煉獄さんの家に来て数ヶ月が経った。何度か煉獄さんの任務について行ったり、単独での任務にも行ったりした。だけど拠点は煉獄さんの家で、鍛錬中心の生活だった。
「あ、深雪さん!お疲れ様でした!」
『ただいま、千寿郎くん。』
煉獄さんの弟の千寿郎くんはいつも笑顔で迎えてくれた。殺伐とした任務から帰ってこの笑顔を見ると、本当は鬼なんて存在していないのではないかと思うほどに平和だった。
『煉獄さんはもう帰ってこられた?』
「いえ。でももうすぐ帰ってくると思います。」
『そっか。』
「お風呂、沸いていますよ!お疲れでしょうから、ゆっくり入ってくださいね。」
千寿郎くんは私にとって癒しだった。そのお日さまのような笑顔で私も笑顔になっていくのを感じる。
凍りついていた心がここにきて溶けてきているのが自分自身でもわかる。でも、自分の心を曝け出せるほどの勇気はまだなかった。
幸せだとか、楽しいだとか言葉にしてしまえば、もしその言葉とは逆の事態になった時に私は耐えられない。
「深雪さん?」
『何でもないの。ありがとう。入ってくるね。』
お礼を言い、お風呂に入り戻ると、煉獄さんの姿がそこにはあった。
『煉獄さん、おかえりなさい。』
「うむ!美影も無事に帰って来ていてよかった。怪我はなかったか?」
『はい。ありません。』
「そうか!それはよかった!」
初めは私の心に遠慮なく踏み込んでくる彼が苦手だった。だけど、いつの間にかそれを許している自分がいた。任務から帰ってこないと心配になるし、帰ってくると本当にホッとする。煉獄さんが強いことは私が一番よく知っていることなのに、それでも離れると不安なのだ。
『煉獄さんも無事でよかったです。』
「…美影は随分と自分の思いを伝えるようになったな。いいことだ。」
優しく微笑んだ。その表情はお日様のように温かくて、胸がギュッと痛んだ。
思わず右手で胸を押さえる。でももうあの痛みはなくなっていた。
その胸の痛みは日に日に何度も起こるようになった。
朝、少し眠そうな表情の時。鍛錬に打ち込む時。千寿郎くんと話している時。甘いものを食べている時。
私に笑いかけてくれる時…
「それは、恋じゃないかしら?」
『え?』
「だって、煉獄さんのことを見ると胸がギュッと苦しくなるんでしょう?」
『うん…』
「それは恋よ!絶対にそうよ!」
久々に煉獄家に遊びにきたのだと言う彼女とは何度か任務で一緒になり、仲良くなった。そんな彼女に私は胸が痛くなるのだと相談したのだった。
すると、蜜璃ちゃんは自信満々といった表情でそういった。ピンときていない私の表情を見て、彼女は笑った。
「ピンときてないと思うけど、きっとそのうち分かるわ。」
『…なんで、蜜璃ちゃんは分かるの?』
「…一人、私のことを優しい目で見てくれる人がいるの。私はその人を見るとすごく胸がギュッてなるの。ね、深雪ちゃんと同じでしょ?」
可愛らしく微笑む蜜璃ちゃん。あぁ、なんて可愛らしい人なんだろう。そしてそんな表情にさせる人は本当に蜜璃ちゃんを大切に思っているのだろうなと思った。
私たちはいつ死ぬかわからない。誰かを愛することが億劫になる程、死が側で着いて歩く。だけど、きっと誰かを愛してしまうのだろう。彼女のように。
『…煉獄さんのこと、好きなのかもしれないけど…』
私は誰かを愛してはいけない。誰が何と言おうと、愛してはいけないのだ。私が心を許して愛してしまった人たちは、皆この世から姿を消してしまったのだから。
「深雪ちゃん、煉獄さんは…」
『強いのはわかっているの。分かっていても…私が大好きな人が目の前で死んでいくのは耐えられない。
蜜璃ちゃん、本当はあなたとだって仲良くなんてなりたくなかった。』
まるで突き放すような言葉がスルスルと出てくる。防衛本能にしては酷すぎる言葉に私自身が嫌悪する。
突き放すことでしか守れない。
「じゃあ…何で仲良くなってくれたの?」
『それは…』
「私は深雪ちゃんと仲良くなれて嬉しいわ。だって、深雪ちゃんは私を受け入れてくれたもの。」
『え?』
「私の髪、変でしょ?だけど、綺麗だと言ってくれて、私は嬉しかったの。ねぇ、深雪ちゃん。私たちは常に無事に明日を迎えることができると断定できない仕事をしてる。だから、何かを諦めなきゃいけないこともある。だけどね、自分の心は殺してはいけないと思うの。」
私の手を握った。女の子とは思えないゴツゴツのした掌。何度も何度も剣を振るってきた証拠だった。
「誰かを愛する気持ちは自分を強くする。だから、深雪ちゃんの思うように進めばいいの。」
『蜜璃ちゃん…』
そんな話を遮るように、蜜璃ちゃんに任務の知らせが舞い込んできた。すぐ様準備を整える彼女に
『ありがとう、蜜璃ちゃん。…また、話を聞いてくれる?』
そう言った。すると驚いたような表情をした直後、満面の笑みで蜜璃ちゃんは言った。
「絶対にね!」
手を振りながら駆けていく彼女を見送る。
『煉獄さん…』
ボソッとそう呟いた。凍りついた心はもうほとんど溶けていた。それ程、この家での生活は温かかった。
「む、甘露寺は帰ったのか。」
『あ、先程…任務が入ったようで。』
「そうか、甘露寺も大変だな!」
『すみません、私ばかり話してしまって…』
「いや、女性同士の方が話しやすいだろう!それに、美影は甘露寺といる時、笑顔だからな!邪魔したくなかった!俺にもその笑顔を見せて欲しいものだ!」
そう言って私の頭に手を置いた。胸がまたギュッと痛んだ。でも、今までとは違う心地よい痛みだ。それはきっと、これがこいだと知ったから。
『煉獄さん。私、煉獄さんに出会えてよかったです。』
コトンと何かが落ちたような音が体の中から聞こえた気がした。
『私、煉獄さんが好きです。』
きっとその言葉すらもいつ言えるかわからないから。
「うむ。俺も美影が好きだ!」
『えっ』
「好きでなければ面倒なんて見ていないだろう。」
きっと、煉獄さんの好きと私の好きは違う。だけど、今はそれでもいいと思った。少なからず、そばにいても良いと言うことが分かったから。
「さ、千寿郎が待っている。中に入ろう。」
『はい。』
中に入れば、千寿郎くんが笑顔で迎え入れてくれる。この温かな場所を失いたくない。そう強く思った。