたら駄目だ、逸らしたらきっともっと追及される。 ゾロさんの猛禽類のような鋭い瞳には、怯えたわたしの姿が映っている。どうしようかと思いながらそれでも勇気を奮い立たせて見つめ返していたら、先に折れてくれたのはゾロさんの方だった。 「勝手にしろ」 「……すみません」 多分……と言うより絶対、ローグタウンの件も含めて、ゾロさんの中でわたしのイメージは確実に悪い方向に向いていそうだ。そんなつもりは全然無いんだけれど現在進行形で面倒ごとしか持ってきていない。まあ、わたしの存在そのものが面倒ごとと、厄介ごとの塊みたいなものだけれど。 小さく溜息を漏らしつつ、ゾロさんから視線を外してこれから始まる冒険の海へと目を向けた。楽しみよりも不安ばかり感じている自分を奮い立たせるように両手で頬をパンパンと叩く。どっちにしろ、もうなるようにしかならないんだから。とにかく何が起こるか分からいこの海で油断は禁物だ。この数時間で身をもって知ったわたしは改めて目の前の海を見つめていると、法螺貝のような野太い音が聞こえてくる。何の音かと、急いで周りを見渡すけれどわたし達以外の船は無い。 「おい何だ、何か聞こえたか?」 「わたしも聞こえました……動物とかではないですよね」 音が聞こえたのはわたしだけじゃないのか、ゾロさんも声を上げる。聞き間違いではないことに尚更不思議になりつつ、更に目を細めて周りを見るがやっぱり辺りには何も見えない。 何だか嫌な予感がしてきたんだけど。 「知るかーー行けーーーー!!!」 「風の音じゃない? 変わった地形が多いのよきっと」 全く気にした様子のないルフィくんのポジティブさに驚きつつも、この中で最も海を知り尽くしているであろうナミの言葉は一番説得力があって、ほっと胸を撫でおろす。 確かに、こんな両側が岩の壁で、その間を海流が駆け上がってるんだから、風の音もするよね。 「確かに風って隙間を通る時、動物の鳴き声みたいな音聞こえるもんね」 未だに聞こえる動物のような、不気味ともとれる風の音に胸の内で恐怖を感じながらも、胸の内で納得して今はこの景色を楽しもうと、すごい勢いで吹いてくる潮風で顔に張り付く髪を手で押さえながら景色を楽しんでいたけれど、楽しんでいた時間はサンジさんの一言ですぐに終わりを告げてしまった。 「ナミさん!! 前方に山が見えるぜ!!」 「山? そんなハズないわよ! この先の“双子岬”を越えたら海だらけよ」 「山なんかあったら、偉大なる航路の海に出る前に船が壊れちゃいますよサンジさん」 不思議なことを言うサンジさんに、こんな時でも冗談を言える余裕があるのかと思っていたら、なぜかだんだん大きくなっていく風の奇怪な音に、流石にこれはおかしいんじゃないかと、冷や汗が噴出してくる。嫌な予感が首筋を冷たく撫でる。これから何が始まるのか、グランドラインへの入口に近づいてきたと同時に、水しぶきが晴れ、現れたのは黒い壁ではなく、ビル数十階分に相当するだろう大きなクジラだった。 「山じゃねえェ!!! クジラだァ!!!」 思いもよらなかった、と言うよりも想像すらしていなかった生物の出現に、船の上でわたしを含め全員で騒ぎ始める。待って、こんなの聞いてない。 そもそもあんな大きさのクジラなんて元の世界ですら見た事ない、大型の海王類と言い、この世界の生物の生態事情はどうなってるの。弱肉強食にもほどがある。 「どうする!!?」 「戦うか!!!」 「バカね、戦えるレベルじゃないでしょ!!?」 「戦うとしてもどう戦うんですか!! あんな大きなクジラ無理ですよ!!」 戦うなんて冗談じゃない。生身で高層ビルを壊そうとするようなものだ。無謀にも程がある。もしかしたら、ルフィくん達ならそのうち高層ビルすら生身で壊せそうな気がしなくもないけれど、とのかく今は無理だ。 現実逃避したい気持ちも含めて、思考はあっちこっち転がっていくけれど、そんな事を考えている間にもクジラと言う名の壁は迫ってくるわけで。 「ちょっと待て、ここまで近づくとただの壁だ!!! まず目はどこだよ!!」 「そっか向こうが私たちに気づいてるとは限らない」 「なら、このまま何もせず抜けようよ! あんな大きなクジラと戦うことなんて出来ない!! 海王類と変わらないよ!?」 目どころか、体が上半身──上半身と言う表現があっているかは分からないけれど、上半身しか見せていないだろうクジラに、サンジさんが言うように目は見当たらない。そもそもここまで大きいと、クジラの全容がつかめなくて、今目の前に見えているのはクジラの背中なのかお腹側なのかすら分からない。 「でもこのままじゃぶつかるぜ、左へ抜けられる、取り舵だァ!!!」 「舵折れてるよ!!!」 船から身を乗り出して、ゾロさんが指差した方に視線を向けると、確かに進行方向の左側に船一隻がギリギリ通れそうな隙間があるが、ウソップくんの言うように舵が折れている状況でとり舵なんて取れるんだろうか……。心配になりながら、ゾロさん達男性陣三人が向かった操舵室に目を向けていると「そうだ! いいこと考えた!!!」と言うルフィくんの閃きに満ちた声が聞こえてきた。 どうしよう、失礼だけど嫌な予感しかしない。 「何すんのルフィ!!?」 「待ってルフィくん変なことしない方が!!!」 急いでナミと一緒に止めようと声を上げたけれど、視線を向けた時には既にルフィくんは船室の中に消えてしまっていた……待って、いいこと考えたって何? ルフィくんの考えたいいこと? この状況で? 操舵室からはゾロさん達三人が折れた舵を相手に、必死にとり舵を取ろうとしている声が聞こえてくるけれど、船は全然左に曲がる気配がないのか、聞こえてくる声からも焦っているのが聞いて取れる。 力になれるか分からないけれど、わたしも手伝うべきかと一歩足を踏み出した瞬間、何故か後方から大砲が放たれる音が聞こえてきた。恐る恐る、本当は見たくないけれど、錆びついた機械のように、ゆっくり無駄な抵抗をしながら背後に視線を向けると、なぜか船首の方から煙が上がっている。次いで火薬だろうか? 焦げ臭いにおいが鼻腔を通って脳を刺激する。まさかルフィくんが考えたいいことって、クジラに大砲で攻撃することだったの……。 「大砲……」 ルフィくん以外の全員の声が揃った瞬間だった。 多分、大砲の勢いで船がクジラにぶつかる勢いを殺そうと思ったんだろう、うん……そうなんだろうけど、何てことしてくれたのルフィくん……!! 心の中でどれだけルフィくんに対して抗議しても、大砲一つで船の勢いが止まるなんて奇跡は起こるはずもなくて、ゴーイングメリー号はそのままクジラにぶつかり、船首は無残にも根元から折れてしまった。ああ……可愛い船首だったのに……そんなこと考えている場合ではないのは分かっているけれど、目の前の現実を受け止めきれない。現実逃避位許してほしい。 目の前の現実から目を背けたくて、顔を両手で覆いながらナミと共にその場に崩れ落ちる。 「最……悪……」 「こんな死に方やだ……」 終わった、今度こそ本当に終わった。短い人生だった。短いわりにこの数か月は凄い濃かったけど、良い意味でも悪い意味でも。 まさか人生の終わりがクジラに殺されるなんて、現代ではそうそう無い死因に恐怖を禁じ得ない。昔テレビ番組でクジラの口に入ってしまった人が、クジラの口から再び出てきたのを見た事はあるけど、この大きさのクジラは口からわたし達を吐き出してくれるだろうか。そもそもこの世界の生き物とわたしの世界の生き物よ同じように考えていいのか。 全く打つ手が思い浮かばなくて、ナミの隣で頭を抱えたまま、今までの短い人生が走馬灯のようにかけめぐる。恐怖と絶望で何もできずにいると、先程まで必死に折れた舵を操ろうとしていたゾロさん達が慌てた様子で操舵室から出てくる。 「に…逃げろ今の内だァ!!!」 その巨体のせいか、砲撃に気づいてないクジラに、今の内に逃げようとゾロさん達がカームベルトを抜けようとした時と同じようにオールを出して漕ぎ始める。手伝わないとと思うのに、余りの恐怖に完全に腰が抜けてしまっていて、立ち上がる事すらできなくて、ナミと一緒にその場にへたり込む。 その間にも攻撃されたことに気づいてしまったのか、文字通り山のように大きなクジラがその大きさに見合った鳴き声を上げる。 「頭がっ……!!!」 今まで聞いたことのないような鳴き声を通り越した爆音に、鼓膜を通り越して頭の中で直接音が鳴り響いているようで、割れそうな頭の痛みに耳を押さえてうずくまる。 オールを漕いでいるゾロさん達も同じようにこの爆音を聴いているはずなのに、その中でも手を止めることなくオールを漕いでいる姿に、なんとか立ち上ろうとした時、クジラの声が聞こえていないのか、それとも気にしていないのか、ルフィくんが船室からしっかりとした足取りで出てきたかと思ったら、なぜか仁王立ちして立ち止まる。 「え……!?」 「ルフィくん??」 丁度船首付近で座り込んでいたわたしとナミは、船室から出てきたルフィくんに驚いていると、普段とは違う、静かな怒気を込めた表情に、嫌な予感が沸々と湧き上がってきて急いで立ち上がる。 「お前一体、おれの特等席に………」 「待って!!!」 ルフィくんが手を振りかぶる。 嫌な予感が当たったことに内心泣きそうになりながら、ルフィくんが今からしようとしている暴挙を止めるために腰にタックルしたけれど、わたし程度のタックルなんか意にも介していないのか、振りかぶった拳は止まらなかった。 「何してくれてんだァ!!!!」 「アホーーーーっ!!!」 「あーー!!!」 暴挙を止められなかった事に、ルフィくんの腰に抱き着いたまま、みんなと同じように叫ぶ。 ルフィくんはあろうことか、クジラの大きな目に向かってパンチを放ったのである。攻撃するとは思ったけど、目に攻撃するなんて思っていなかった。なんで一番怒りそうなところに攻撃するの!? 巨体のせいか、大砲なんて意に介さないくらい鈍そうだったから、そのまま何事もなかったかのように通り過ぎようと思ったのに。 心の中で様々な文句が出てくるけれど、ルフィくんの怒りは尚も収まっていないのか、ファイティングポーズをとりながらクジラに対峙する。 見てる見てる! クジラこっち見てる!! 「かかって来いコノヤロォ!!!」 「ルフィくんやめて!!!」 ゴーイングメリー号よりも大きな瞳に睨まれるという恐ろしい状況に、地面に座り込みながらルフィくんの腕縋りつく。 事態を把握したゾロさん達もまだ戦う気満々のルフィくんに気づいたのか、三人ともオールを捨てて、ルフィくんに息の合ったキックをお見舞いする。皆さんが飛び込んでくるのが見えたから、身の危険を感じてルフィくんが吹っ飛ぶ前に腕を放したから被害はないけれど、今は蹴られたルフィくんを心配している余裕はない。 死ぬ。絶対死ぬ。 今まで見た事ないほどの大きな生物の怒りを前に、体の震えが止まらない。巨大生物恐怖症と言うものがあるらしいけれど、今ならその人たちの気持ちが分かる。人はあまりにも巨大な生物を目の前にすると、今のわたしみたいな本能的な恐怖を感じるのかもしれない。 もう恐ろしすぎてクジラの方を見れない。だけどクジラの方はわたしの気持ちなんて待ってくれるはずもなくて、船体が突然何か大きな力に引っ張られるように動き出す。とっさに船から振り落とされないように柵にしがみ付いたけれど、足が柵の隙間から海へと投げ出される。目と鼻の先には、海がわたしを飲み込もうと大きく波打っていた。背筋に冷たい悪寒が走る。 「うわあああああ!!!」 近くで聞こえてきた緊迫した叫び声に視線を向けると、視線の先には、今まさにルフィくんが船から振り落とされようとしている姿だった。 「ルフィ!!!」 「ルフィくん!!!」 海はまずい! ルフィくんはわたしと同じ能力者だ。 「くっ!!」 柵にしがみ付いている片手を外して、ルフィくんの方に向けて悪魔の実の力を使おうとしたけれど。 「わ!?」 クジラのあまりにも強い海水を飲み込む勢いと、船が縦横無尽に動き回るせいで、片手だけじゃ体を支えきれず、再び体が宙に浮きそうになって、慌てて再び両手で柵にしがみつく。 その間にもルフィくんの姿はどんどん小さくなり、ついに完全にわたしの視界から消えていなくなってしまった。 「ルフィくん!!!!」 空しくもわたしの声は海流の轟音にかき消され、船もろとも暗いクジラの口の中へと飲み込まれてしまった。 【 章一覧|TOP 】 |