仕事中は纏めていた長い髪をほどき、鏡に映る疲れ切った顔の自分と目が合う。
「そろそろ、切ろうかな……」
気にしていないつもりでも、頭に浮かぶのは、あの可愛らしいお隣さんの姿。
自分を飾らず、真っ直ぐに生きている彼女のことが、今は少しうらやましかった。
「ねぇ、クロはどっちが好き?」
………にゃー。
小さな体を抱き上げ、困ったように鳴いたクロと鼻を擦り合わせた時だった。
「名前ちゃーん………」
「え、」
玄関先から、蚊の鳴くような声で呼ばれたわたしの名前。
そして、直後ガタンという物音と同時に、帰宅したらしい彼が壁に衝突していた。
「……いっ、」
「黒崎くん?!だいじょう……」
「ぶじゃない、」
「っ……お酒飲んだの、?」
「のんだ……」
床に突っ伏し、苦しそうに顔を歪める彼から香る独特の匂い。
元々強い方ではないのに、余程飲まされたのだろう。
力無くわたしの手を握って目を閉じる姿に、先ほどまで頭を占めていた不安はどこかへ行ってしまった。
「ねぇ、寝るならベッド行こ」
「んー…」
「ここじゃ風邪引いちゃうから」
「だいじょぶだって、」
「大丈夫じゃない。手冷たいよ」
「じゃあ名前があっためて」
「その前にベッドね」
「えぇ〜…ベッドで何すんの?名前のえっちー」
「わ、っ……」
表情を崩し、幸せそうに笑う彼から腕を引かれ、そのまま跨がる形で彼の上に倒れ込んでしまった。
「つかまえた」
「こら、黒崎くん」
「何で離れようとすんの?俺のこといや?」
「そういうことじゃなくて、……ちょ、」
酔ってはいても、さすがに力では敵わない。
甘えるように、ジッとこちらを見つめて呟く姿とは裏腹に、しっかりと腰に腕を回され、体の自由を奪われた。
「ね、名前からキスして?」
「え、」
「してくれたら、ちゃんとベッド行くから」
絶対に嘘。
キスなんてしようものなら、そのままなし崩しに迫られるに決まっている。
「ちゃんとしたのね」
「そんなの、分かんないから、」
「分かるでしょ。俺がいつもするやつだよ」
「知らない、っ」
「じゃあ特別に教えてあげるから、次はちゃんと名前からしてね」
「や、っ…」
するりと頬を撫でるように手が触れ、そのまま彼の唇がわたしの唇に重なった。
「……っ、」
「こら、口閉じたままじゃできないでしょ」
「いいの、」
「良くない。舌出して?」
「………」
「あっそ。後悔しても知らないからね」
言葉と同時に、すっと細められた彼の目がわたしを捉える。
ほんの一瞬で、まるで別人のように変わる雰囲気にいくら身を捩っても、もう遅かった。
「……っん、…ぁ、」
「ふふ、かわい、」
強引に唇を奪われ、薄い部屋着の裾から入り込んだ手が脇腹へ触れる。
外気のせいで、ひんやりと冷たいその感触に腰を引いても、結局は彼の腕から逃れられない。
「ね、分かる?俺の」
「、っや……わかんな、」
「名前のせいだからね」
「んっ……ぅ、」
わざと耳元で呟きながら、再び重ねられた唇に、お腹の奥がきゅんと疼いた。
いつもとは違う、甘ったるい香水の香りに頭がくらくらして、体の力が抜けていく。
「ね、名前」
「……ん、」
「俺、ちゃんと約束守ったよ?」
「…やくそく、?」
「うん。キスも避けたし、お誘いも断ったの」
「………」
「ふしぎだよね、名前の顔見るまではなんともなかったのに、もうむり…」
「っ、や……、!」
ぐり、と言葉と同時に下腹部へ押し付けられた熱に驚く間もなく、まるで噛み付くように重なった唇から、彼の舌が割って入った。
「、っ………」
くちゅくちゅ、と音を立てて口内を犯されながら、たまに優しく唇を啄まれ、その度に甘い刺激に体が疼く。
あぁ、もうダメだ。
こうなったら逆えない。
執拗に続く口付けを受け入れながら、ゆっくり体を起こす彼の首に腕を回した。
「……そのままくっ付いてて」
「ん、」
抱き上げられ、少し歩いた先にあるのはベッド。
先にわたしをそこへ下ろした彼が、鬱陶しそうに前髪をかき上げる姿を見て、胸の奥がきゅんとした。
「くろさきくん、」
「ん?」
どこにも行かないでね。
「すき……」
大好きだから。
「………」
「ん、」
「……っとに、絶対やめてやんないから」
脱ぎかけのジャケットをはだけさせたまま、性急に重ねられた唇に目を閉じた。