次の仕事は、いつもより時間がかかる。

だからしばらくは帰れない。

彼にそう告げられ、数日経った夜のことだった。


「白石さん……?」
「やぁ、こんにちは」


仕事を終え、自宅までの道のりを歩いていたわたしの前に、いつかの外車が現れた。


「何かご用ですか」
「あぁ、黒崎のことで少し話がある」
「………」
「俺のことを信用出来ないなら、今ここで話してもいい」
「分かりました」

この人のことは、知っている。

無駄に危害を加えられることはないだろうと、以前も乗り込んだ車の後部座席に足を踏み入れた。




「実際、あんたどこまで知ってるんだ」
「黒崎のことですか」
「あぁ」
「仕事のことは、ほとんど何も知りません。終わったらフラッと帰って来て、ご飯食べて休んだら、 またすぐ次の仕事に行っちゃうので」
「じゃあ、今黒崎が何をしているかは?」
「知りません」

きっと、この人は何か知っているんだろう。

あの後、彼とどう話をつけ、どのように事を収めたのかは知らないが、おそらく険悪な状況ではないことをその表情から察する。


「知りたいと思わないのか」
「知ったところで、何も出来ないから」

いっそ知らないまま待つ方が、楽なこともある。

「いいのか」
「何がですか」
「何も知らないまま、アイツが危険に晒されても」

聞き方で分かる。

そもそも、何も無ければ、こうしてこの人がここに来ることもない。

その意図を理解すれば、彼が本当に伝えたいことなんて明白だ。


「黒崎くんのこと……わたしに話してどうしたいんですか」
「別に」
「………」
「ただ、君には少し不本意な事をしてしまったからな」
「それはお互い様でしょう」
「じゃあ、これは俺から。ただの気まぐれということで聞いてくれるかな」



黒崎は、宿敵である御木本という男にたどり着いている。

しかし、その御木本という男は、アイツが一人で奔走したところで、簡単に潰せるような相手ではない。

一歩間違えば、こちらが潰されるかもしれない。


黙り込むわたしに、険しい顔をした白石さんは、それ以上何も言わなかった。



彼は、わたしとは違う。

家族を奪われ、詐欺師に人生を変えられた。


その全てを賭け、仇に復讐する為だけに生きている。

何を捨てでも曲げられないその目的の為に、彼が今、危険を侵してでも進もうとしているのなら———。


今まで、ずっと目を背けてきた残酷な現実に、急に心がざわついた。












『………名前?』


良かった。ちゃんと生きてる。


『どうしたの。寝れない?』

いつもと何も変わらない、彼の優しい声に胸がきゅっと締め付けられた。


『名前、?』
「………遅くにごめんね」
『ううん、それはいいけど、どうかした? あ、しばらく会えてないもんね。寂しくなっちゃった?』
「………黒崎くん」
『ん?』

本当は、すぐにでも教えてほしい。

「今、どこにいるの……」

一人で、どんな辛い現実に向き合っているの。


『名前……?』
「会いたい、」
『………』
「会いたいよ、っ黒崎くん……」

何を言ったって、叶わないことは分かっている。

それでも、いつか消えてしまうかもしれないと考えた時。こうして一人で待つことさえ、無駄なことのように思えてしまった。


『困ったなぁ、』
「っ……」
『俺がいないところで、一人で泣かないでよ』
「その言葉、そっくりそのまま返すっ…」
『あはっ、俺が泣いてるって?』


知ってる。

あれから彼は泣いていない。

しかし、それはあくまで表面的な話であって。

心では、いつどこで泣いているかなんて分からない。


『会いたいよ、俺も』
「黒崎くん……」
『名前って凄いよね、』
「え、」
『タイミング完璧なんだもん』

一瞬の沈黙。

そして、耳を澄ませば聞こえる波音にピンときた。

「外……?」
『うん』
「行ってもいい?」

その言葉に返事は無かった。

しかし、ダメならダメだとはぐらかし、わたしを避ける、いつもの彼はいなかった。


『電話、絶対切らないで』
「うん、」
『寒いから、ちゃんと上着着てくるんだよ』
「うん」
『名前……』

待ってる。

小さく呟き、波の音しか聞こえなくなったスマホをぎゅっと握り締めた。