ただいま。
日本着いたよ。
既読が付かないそのメッセージに、何度溜め息を吐いただろう。
最後に会った日のことが、ずっと気掛かりだった。
碌に話も出来ないまま、傷付いた彼女を置き去りにしたこと。
あのたった一回で、俺達が今まで築き上げてきたものが崩れるとは思わない。
しかし、今回は今までとは違う。
俺のせいで、彼女が直接的な被害を受けるのは初めてだった。
だから、少しだけ怖くなる。
彼女にとって、もしもあの一回が、俺の想像以上にその心を抉るものだったとしたら———。
考える度、何度も会いに行きそうになる自分を抑えながら、更新されないトーク画面に、溜め息を吐いた時だった。
「……もしもーし」
「誰かがアパートを監視してる。黒崎を狙ってるんじゃない?」
電話の相手は、彼女ではないお隣さん。
切羽詰まった声に、この状況をどう誤魔化そうか考えるのすら億劫だった。
「桂の店長さんは?」
「………」
「助けてもらえば?仲間なんでしょ」
「……そうだね」
「苗字さんだって、心配してるよ」
「アンタ……名前に会ってんの?」
「?会ってないけど」
「名前、帰ってる?」
「ううん、ここ最近はずっと姿見てないけど……え、一緒にいるんじゃないの?」
「………」
やっぱり、家にも帰っていないのか。
「もしかして、また苗字さんに黙ってどっか行ったんじゃ、」
「そんなんじゃないですよ」
「そんなんじゃないって、なら何かあったの?他に」
「まぁちょっとね、」
含みのある言い方をすれば、あのお節介が口を出してくることは分かっていた。
しかし、それでも誰かにこの不安を聞いてほしかった。
詐欺師として生きる俺を受け入れ、そばにいてくれる彼女のことを唯一知っている人間。
だからこそ、なんでも話してしまうこともあったが、その安心や信頼は、遠く彼女に及ばないというのに。
「どうせ、また黒崎がなんかやらかしたんでしょ」
「話も聞かずに俺って決めつけるのやめてもらえます?」
「じゃあ違うの?」
「違わないけど」
名前に何を話しても、もう伝わらないんじゃないか。
一緒にいることで傷付けて、嫌われてしまったのだとしたら。
名前の口から決定的な一言を聞くのが怖くて、眠る彼女に触れることしか出来なかったあの夜を心底悔やんだ。
「何があったか知らないけど、好きならちゃんとつかまえておかないと、あんな素敵な人、もう黒崎の前には現れないんじゃない?」
「かもしれませんねー」
「………あのさ、わたし、これでも結構二人には憧れてるんだよ」
「え、」
「上手く言えないけど、根っこの部分でちゃんと繋がってる気がするから。黒崎も苗字さんも、いつもお互いのことを考えて、大切に思ってる。そういうの……見てると凄く伝わるよ」
「俺が名前のこと騙してるんじゃないかって、勝手に疑って怒らせた人とは思えませんね」
「自分でもそう思う」
周りからどう思われようが、彼女が本当の自分を知っていてくれるならそれでいい。
常にそう思いながら生きてきた。
どんなに辛いことがあっても、苦しいことがあっても、彼女がいたからここまで来れたし、きっと、これから先もそれは変わらない。
「黒崎のこと追いかけて、一人で上海まで行っちゃう人だよ?多分、会わないことにも理由があるんだよ」
「あれ、なんか僕、また慰められてません?」
「だって落ち込んでるんでしょ。苗字さんに会えないだけで別人みたい」
詐欺師のくせに、声色一つ取り繕えないなんて笑える。
言われて、初めて気付く憔悴し切った自分の姿に、ははっと乾いた笑い声が漏れた。
「さすが吉川さん」
「え?」
「伊達に俺と名前のこと見てないよね」
「まぁ、お隣さんですから」
「ふはっ。………ほんと、お節介」
後ろめたさは変わらない。
犯罪者である俺の隣にいるには、余りにも綺麗すぎる名前。
そんな彼女を、普通ではない自分がいつまでも縛り付けていいのか。
大切だからこそ、迷うことばかりだったけど。
その度、彼女が言ってくれた。
『黒崎くん、大好き』
嘘偽りのないその笑顔に、俺は応えることしか出来ないんだから。
「………やりますか」
彼女が今、どこで何をしていようと、この気持ちは変わらない。
帰って来たら、何より一番に伝えよう。
「名前、」
大好きだよ。
小さな画面の中で笑う彼女に、囁いた。