傷付けた。

守れなかった。

自分のせいで、何より一番大切なものが、音を立てて壊れていくのが分かった。


「名前……」
「っ……」

俺を拒絶する名前に構わず、無理矢理抱えてベッドに下ろすと、彼女はそのまま涙でぐちゃぐちゃな顔を隠すように枕を抱えた。

長い付き合いだ。

名前が泣いているところなんて、数え切れないほど見ている。

しかし、こんな泣き方は初めてだった。


痛々しい傷に、赤く腫れた頬。

いつもきちんと整えられている髪は乱れ、明らかに誰かに危害を加えられた後だった。


本当は、すぐにでも犯人を炙り出し、この手で殺してやりたい。

しかし、そんな事よりもまず、今は彼女を安心させてあげなければ。

思って、再び伸ばした腕はすぐに拒絶され、俺は、名前に背を向けられた。

「名前、」
「……っ、かえって、」
「………」
「かお、見たくない……」

痛い、という言葉じゃ表し切れない感情だった。

明確な拒絶に、息も出来ないほど胸が締め付けられ、全身から血の気が引いていく。

名前、ともう一度名前を呼んでも、振り向かない背中に初めて絶望を感じた。


「名前」
「……もう、いいの、」
「え、」
「くろさきくんは……気付いてないだけだよ、」

は、?

気付いてないって、なんの話?

「……わたし、もうっ、黒崎くんに……必要ないとおもう、」
「は、」

何で?

何がどうなったら、そういう話になるわけ?

「ねぇ、名前」
「……っ」
「ちゃんとこっち見て話そ」
「…いいっ、」
「大事なことだから。お願い。ちゃんと名前の顔見せて?」

一方的に、訳も分からず突き放されたんじゃ納得いかない。


確かに、今回名前のことを巻き込んだのは俺の責任だ。

油断して、いつ危険に晒してもおかしくはない彼女を一人にした。

しかし、だからといって何故それが名前はいらないという結論になるのか。
意味が分からない。

「ね、名前」
「……」

静かに呼びかければ、ようやく少し落ち着いたのか。未だに涙で濡れてはいるが、ゆっくりとこちらへ振り向いた名前と目が合う。

「くろさきくん……わたしといるより、幸せな子、いるでしょ…」

言われて、脳裏に浮かんだのは隣の部屋に住む女子大生。

別に、特別な感情ではない。
ただ、他に思い当たる知人がいなかっただけのこと。

しかし、いくら特別な感情がないからといって、彼女の前で他の女性の名前を出すのは如何なものか。
言い淀む俺に何を思ったのか。

名前は、静かに涙を流して呟いた。

「いま……わたしじゃない人のこと、考えてるでしょ…」

指摘は当たっていた。

しかし、それはアイツが特別だからではない。

「ちょっと待ってよ、何言ってんの」
「ずっと思ってた、」
「え?」
「黒崎くん、気付いてないかもしれないけど………もうずっと、吉川さんと話す時……素だったよ、」

だから、俺にとってアイツが特別だって?

「何それ、」

じゃあ、名前は?

「名前の前で、俺が素じゃなかったことなんてある、?」
「出会ったのが、早かっただけだよ……」
「は……?」

何言ってんの。

「くろさきくんは……きっと、」

その先、名前が何を言おうとしたのかは分からない。

直前の会話からして、きっとありもしない想像を口に出そうとしたんだろう。

辛そうに顔を歪めながらも、勝手に俺の気持ちまで決め付ける姿に、どうしようもなく腹が立った。


「名前」
「、……」
「ちゃんとこっち見て」
「……」
「見てってば」

強く言ったつもりはない。

それでも、ピクリと肩を揺らしてうつむいた名前の姿に、言いようもない悔しさが募った。


「名前」
「…っ、ゃ……」
「俺、好きな子にしかこんなことしないんだけど」
「ッ……離して、」

なんで?

どうして伝わらないの。

「名前、」
「…っ、……ん、」

強引に重ねた唇を拒絶しようと、小さく俺の肩を押す手を捕まえた。


好き。

大好き。

名前しかいらない。

俺はこんなにも名前のことでいっぱいなのに。


「っ……は、っ……くろ、」
「名前で呼んでよ」
「……や、っ」
「何で?名前は俺の恋人でしょ?ずっと、一生一緒って言ったじゃん」
「っ、ぁ……ん、」

嫌がる名前を押し倒し、その真っ白な首に舌を這わせた。

ぢぅ、と音を立てて吸い付けば、赤く染まる肌に体の中心が熱くなる。


名前に触れた場所から、この気持ちも全部伝わればいいのに。


「……っ、やだ……くろさきく、」
「ん、?」
「……っぁ、」

俺の熱に感じて、苦しそうに目を伏せた名前の瞼へキスを落とす。

その間も、いつもなら俺の首に回される手は、必死にくしゃくしゃなシーツを掴んでて。


何で。

思うと同時に重ねた手にも、指が絡むことはなかった。


「名前っ、」
「……っ」
「名前」

ねぇ、名前………。

「…………ごめん、」
「っ……」


結局。その日、名前が俺の名前を呼ぶことはなかった。