引き千切られたハッピーエンド

深雪のことは気に掛かったが、彼女は柱として相応しい女性だ。だから、優先すべきはまだ経験の浅い竈門少年達だと判断した俺は汽車の前方へと向かった。

「全集中常中が出来るようだな!感心感心!」

怪我をしている竈門少年に止血の手順を説明する。飲み込みが早いもので、すぐに止血を終えることができた。

「…杏寿郎、久しいな。」

止血を終えた瞬間だった。俺の背後に貼り付けた笑顔を見せる鬼。

「時姫。」
「妾の名を憶えておったか。」
「なぜお前がここにいる。」
「別に今お前達をなんとかしようとは思っておらぬ。おい、そこの小僧。お前の妹は鬼なのか。」

時姫は笑いながら竈門少年にそう聞いた。竈門少年は驚いているようだった。無理もないだろう、この鬼は今までの鬼とは違う。だが、ある意味少年にとっては嬉しい事だったのかもしれない。

「そうだ!俺は妹を人間に戻したいと思っている!何か知らないか!?」
「…そうか。其方の夢は儚い夢じゃな。…元に戻る方法は今はない。じゃが、鬼になるのなら戻る方法はあるじゃろう。珠世という鬼に会えば分かるかもしれぬな。」
「珠世さんを知っているのか!?」
「なんじゃ、知っておるのか。なら妾に聞くよりも其奴に聞くと良い。
杏寿郎、深雪は此処に来ておるのか?」

急に俺にそう尋ねた時姫。

「あぁ。」
「そうか。お前、深雪を守れる程強くなったのか?」
「…どう言う意味だ。」
「深雪は妾の…私の姉だ。」

真剣な表情でそう言った時姫。鬼はすぐに嘘をつく。だが、その表情は嘘を言っているようには思えなかった。炭治郎も驚いていた。

「…私は炭治郎、君の妹とは違う。人を喰わねば理性は保てないし、あいつの命に従わなければ待っているのは死だけ。」

悲痛な叫びだった。喋り方が異なる今の時姫は鬼ではなく、本当に深雪の妹として俺に伝えているように思えた。

「守れるか!?私は強い。私よりも強い鬼もいる!」
「深雪は弱くない!俺がいなくとも、自分の身は自分で守れる。だが!俺は絶対に死なせたりはしない!」

深雪が死ぬ?そんな事考えたこともない。絶対に死なせない。例え、俺の命に代えても。それくらいに彼女を想っている。

「……信じますよ。」
「あぁ。」
「今、話したことは姉に言わぬこと。良いな。」
「何故だ!」
「そうしたら、妾のことを殺せぬじゃろ。」

悲しい目をしていた。そしてその瞬間、この鬼の気持ちがわかった。

「妾は死ぬ時は深雪に頸を切られた時だけじゃ。妾は人を喰っておる。もう、人間には戻れぬ。ならば、姉の手でこの運命を断ち切りたいのじゃ。」

炭治郎は瞳から一滴の涙が零れた。禰豆子の姿が重なったのだろう。

「分かった。そうしよう。」
「杏寿郎、炭治郎。頼むぞ。」

そう言った直後だった。とてつもない衝撃波が鳴り響く。砂煙の奥に立つ姿を見て、時姫は目を見開いた。

「まずい…上弦の参じゃ。深雪を連れて逃げよ!!」

そう言った時姫だったが、逃げるにはもう時間がなかった。一瞬で間合いを詰められ、あろうことか負傷中の竈門少年に攻撃をして来たのだ。

「炎の呼吸 弐ノ型 昇り炎天」

腕を切ったが、すぐに再生される。これが上弦。

「あやつは妾よりも強いぞ。覚悟するのじゃ。」

そう忠告する時姫に向かって次は攻撃をする。

「時姫。お前、何をしている。」
「猗窩座…妾のことなど放っておけばよかろう。妾は遊んでおったのじゃ。」
「鬼ならば、することは決まっているだろう!」
「妾は下弦の壱の様子を見るよう言われただけじゃ。お前のように、始末するよう命じられてはおらぬ。」

心底嫌そうに時姫は扇で斬撃を飛ばした。その斬撃を鬼は受けるが、すぐに再生される。その時だった。

『雪の呼吸 肆ノ型 六華』
「うっ!…深雪!!」
『煉獄さん達から離れなさい!』

時姫は青ざめていた。この最悪の状況でやってきた姉を見て。

『煉獄さん!炭治郎!』
「深雪、無事で何よりだ。」
「深雪さん…」
『炭治郎…まさか、時姫に?』

炭治郎の血で汚れた隊服を見て深雪は冷たくそう言った。

「深雪さん違っ」
「その通りじゃ。妾が小僧を傷つけたのじゃ。」
「時姫!」

俺が時姫の名を呼んでも、聞く耳を持たない。

『猗窩座、妾はこの娘と遊びたい。其方は女に興味がないのだろう?』
「好きにしろ。」
『時姫…少しは理性のある鬼かと思っていたのに…』
「鬼に理性を求めるとは甚だ可笑しい話じゃな。其方は鬼の何を見て来たと言うのじゃ。」

まるで煽るかのような言い振りに、時姫の意志の固さを思い知った。そして、煽られるほどに深雪は怒りを露わにする。

「深雪、落ち着け。集中。俺はあいつを。時姫は深雪に任せるぞ。」
『分かりました!』

薄く笑った時姫を見た。まるで、ありがとうと言っているような、いつものように貼り付けた笑顔ではなかった。
鬼とは、人を喰らう悍ましく憎い生き物だと思っていた。だが、それはきっと違うのだろう。鬼は悲しい生き物だ。儚い生き物だ。鬼になった瞬間、大切な人を喰ってしまうそんな恐怖と背中合わせに生きている鬼もいるのだ。それが時姫なのだろう。禰豆子なのだろう。
深雪が以前、悪鬼ではない鬼を殺すのは人殺しと同じだと言った。今なら、その言葉に素直に頷ける。

「俺は炎柱、煉獄杏寿郎だ。」
「俺は猗窩座。杏寿郎、お前に良い提案をしよう。鬼になれ。そして、共に高め合おう!」
「断る。」

だが、そんな鬼はほとんどいない。鬼になった瞬間、人を喰うことを生きる目的とする鬼だって多い。だからこそ、一概に悲しい儚い生き物だとは言えない。

「炎の呼吸 壱ノ型 不知火」
「鬼になれ!杏寿郎!」


▽▼▽

『私の可愛い弟弟子をよくも…』
「…あれは其方の弟弟子じゃったのか。弱い。弱すぎる。それに深雪、其方も弱い。」

ビリビリとした衝撃が肌に伝わる。時姫は怒っているようだった。何に?寧ろ怒りたいのは私の方なのに。分からない。鬼の考えることはやっぱり分からない。

「忠告はした。強くなれと。しかし、強くなってなどいなかった。人間とは本当にか弱く哀れな生き物じゃ。」

一気に強さがあるれ出るように、時姫から感じた殺気。

「今回は前のようにはいかぬぞ。」
『望むところよ。』
「深雪さん!」
『炭治郎!動かないで!』
「其方に誰かを庇う余裕などないじゃろう。」

その言葉が聞こえた瞬間、身体は列車まで吹き飛ばされる。

『雪の呼吸 参ノ型 雪崩』

衝撃を少しでも和らげる為に技を出す。しかし完全に衝撃をなくしたわけではなかった。痛いと自然に声が出るほどの痛みを身体に刻みつけてしまった。ただ、この程度で済むものだろうかと疑問にも思った。

「衝撃を減らしたか。」

『雪の呼吸 伍ノ型 白魔の渦』
「血鬼術 時空」

身体を大きくうねらせ、まるで渦のような斬撃を作り出すこの技は深雪にとって一番の力技だった。しかし、時姫が作り出した透明な壁に阻まれ、斬撃は一瞬で消え去る。

「この程度か。其方はこの程度か!!」

怒鳴る時姫だが、あんなにも殺すきでいくと言ったのに、致命傷になるような技を出してこない。

『…時姫、私を殺す気ないでしょ。』
「何を言っておる。」
『貴女の攻撃は迷いが滲んでいる。』
「な、何を…」

その時だった。

「杏寿郎、死ぬな。」

静かな声だったのに、私の耳にはっきりと届いた声。バッと振り向けば、杏寿郎さんは片眼を潰していた。

『きょ…杏寿郎さん』

時姫と戦っていたことも忘れていた。ただただ、身体が冷えていく感覚。

『杏寿郎さん!!』

その瞬間走り出していた。純白の刀を手に全力で。

「待たぬか!其方に一体何ができる!あの男はもう死ぬ!もう…死ぬだけなのじゃ!」
『うるさい!!だまれ!!!私は杏寿郎さんを助ける!死なせたりはしない!!!』

走り出した私の目の前に現れた時姫。しかし、私は時姫なんて眼中になかった。今はただ、愛しいあの人の元へ。その一心で走った。

『雪の呼吸 壱ノ型』
「…!」

身体は冷えている。だけど、感覚は研ぎ澄まされていた。必要最低限の動きで刀を振るう。狙うは手脚。今は足止めができればそれで十分。

『吹雪』

時姫の背後に辿り着く頃には、時の手脚はワタシの刀によって斬られていた。

「深雪!行くな!」

時姫が何かを叫んでいる。何を言っているのかは分からない。分かることは、あの鬼の頸を一刻も早く切り落とすこと。ただそれだけ。

『杏寿郎さん!!』
「来るな!深雪!!」
『雪の呼吸 肆ノ型 六華』

斬撃を飛ばすものの、切れた腕や顔は一瞬で再生される。

「…女にしてはいい刀だ。だが、俺と杏寿郎の邪魔をするな。」
「深雪!!!逃げろ!」

杏寿郎さんが叫んだ瞬間、気づけば目の前に鬼がいた。反応が追いつかない。

「血鬼術 時空」

攻撃を受けるしかないと思った時だった。目の前で鬼の攻撃が吸収されたかのように消えた。

「時姫…お前…何のつもりだ。」
「妾の獲物を勝手に取るとはいい度胸じゃな。おい、杏寿郎。其方は妾に嘘をつくのか?男なら、柱なら、言った言葉に責任は取れ。」
「…よもやよもや。鬼にそう言われる日が来るとは。」

杏寿郎さんから燃え上がるような闘気を感じる。不敵に笑いながら、刀を構え直す。

「俺は、俺の責務を全うする!!ここにいる者は誰も死なせない!!」

命が尽きるまで燃やし続けようとするその姿が目に焼き付く。

「炎の呼吸 奥義 玖ノ型 煉獄」
「術式展開 破壊殺・滅式」

物凄い衝撃音が鳴り響く。土煙で一切状況が見えない。ただ、土煙越しに見える影は止まっていた。勝負がついたのだ。なのに、二人の姿形はくっきりしている。鬼の頸が切れていない。

『杏寿郎…さん…』

目を疑った。彼のお腹には鬼の手が貫通していた。刀を振り上げている状態で止まっている。刀があの鬼には届かなかったのだ。

「死ぬ…!死ぬぞ杏寿郎。鬼になれ!!鬼になると言え!!お前は選ばれし強き者なのだ!!」

しかし、彼は諦めなかった。責務を果たすべく、刀を振るう。最後の最後まで。

『杏寿郎さん!!!』

私は走り出した。あの鬼の頸を斬るべく。杏寿郎さんのために。

「雪の呼吸 伍ノ型 白魔の渦」

杏寿郎さんが刀を刺した反対側から刀を刺す。
すごく硬い。刃が全然頸を通ろうとしない。そして、隣で消えかけている命を燃やし続けている彼を感じて泣きそうになる。
だけど、止まれない。ここで引いたら終わりだ。杏寿郎さんが命を張った意味がなくなる。絶対に絶対に、ここでこの鬼の頸を斬る!!

「おおおおおおお!!!」
「オオオオオオオオオ!!!」
『あああああああああ!!!!』

空が明るくなってきた。このままこの鬼を留まらせる。それが出来れば…

「伊之助動けー!!煉獄さんと深雪さんのために!!」

そんな叫び声と共に足音が聞こえる。伊之助と炭治郎の足音だ。二人がこの鬼の頸に刀を刺すことが出来さえすれば、絶対にーー
だが、そう思ったと同時にバキッと音がして手に持っている刀が軽くなった。目の前には二つの刀が刺さった鬼の姿。
そして鬼は逃げるようにその場を去る。

「くっ…」
『杏寿郎さん!』

ふらりと倒れかける身体を支える。手が生ぬるい血で濡れる。温かい血がどんどん流れてゆく。
炭治郎が鬼に向かって叫ぶ。卑怯者だと。愛する人の勝利を口にするあの子の姿を見るだけで涙が出そうになった。

「…時姫。」
『!』
「……今回の戦いは其方の勝ちじゃ。杏寿郎。約束を守ってくれて、ありがとう。」

そういうと、時姫もその場から姿を消した。
太陽が新たな一日を告げる為に柔らかく私たちを照らす。

「炭治郎、こっちにおいで。最後に話をしよう。」

優しく穏やかに笑う彼は、最後と言葉にした。