12月の冷たい空気は、ビリビリと痛む頬に容赦なく突き刺さった。


汚れたコートと、血の付いた口元。

街中を歩く間は、すれ違う人達の目も痛かったが、もはやそんな事はどうでも良かった。

一目でいいから、顔を見たい。

話せなくてもいいから、せめておやすみと一言だけ。彼と交わして、安心したい。


辿り着いたアパートの自室で、何分そうしていただろう。

帰宅してから、靴も脱がずに外の音へ聞き耳を立てていると、ようやく聞こえた足音に、ぼんやりうつろな意識が浮上した。

「黒崎くん………?」

ぽつりと呟いて、ドアノブに手を掛ける。


「———戻ったら、フグな」

ガチャンと、扉に鍵が刺さる音と同時に、呟かれたのは彼の声で、相手は、わたしではない。


まさか。

思うより早く、可愛らしい女の子の声が、その言葉に返事をしていた。


「っ……」

どこが痛くて、何が苦しいのか。
もはやよく分からなかった。


玄関の壁に背中を預け、ズルズルと崩れ落ちる。

自分がここにいることがバレないよう、必死に口元を覆って声を押し殺した。

「……ッ、ぅ……っ」

それでも、堪えきれない嗚咽が漏れて、苦しくて仕方なかった。


わたしのよく知る優しい声。

今まで、ただの一度も自分以外に向けられることがなかったその温かさに、胸がぎゅっと締め付けられた。


涙が止まらない。

痛くて、苦しくて。

ぼやける視界の中、必死に口元を覆う手に力を込めた時だった。

「名前………?」
「……っ、」

………なんで。

「いる、?」

「起きてるなら顔見せてくれない?電話、掛けも繋がらないから」

あの後、彼も電話をくれたのか。

扉越しに響く声を聞きながら、ぼんやり霞む目の前の景色に目を伏せた。

「名前?」

やめて。

「もう寝ちゃった?」
「……っ」
「ちょっとだけ、大事な話があるんだけど」

かちゃん。

言葉と同時に、小さな音が響いて、目の前の扉が開いた。

「……………ぇ……」

わずかな隙間から、外の明かりが差し込んで目を見開く。

「…………名前……?」

どうして。

言葉にする前に、帰ってから鍵を掛けた記憶が無かったことに気付く。

忘れていた。

思ったところで、もう遅い。


「……く、さきく、……っ」
「ッ名前?!」

目が合った瞬間、声を上げて近付いて来た彼から顔を逸らした。


「名前っ、ねぇどういうこと、?!それっ……その傷、」
「なんでもないっ、」
「なんでもないわけないだろ!こんな……っ」
「っ……」

血の滲む傷に、彼の親指が優しく触れる。

「誰にされた」
「っ、」
「誰なんだよ!」

涙が溢れて、声にならなかった。

ズキズキと痛む頬ももちろんだが、今はそれ以上に胸が苦しい。


だって、ただの挨拶じゃなかった。

明確に、未来を見据えて交わされた約束に、胸の奥がぎゅっと締まって息がしずらかった。


「くそっ………」
「、やだっ……!」

何も言わないわたしに、痺れを切らした彼の腕が伸びた瞬間。

偶然聞いてしまった優しい声がフラッシュバックし、思わずその手を拒否してしまった。

目の前にいるのは、大好きな人なのに。

痛いも、辛いも言えない。

「名前…、」
「………っ、」

ゆっくりわたしを抱きしめ、抱え上げた彼の首に、いつものように腕を回すことも出来なかった。