「そっか、意外です。平野紫耀って、弱点とか何もない完璧な人なのかと思ってました」
「そうでもないよ。俺だって人間だし、初めての場所でこの広さはキツくない?」
「この大学、広いですもんね」
「そうそう。だから君のおかけで助かっちゃった。ありがとうございます」
「いえ、」

ただの大学生相手に、そう言って、普通に笑う彼の姿に驚いた。


彼ーーー平野紫耀くんは、廉くんと同じグループに所属する、歴としたアイドルだ。
それも、グループではセンターを務める存在。

もっと、偉そうにしていてもいいのに。

ニコニコ笑って、痛みなど一切ない艶々の髪をかき上げる姿に、久々の"特別"を感じた。









「平野さんは、凄いですね」

見つめた彼の大きな瞳が、一瞬大きく開かれた。


歩む足は止まらない。
しかし、訪れた沈黙が彼の動揺を表していた。

「急にごめんなさい」
「いや、大丈夫だけど」


おそらく、午前中の早い時間だからだろう。
始業前の学内は静かで、微かな木々のざわめきがよく聞こえた。


「ありがとう」
「え、」
「俺、アイドルだからさ」
「?」
「凄いって思ってもらえて嬉しいよ。具体的に、どこが凄いと思った?」

視線は少し先を見たまま。
今度は、わたしは戸惑う番だった。

「市場調査。直接一般の人の声を聞く機会なんて滅多に無いからさ」
「あぁ、そういう、」
「俺って、どこがどう凄いと思う?」









「素敵だなって、思いました」
「素敵?」
「はい。単純に、良い人だなって」

今日初めて出会ったわたしに、こんなにも優しく接してくれるところ。

ただの大学生相手に、きちんとお礼を言ってくれるところ。

こちらの話に耳を傾け、しっかり話を聞こうとしてくれるところ。


容姿がいいからではない。
彼が芸能人だからでもない。

ただ単純に、彼が人として周りから好かれているんだろうな、ということが、この数分でよく分かった。

「ごめんなさい、ありきたりな言葉で、」
「ううん、ありがとう」


廉くんもアイドルだ。

しかし、廉くんとは明らかに違うタイプの彼から放たれるキラキラとしたオーラに、眩暈がした。








「良かったら、今度俺達の曲も聴いてね」
「あ、」
「俺ね、グループなんだ」
「それは、一応、」
「ほんと?知ってた?すっごいよ、俺以外のメンバーも、みんなめちゃくちゃ凄いから」
「はい、」

廉くんから、ほんの少し仕事の話を聞いたことはある。
しかし、メンバーのことについて聞いたことは無かったので、新鮮だった。


目的地である南別館までの道中。
話が途切れないように、誰がこうで、あぁで、と様々なことを聞かせてくれる彼の顔は、本当に楽しそうだった。

きっと、メンバーのことが大好きなのだろう。







「永瀬廉、は知ってる?」

話の流れで、いずれ名前が出ることは分かっていた。
しかし、その名前を聞くだけで、ほんの一瞬でも動揺してしまった自分に、内心冷や汗をかいた。

幸い、平野くんは何も気付いていない様子だ。
にこやかに笑って廉くんのことを話すその姿からは、仲の良さが伺える。


廉くんは今、どんな仕事をしているのか。
何が得意で、何が苦手なのか。

気になっても、調べることすらしなかった知識が、自分の中へ入り込んでいく。

わたしの知らない、アイドルである彼の存在が、どんどん大きくなっていく。


「平野さん」
「ん?」
「その……廉くんって人、楽しそう、ですか、?」
「え」
「あ、………」








切り出してから、しまった、と思った。

撮影現場で、偶然居合わせた大学生。道案内の為だけに一緒にいた一般人に、突然こんなことを聞かれれば、戸惑うのは当然だろう。

広がった沈黙に、泳ぐ視線は誤魔化せない。

しかし、弁解の言葉すら、動揺で詰まってしまった喉からは、何も出なかった。



「ごめん、気使わせちゃってた?」
「え、」
「廉のファンなんでしょ」
「!違います」

ファンなんて、きっと一生名乗れない。

もう二度と会うことはない彼のことだ。

自覚はしているのに、無関心ではいられないのが悔しかった。