『うん。ちゃーんと守ってるよ。向こうとは話してるだけだし、今日ももうお別れした』
「え、もう?」
『そう。じゃなきゃ名前に電話なんか出来ないでしょ」
彼が次の仕事に向かってからしばらく。
当分は鳴らないと思っていたスマホが音を立てたのは、ちょうどわたしが入浴を終えた頃だった。
『今何してたの?』
「お風呂入ってた」
『ちゃんと髪乾かした?』
「うん」
嘘。
本当は、まだタオルで少し水気を取っただけだったけど、それを言ってしまえば、彼は早く髪を乾かせと電話を切ってしまうから。
ごめんね、と心の中で謝罪しながら、電話越しの声に耳を傾けた。
『今さ、パフェ食べに来るんだけど、お土産に何か買ってこうか』
「ううん、大丈夫。疲れてるでしょ」
『だからじゃん。会いに行く為の口実なんだけど』
そんなもの、作らなくたっていつも勝手に来るくせに。
『名前は俺に会いたくないの?』
あえて遠回しな言い方をするということは、きっと言わせたいんだろう。
会いたいよ。
言ってしまえば、彼は間違いなく会いに来てくれる。
しかし、こんな遅くまで、ずっと気を張りながら仕事をしていたであろう彼に、余計な負担は掛けたくなかった。
「黒崎くん」
『こんばんは』
一言断りを入れて、この通話は終わらせよう。
思いながら呼びかけた名前は、電話の向こうから聞こえる、もう一つの声にかき消された。
『いや、あなたしかいませんよね』
続く言葉は、電話口の彼に向けられたもの。
きっと、相手はあのお隣さんだ。
いつの間にそんなに仲良くなったのか。
彼が珍しく素で話しているのを聞きながら、じわりと胸に重い何かが広がっていくのを感じた。
『またそんなホストみたいな格好して、色仕掛けで女の人でも騙してるんですか?』
『これは、』
『苗字さんだっているのに。そういうやり方もなさるんですねー』
『しょうがないでしょ。これが一番手っ取り早いんだし、名前にはちゃんと理解してもらってますー』
「………」
理解はしている、か。
頭では分かっていても、彼が自分以外の誰かと一緒にいるというだけで、こんなにも心が乱されているというのに。
黒崎くんは、知らないんだろうな。
『名前?ごめんね。もう帰るからお土産……』
「それはほんとに大丈夫。黒崎くん疲れてるでしょ。帰ってゆっくり寝て?」
『俺にそんな気使わなくていいって』
「違うの。今日はわたしがもう眠たいから、」
本当は、今会っても疲れた彼を優しく迎え入れてあげられるだけの余裕がないから。
そっか、じゃあ仕方ないね。
残念そうに、続けておやすみと呟いた彼にうなずきながら、暗い窓に反射する自分の顔を見つめた。
「ぶっさいく、」
酷い顔だ。
嘘を吐いて良かった。