「あなたを守る為ならなんでもすると、桂木さんに交渉しに来た」
「さすがの桂木さんも驚いてたわよ。凄い子だって」
ベッドサイドの明かりだけが灯る室内で、静かに眠る彼女の姿を見つめた。
「なるほどね。名前の持ってる情報と人脈を、キングタイガーとの取引に使おうってわけだ」
「その通り」
彼女の職業は弁護士。
詳しいことは分からないが、国内外の有力者を顧客に持つ事務所に籍を置いている。
つまり、そういった有力者達とのパイプが欲しければ、いくらでもその橋渡しになれる存在というわけだ。
「感謝しなさいよ?あんたが死なない為の最後の保険になってくれたんだから」
「分かってるよ」
あの時、名前が現れて時間稼ぎをしてくれなかったら、俺は今ここにいないだろう。
犯罪とは無縁の世界で、ずっと、ただ平和に生きてきたのに。
あんな物騒な連中を前に、一体どれほどの恐怖と戦いながら俺を守ってくれたのか。
考えるだけで、苦しくなるほど愛おしい。
「名前、」
眠る彼女の頬に触れながら、しばらく感じることが出来なかったその温もりにホッとした。
「本当に溺愛してんのね」
「言ってたでしょ。名前は特別なの」
「まさかあんたがそんな顔するとは思わなかったわ」
そんな顔って、どんな顔だよ。
聞こうとしたところで、小さく声を漏らした名前の方に視線を向ける。
「名前?」
名前を呼べば、苦しそうにぎゅっと閉じられた瞼の端から、涙が落ちた。
「名前、どうしたの?」
怖い夢でも見ているのだろうか。
目尻の端から滲み出るそれを拭って、問いかけた。
「いくら心配だからって、過干渉は良くないわよ」
「分かってる」
「眠れる時は、ちゃんと眠らせてあげなさい」
じゃあ、わたしは行くから。
そう言って彼女が部屋を出て行った瞬間、バタンと閉まる扉の音で、名前の瞼が動いた。
「名前?」
呼びかけると、今度こそゆっくり目を開けた彼女が、ジッと俺のことを見つめる。
寝起きで状況がよく分かっていないのか。
潤んだ瞳で見つめられると、さすがに少しドキッとして。
どうしよう。
これは、おはようと言ってキスでもするべき?
黙って、ただジッとこちらを見つめる名前の視線に耐えながら、ゆっくりとその頬に手を伸ばそうとした時だった。
「………ぇ」
俺が触れるよりも早く、ふわりと笑った名前の腕が首に巻きつく。
「名前……?」
言葉はないけど、そのままぎゅっと抱きつかれれば、俺も名前を抱きしめ返すしかなくて。
どうしたの?
聞こうとしたところで、彼女がポツリと呟いた。
「黒崎くん……」
「ん?」
「ごめんね、」
声色だけでは、まだきちんと目が覚めているかは分からない。
けれど、今にも泣きそうな声で呟かれたその言葉に、彼女がずっと罪悪感を感じていたことを思い知り、胸が締め付けられた。
「何で謝んの。名前は何も悪いことしてないでしょ」
「黒崎くん、優しいから……。わたしのこと巻き込まないように置いて行ったんでしょ」
「うん、そうだね」
「でも、わたし、大人しく待てなかった……」
ごめんなさい。
小さく呟き、ぎゅっと俺の服を掴む名前を抱き締める。
「ずっと、そんなこと気にしてたの?」
「だって……わたし勝手に、」
「そういうとこ、ほんと可愛くてどうにかしてやりたくなるわ、」
昼間は、マフィア相手にあんなに堂々としていたのに。
一歩この腕の中に入れば、彼女は、こんなにも弱々しくて可愛らしい。
「怒ってると思う?俺が」
「思わないけど……」
「うん。だから大丈夫」
本音を言えば、あんな危険なことしてほしくなかったけど。
彼女にそうさせてしまったのは俺だ。
もしもあの時名前がいなければ、俺は今こうしてここにいなかったかもしれない。
「黒崎くん、」
「ん?」
「わたし、黒崎くんの為なら死んでもいいって言ったけど……本当は、生きてずっと一緒にいたい」
「死なないで……」
「………」
「わたし、黒崎くんがいないと、生きていけないよ……っ」
いつか思った。
例えば、この復讐劇の代償に俺がいなくなったとして。
彼女は、笑って生きていってくれるだろうか。
隣に俺がいなくても、その後の人生を、誰かと幸せに過ごしてくれるだろうか。
「名前」
「……っ」
そんなの、考えただけで俺が耐えられないのに。
諦めたフリをして、ずっと彼女を不安にさせてしまっていた。
「ごめん」
彼女の為にも、俺は生きなければならない。
「死なないよ」
「名前の為に、ずっと生きててあげる」
彼女が、そう願う限り永遠に。
自分の命と引き換えになんて、もう思わない。
あんな腐った奴らの為に、彼女を残して死んでたまるか。
「っ、ありがとう……」
「うん、」
「黒崎くん、……一緒に、帰ろうね」
「当たり前じゃん」
涙を流し、ぎゅっと俺に抱きつく彼女にキスを落とした。
「……もう少しだよ」
「っ、…うん…」
「あと少しだから、待っててくれる?」
声は聞こえない。
しかし、それでもゆっくりと体を離した彼女が、
最後に両手で俺の顔を包み込んだ。
「黒崎くん」
「ん?」
「大好き」
ふわりと笑って、優しく重ねられた唇に口角が上がる。
「ほんっと……可愛すぎてどうにかなりそうなんだけど」
例えつかの間だとしても。
今だけは、この愛しい存在に触れることを許してほしい。