具体的に、彼が何をどうするのかは分からない。

しかし、相手は社会的位置のある権力者だ。


毎日、毎日、日課である彼との電話でその安否を確認しながら、一日の終わりを迎えることにも慣れてきた頃。

初めて、彼の方から、明日は暇?という言葉が漏れた。

「うん、一日中暇だよ」
『そっか。良かった。お昼頃、××の方まで来られる?』
「うん」

決定的な言葉は無い。

それでも、告げられた明確な場所と日時は、この長い復讐劇の終わりが近付いていることを教えてくれる。

『これで最後だよ』
「うん、」
『明日で………全部終わらせるから』


あの日。
あの時。

彼が囁いた"詐欺師になる"という言葉。

自分が傷付いたことよりも、一生で一番、何より辛かったかもしれないその言葉が、ようやく報われようとしていることに視界が緩んだ。


明日になれば、全て終わる。

彼のその言葉を信じて、眠れない一夜を明かした翌日。

指定された場所に着くと、そこには、会いたくて会いたくてたまらなかった彼の姿があった。


「くろ……さき、くん……?」

人ゴミを避け、まるでスローモーションの様に倒れ込む彼のそばへ近寄る。

「っ…………名前、……」
「……黒崎くん……?」

なんで。

どうして?

苦しそうに顔を歪めながら、それでも一瞬ホッとしたように微笑む彼から、何かを握らされた。

「…しょ、こ………たのんだ……」
「え………」
「…それ、渡して……っ、アイツに、」
「……黒崎くん、……?」
「……かしな、に、」

ぐったりと、横たわる彼の体を支えれば触れる何か。

そのどろりとした不快な感触に心臓が速くなるのを感じながら、ぎゅっと重ねられた手の中の物を確認する。

「……っ、…ぅ………」
「…黒崎くん……」
「……、っ……名前……」
「………」
「……逃げ、ろ……」

やはり、勘違いではない。

彼の体に触れた手が真っ赤に染まっているのを見て、全身の血の気が引いていった。

「ッ黒崎くん……っ…!」
「………行、け…」
「何言ってるの……!?ッそんなこと、」
「…頼む、よ……」
「っ……」
「…名前が、っ……かわりに……」
「黒崎くんっ……!」

言葉の途中で、息をするのも辛そうに顔を歪めた彼の手を握り締める。

行け、なんて。
そんな命令聞けるわけない。

それでも、もし今ここで彼を刺した誰かに、わたしが襲われてしまったら?

「……っ……頼む、から……」
「やだっ……黒崎くん、!」
「…名前にしか、たのめない、……だよ、」
「……ッ、」
「…きいてよ………おれの、お願い……。
良い子、だから……」

額に汗を滲ませ、顔を歪めながらも必死に笑顔を作る彼の姿に視界が歪んだ。

この6年。
仇への復讐の為だけに、決して短くはない月日を費やしてきた彼が、ようやく手に入れた証拠。

その何にも代え難い唯一の武器を、彼がわたしに託した意味。

生きるか死ぬかの瀬戸際で、最後に彼が下した決断を、否定なんて出来るわけなかった。

「……っ、わたしのこと………置いていったら、一生許さないから、ッ」
「…分か、てる……」
「もし……もしもっ……万が一のことがあったら、わたし、他の誰かと、結婚しちゃうからね、っ……」
「うん……」
「ッ…くろさきくんっ………」
「…名前……」


愛してる———。


そう言って、最後に力無く笑った彼が目を閉じるのを見て、あふれ出る涙を乱暴に拭った。