戦う先に幸せがあると信じて

彼の声が聞こえているのにまるで滲んでいるようにボヤボヤして上手く聞き取れない。なぜ彼は今こんな最期の様な会話をしているのか。その理由はもう誰が見ても明確だ。判りたくないのに判ってしまう。本当に最期だということが。
最後の最期まで彼はまるで歴史に残る英雄の様に立派で誇らしい。だけど、こんなにも命をかけて戦ったのに、200人もの命を守ったのに、最期は壮絶な痛みを伴うものだったのに、そのことを知る者は殆どいないだなんておかしな話だ。本当におかしい。

「深雪。」

炭治郎との話が終わると彼は私を見る。真っ直ぐに私のことを見る。
あぁ、やめて。神様どうか、この人を連れて行かないで。私の心を溶かしてくれた優しい人。そんな人を私から奪わないでください。
そんな心の叫びを聞いてくれる様な神様がいたのなら、この世に鬼はいないだろう。だから、どう足掻いたってもう、この僅かな時間しか彼を感じることはできないのだ。

「深雪。」
『杏寿郎さん…』
「そんな顔をするな…と言っても無理な話だよな。俺が君の立場でもきっとすぐには切り替えれない。」
『もう、本当に最期なのですか。』
「あぁ、そうだな。」

ドクドクと溢れ出す血は止まることを知らない。真っ黒な隊服を赤黒く染め上げていく。

「君は強い。だから、俺は安心して待っていられる。」
『強くなんてないです…杏寿郎さんがいたからっ』
「深雪。」

大きな手が私の右頬を包む。いつもは温かい手なのに、その手からはひんやりとした冷たさしか感じられない。

「愛している。心から君を愛してる。」
『私も愛してます。きっと私の人生、あなた以外好きになる人はいません。』
「なら…ずっと待っている。まだ先になってしまうが、君が俺のもとにやってくる日に祝言をあげよう。どんな君でも愛す。例え、おばあちゃんでもな。」
『待って、杏寿郎さん!行かないで!!』

包まれていた頬から力がなくなり始める。彼の死を感じるのが怖くて、私は縋り付く様に彼を抱きしめた。まだ心音が聴こえるのに、なんて頼りないのだろう。

『嫌!お願い!私を置いて行かなっ…!』

彼の顔を見た瞬間、唇が重なり合った。本当に一瞬のような口づけ。なのに、いつもの温かさはない。甘くもない。冷たい血の味の口づけ。

「深雪、強く生きろ。心を燃やせ。…愛してる。」

微笑んだ彼はその瞬間、ゆっくりと項垂れる様に停止した。


▽▼▽


深雪さんはそれから暫く泣き続けていた。受け入れなければならないと奮い立たせる様な匂いと受け止めきれず悲しむ匂いが葛藤する様に泣き崩れていた。

「深雪さん、今日も出てこなかったな。」
「…うん。大切な人を目の前で亡くしたから…」

蝶屋敷で安静にしていろと言われた俺たちはまた三人揃って蝶屋敷でお世話になっていた。伊之助は寝ているが、善逸は起きていたようで俺と話していた。話の内容は深雪さんのことだった。
善逸も俺と同じ様に深雪さんを慕っていた。本当の姉の様に寄り添う深雪さんを嫌う人なんていないだろう。だからこそ、善逸も泣き崩れるすがたに胸を痛めていた。

「俺、昨日煉獄さんの家に行ってきたんだ。」
「あぁ、しのぶさんにこっ酷く叱られてたな。」
「うん。大事な用事だったとはいえ、無断で行ったのは悪かったと思う。だけど、煉獄さんと約束したから。」

こっそり抜け出して煉獄家に行き、千寿郎くんに煉獄さんの最期を伝えた。その時に千寿郎くんから聞いたのだった。

「あの、すみません…話は変わってしまうのですが、深雪さんはご存知ですか?」
「はい。俺の姉弟子なんです。」
「あ、あなたが…その、深雪さんと兄は」
「愛し合っていたのですよね。知っています。」
「深雪さんは今どこに?」
「…胡蝶屋敷でずっと部屋から出てこないんです。」
「そう、ですか…。」
「どうかされましたか?」
「兄と深雪さんは…祝言をあげる予定だったんです。この任務が終われば、二人は…。深雪さん、葬式に出られなかったんです。会場に入ることすらできないほど泣き崩れて…」

涙を流す千寿郎くん。どれだけ二人が大切な存在だったかがわかる。きっと楽しい時も辛い時も支え合ってきたのだろう。

「深雪さんは今一生懸命立ち上がろうとしていると思います。もう少しだけ、待ってあげてください。」
「…ありがとうございます。」

そう言った千寿郎くんを忘れられない。きっと深雪さんは千寿郎くんにとっても姉の様な存在だったのだろう。兄を亡くし、姉は姿を見せず…あの子はきっとずっと誰よりも辛い。

「善逸。」
「どうした?」
「深雪さんはどんな音がする?」
「なんだよ、急に。」
「善逸にはどう聞こえてるのかなって。」

少し迷った様に眉を下げながら答える。

「深雪さんはすごく優しい音がする。でも、同時に不安そうな音もするんだ。その二つがいつも絡み合ってる。そんな音。」
「…うん、そうだね。俺も同じだよ。きっと、すごく優しくて、ずっと不安だったんだ。誰かを失うことが。」
「うん。でも、きっと大丈夫だよ。だって、深雪さんは…」
『私がどうしたの?』

突然現れた声の主は深雪さんだった。

「深雪さん!!」
「な、なんで!?もう、大丈夫なんですか?」
『…ごめんね。もう、大丈夫。』

大丈夫には到底見えない表情。だけど、悲しみに飲み込まれていた時とは違い、決意を感じる匂いがした。

『ずっとこのままだと、杏寿郎さんに叱られてしまうからね。』

無理に笑顔を作っていることがわかる。善逸も分かっているから、苦しげな表情をしている。

『…炭治郎、善逸。』
「はい。」
『絶対に…倒そうね。鬼舞辻無惨を絶対に。』

決意の匂いが濃くなった。その瞬間、凛とした表情に戻った様に見えた。
強いなぁ。剣技もそうだけど、心が強い。こんな人の様になれるかな。
ギュッと拳を握る。

「はい!」
「俺も出来るだけ頑張ります。」

その言葉を聞くと、花の蕾が開くような笑顔を見せた深雪さん。そしてその場から消える。

「…よかったな。きっともう大丈夫だよ。」
「うん。よかった。」 

きっとこれから先、心が晴れる日なんてなかなか無いし、あの日のことを夢に見てうなされることだってあるだろう。だけど、きっと大丈夫。もう、やるべきことをしっかり見つめているから。

「…それに妹さんだって見守っているから。」

月はまだ高く、日が昇ることを知らないようだ。
今はただ、傷を癒そう。いつか必ず、彼のように強くなるために。

▽▼▽

『しのぶさん、ありがとうございました。』
「次は柱合会議でお会いしましょうね。」

蝶屋敷を後にし、見慣れた道を歩く。久しぶりに出た外は本当にいつも通りだった。
いつも通り過ぎて、煉獄家の門をくぐれば彼が笑っているのではないかと錯覚しそうになるほどに。
夜になればここもどうなるのかわからないのに、それでも日中はその恐怖に飲み込まれずに、堂々とある。こんな日常をもっと彼と送っていきたかったと思うと涙はまだ込み上げてくる。

「…深雪さん…?」

家の前を掃き掃除していた千寿郎くんの姿を見つける。千寿郎くんも私を見つけたようで、目を見開いて私を見た。
あの人とそっくりなのに、まだまだ子どもらしさが抜けないその表情とずっとずっと苦しそうな表情。

『千寿郎くん、遅くなってごめんね。』
「いえ…その…」
『千寿郎くん。』

こんな表情をさせてしまったのは、かれが亡くなったことだけじゃない。きっと、慕っていた私の泣き崩れる姿を見たせいだ。
まるでこの子は大切な人を二人も失ってしまったように感じただろう。

『ただいま。千寿郎くん。』
「あ…あ、うっ…!!」

ただいまという言葉を聴いた瞬間、かれの目からは大粒の涙が次々と溢れ出した。ずっとずっと溜め込んできたはずだ。本当は兄を私と一緒に見送りたかったはずだ。この子はずっと一人だったのだろう。
泣きじゃくる千寿郎くんを抱きしめる。すると、千寿郎くんも強く強く抱きしめてくれた。

『待っててくれたのにね。千寿郎くん、本当にごめんね。もっと早くにあなたを抱きしめるべきだったのにね。』
「ああああああ!!!」

縋り付くこの子を宥めるように優しく背を叩く。小さい背中だ。この子はこの小さな背中でたくさんの想いを背負っていた。
この子は鬼殺隊員にはなれない。だから、兄の最期を聴くことしかできない。私の悲しみを慰める資格もないと思っている。そんな子を私はずっと待たせてしまった。

『千寿郎、強く生きよう。寂しくても。私がいるから。』
「深雪さん…やっぱりあなたは兄上に似てる。その言葉、以前兄上に言われたことがあるんです。」
『そっか。…私のことを姉だと思ってくれていいからね。杏寿郎さんのような立派な姉にはなれないけれど。』
「そんなこと…!それに、私はもうあなたの事をずっと姉だと思ってます。」

涙を流しながら笑った。ひまわりが朝露に濡れたようなそんな笑顔。守りたいと思う。杏寿郎さんの代わりに。杏寿郎さんがずっと守ろうとしてきたこの子のことを。

「…深雪さんか。」
「父上!」
「中へ入りなさい。」
『は、はい!』

以前は私と話す気なんてさらさら無かったような人がどうしたのだろうか。心なしか、雰囲気が柔らかくなったように見える。
千寿郎くんと手を繋ぎ、久しぶりに煉獄家の中に入った。杏寿郎さんの匂いがする。一緒に過ごした思い出がたくさんある。

「座りなさい。」

感傷に浸っていると、真寿朗さんに座るよう促される。私はその通り座る。対面したのは私が継子としてこの家へやってきた時。しかし、顔を見合わせることはなかった。

「深雪さん。杏寿郎のこと、ありがとう。君が側で看取ってくれたと聞いた。きっと、幸せな最期だったと思う。」
『いえ、そんな…私は杏寿郎さんの死を受け入れたくなくて…きちん看取ってあげられてません。』
「…もし自分が死ぬ時、側で愛する人が居たらなと思うんだ。大切な人たちに囲まれて一生を終えたい。人とはそう思うものだと思ってる。きっと杏寿郎は幸せだった。…失ってから気づくとは不甲斐ないばかりだが。」

優しい表情だった。いつだったか、杏寿郎さんが言っていた。父上は強く優しい人なのだと。いつかきっと元通りの父上になると。
杏寿郎さん、あなたの言った通りでしたよ。
見てくれているだろうか。天から私たちのことを。

『必ず、必ず私が杏寿郎さんの想いを引き継ぎます。鬼のいない世の中にしてみせます。』
「…ありがとう。深雪さん、この羽織を。君は雪の呼吸だから、この燃える羽織は変かもしれないが、常に心を燃やし続けなさい。きっと杏寿郎も望んでいるだろう。」

最期まで彼が来ていた羽織を手に取る。これを着てもいいのだろうか、この私が…

「きっと、兄上も喜びます。兄上の想いを一緒に連れていってくれませんか。」
『…この羽織に相応しい人で在れるよう、努力いたします。本当に…ありがとうございます。』

二人とも彼とそっくりな笑顔だった。
優しい笑顔だった。

『じゃあ、私は行くね。千寿郎くん。』
「お願いが…」
『どうしたの?』
「先程のように、千寿郎と呼んで欲しいのです。姉上。」

顔を真っ赤にしてそう言った千寿郎くん。その可愛らしい言動に思わず笑ってしまった。

「あ!酷いです!」
『ごめんごめん、可愛くてつい。そんなに怒らないで、千寿郎。』
「…ちゃんと帰ってきてくださいね。」
『うん。』
「俺、待ってますよ。」
『千寿郎が待っててくれるなら、ちゃんと帰らないとなあ。』

頭をそっと撫でる。名残惜しいが、そろそろ行かなければならない。

『行って参ります。』
「姉上!お気をつけて!」

手を振ると手を振りかえしてくれる。
この日常を守るために私は歩み出す。杏寿郎さんの羽織がひらりと風を受けて私を守るように舞った。