ミスをした。
普段なら間違うはずもない、体に染み付いたはずのステップで、足を滑らすなんて笑える。

思えば、今日はいつもなら入念に行うはずのストレッチを、少しだけサボった。


なんだか、全てが猛烈に面倒だったのだ。

たまには、そんな日があったってえぇやろ。
仕方ないやん。許してや。と誰に向ける訳でもない言い訳をしながら、無理に体を動かした結果だった。


「あ、廉!大丈夫?」
「おん、捻挫やって」
「えぇ!結構重傷じゃん」
「見た目ほどやないよ」

大袈裟に巻かれた足首のテープを見て、海人が声を上げた。
岸さんは、大丈夫か?動けるか?と、心配そうに肩を貸してくれる。

「やから、そんな重傷やないって」
「マジで?」
「マジマジ。ほれ、余裕やん」
「こら、廉!」
「バカ!悪化するぞお前!」

メンバーに心配は掛けまいと、無理に動かした足がズキンと痛んだ。

何が余裕や。
もう、ボロボロや。
心も、体も。

情けなく巻かれた足首のテープに視線を落とし、溜め息を吐いた。








「ね、廉」
「ん」

レッスンは、一時休憩中。
怪我した足を庇い、部屋の隅で座り込む俺の隣に、紫耀が腰をかけた。


紫耀とは、あの日、あの光景を見て以来、俺から話し掛けていない。
もちろん、話し掛けられれば普通に会話はするけど、それだけ。


紫耀は天然だ。
しかし、バカではない。

きっと俺が自分に対して、何か良くない感情を抱いているという事には、気付いているだろう。


「どしたん」
「ううん、別に」
「なんなん、気色悪いなぁ」

軽く笑って、隣に座った紫耀の方を見る。
紫耀は、そのまま何を言うワケでもなく、休憩中だというのに、全く体を休めようとしないメンバーを見ていた。







海人が、謎の動きでふざける岸さんの横で笑っている。

ジンが、そんな二人を見て、自分も!とその中に入っていく。

そして、そんないつも通りのやり取りを見て、俺も笑った。

身近な誰かが、こうして笑っている姿を見ると、それだけで自分も少し笑顔になれる。

コイツらは、そうやって誰かを笑わせる天才だ。

メンバーを笑わせ、スタッフを笑わせ、ファンを笑わせる。

アイドルとして、これ以上ないほど恵まれた才能を持つ彼らの中にいて、どうして、自分だけがこんなにも卑屈なんだろう。







目の前で笑うメンバーを見て、もう一度隣に座る紫耀の方へ視線を向けた瞬間。その傍らに置かれていたスマホが、急に光った。
おそらく、何かの通知だろう。

未だ岸さんと海人の下らないやり取りに笑っている紫耀は、それに気付いていない。

だからだろうか。
なんとなく、その画面を盗み見てしまったことを、すぐに死ぬほど後悔した。


『水曜日なら、午前中がいいです』

差出人の名前は、俺のよく知るアイツやった。


なんやねん、そのメッセージ。
一丁前に時間の指定までして、超人気アイドルとデートかい。
何様や。

メンバーの笑顔と、この和やかな雰囲気に、少しだけ溶けていた心の棘が、再び胸に突き刺さる。


何で、よりによって紫耀なん。
よりによって、〇〇なんよ。







「廉」
「……」
「見たよね、今」

あぁ、わざわざ聞いてくるっちゅーことは、コイツ、俺と〇〇が顔見知りってことは知っとんのか。


「………えぇ御身分やな、現場の大学生引っ掛けて、デートかい」
「うん」
「なんその返事、腹立つなぁ」


最悪や。
なんて惨めなんだろう。

嫉妬で下らない嫌味しかぶつけられない俺にも、全く動じない紫耀が羨ましかった。

こんなにも真っ直ぐで、素直な男だから、彼女は心を許したのだろうか。







「廉」
「なんや」
「俺さ、多分あの子のこと、好きなんだよね」
「はあ?」
「〇〇ちゃん」

初めて紫耀がハッキリと口にしたその名前に、心臓が嫌な音を立てた。

「俺が〇〇ちゃんと一緒にいるの、多分、知ってたでしょ」
「………」
「どこで見られたのかは分かんないけど、なんとなく、廉、最近俺のこと避けてたから」
「………」
「謝んないよ、俺」
「頼んでへんわ、別に。そんなん、」

そもそも、 謝られたって腹立つだけやろ。
俺の目を見て、真っ直ぐ〇〇のことが好きだと告げた紫耀から、目を逸らした。






「〇〇ちゃんさ、可愛いよね」
「知らんわ」
「俺がどこ連れてっても、美味しいです、ありがとうって、なんでも幸せそうに食べてくれんの」
「なんその話、ほんまダルいんやけど、」
「俺、あの子のこと、守ってあげたい」
「………」

幼い頃、自分が彼女に抱いた感情は、紫耀と同じだった。

小さくて、可愛くて、まるで、お伽話の主人公のようにキラキラと輝いて見えた、その存在。


今になって、ようやく分かる。

その小さな存在が、キラキラ輝いて見えたのは、俺が、その小さな彼女に、ずっと恋をしていたから。

守りたいと思った。
ずっと、そばにいて欲しかった。


あんなに幼い頃から、既に答えは出ていたのだ。







「…きよ」
「なに」
「俺だって、好きや」
「……」
「お前なんかより、ずっと………ずっと、好きやってん、」

彼女だけが、俺にとっての特別だった。

大好きだった。


本当は、今もそばにいて欲しい。
紫耀より、俺を見て。
俺の名前を、呼んでほしい。

もう一度彼女が好きだと、振り絞るように呟けば、その頃にはもう、メンバーの笑い声は、聞こえなかった。