多分、名前は俺から離れようとしていた。

今回のことで、自分が足枷になるとでも思ったんだろう。

不安そうに、こちらを見つめて揺れる瞳に、たまらなくなった。


「ごめん、」


仕事中は会わない。

そう決めたのは俺なのに、今にも泣きそうな顔で自分に縋る彼女のことを見て、抑えが効かなかったことを反省する。

きっと目を覚まして謝ったって、彼女は、そんなこといいよと笑うだろうけど。


疲弊し、ぐっすりとよく眠る名前の頬に手を添えた。

意識は無くても、何か感じるのか。
その一瞬、ふにゃりと緩む口角に、にやけそうになる口元を押さえた。

「ほんと、可愛いね……」

いっそ、もう何もかも無視して、この燻った感情を彼女にぶつけてしまおうか。

思ったところで、優しく触れた体に残るたくさんの跡が、暴走しそうになる俺の理性を繋ぎ止めた。

まぁ、それでも刺激が強いことに代わりは無いけど。

彼女の体にこれ以上負担はかけられないと、中途半端にかかっていた毛布を引っ張り上げようとすると、その瞬間、小さなうめき声とともに名前を呼ばれた。


「名前?」
「……ん…」
「起きたの?」
「…のどかわいた……」
「ふはっ、声枯れてるじゃん。待ってね、水待ってくるから」

寝ぼけ眼で、ぼんやりこちらを見つめる彼女の頭を撫でて立ち上がる。

「ねぇ名前」
「ん、」
「もうさ、ずっとここに閉じ込めていい?」
「……いや」
「ふは、だよね。どーぞ」


元々、万が一にも詐欺師として生きる俺との関係を疑れてはいけないと、彼女には、隣の部屋に居ながら他人のフリをしてもらっていた。

けれど、同じ場所に住んでいたって、その姿をどこにも出さなければ同じだ。

誰に見られることも、誰に狙われることもない。

過去にも一度頭をよぎった俺の極端な提案に、彼女は不機嫌そうに眉を寄せた。


「名前」
「ん、…もうやだ……」
「分かってるよ。これだけね」

水分補給で潤んだ唇に自らの唇を重ね、弱々しく俺の肩を押す手を掴んだ。

「ここ、痛い?」
「へいき、」

幸い、大きな危害は加えられなかったが、その手に残る痛々しい跡は、明らかに俺のせいだ。

どんなに労って触れても、その傷が消えるわけではない。

守れなかった悔しさに、グッと唇を噛み締めた。


「くろさきくん……」
「ん?」
「プリンたべたい…」
「プリン、?」
「うん、」

何で今、そんなことを言うのか。

すぐに口から出そうになった疑問は、彼女の次の言葉で掻き消された。

「それで、ぜんぶ忘れるから」

だから、そんな顔しないで。

力の抜けた笑顔で、へらりと笑って俺の手を握る彼女に、どうしようもない程の好きがあふれた。


「もう、なんにも考えたくない、」

「好きだから……一緒にいるんだよ」


彼女も俺と同じように、色んなことを考えて不安になるのだろう。

その度に、たくさん悩んで、苦しんで。

それでも、結局辿り着く先が同じであることが嬉しかった。


「××の限定プリンでいい?」
「うん」
「上限まで買ってくるわ」

嬉しそうに、俺の言葉にうなずいた名前の体を、力の限り抱きしめた。