「容体は」
「刃物で刺されていますから。起きてみなければ分かりませんけど、おそらくは大事ないと」
「そうか」

真っ白な壁に、真っ白なベッド。

全てが白で統一された清潔感のある室内で、静かに眠る大好きな彼の顔を見つめた。


「会うのは、あの日以来だね」
「はい」
「怪我は大丈夫かい?」
「………やっぱり、あの時わたしのことを助けてくれたのは、桂木さんだったんですね」
「ん?」
「白石さんに聞いても、何も話してくれないから。ずっと確証は無かったけど、それなら辻褄が合うんです」

理由は分からない。

自分のことを仇として恨む彼の存在も、その恋人であるわたしの存在も。
この人からすれば、わざわざ助ける理由なんて無いはずなのに。

「人を恨んで、俺を憎んで……復讐することにしか生きる意味を見出せなかったコイツが、アンタといる時だけ、楽しそうに笑っていた」
「………」
「それを見て、こいつも普通に生きられるんじゃないかと思った」

多くは語らないが、きっと、この人は彼にそうなってほしかったんだろう。

わたしから視線から逸らし、眠る彼の隣に腰掛けた後、しばらく心配そうにその顔を見つめた眼差しからは、確かな優しさを感じた。


「クロ……ここからは、お前の人生だ」
「………」
「自由に生きろ」

「俺を殺したければ、追って来い」

静かに告げると、最後にゆっくり彼の頭へ手を置いたその人は、もう一度わたしの方へ視線を戻した。

「こいつを、よろしく頼んだよ」


フィクサーと詐欺師。

被害者と、その仇。

利害関係で結ばれただけの人間が、その相手を、ここまで思いやれるだろうか。


「桂木さん」
「………」

わたしの呼び掛けには、結局応じてもらえなかった。

きちんと話をしたわけではない以上、その真意は、きっと一生分からない。

しかし、あの眼差しに嘘は無かったと思う。

6年間。ずっとそばで、彼の存在を見守っていたであろうあの人の優しさが、そこにはあった。



「…………やっぱり、起きてたんだね」

振り返れば、わずかに目を開けた彼が、ぼーっと天井を見つめていた。


「名前………」
「ん、」
「……あれ、泣いてないの…」
「泣いても、何も変わらないでしょ」
「はは…つめた……」
「もう、疲れちゃったよ、」

彼が詐欺師になると決意し、その道に進んでから、もう何度こうして涙を流しただろう。

引き止めたいのに、出来なくて。

大切で、大好きなのに。

何も力になれなくて———。


「……もぉ、結局ないてるし…」
「っ、誰のせいだと……」
「おいで、こっち…」
「いいっ」
「なんでよ、」

弱々しく笑いながら、ゆっくりと伸ばされた手を両手で包む。

「全部、ちゃんと神志名さんに渡したよ」
「ん、」
「あの証拠を元に、宝条の逮捕状をとるって」
「そ、か……」
「みんな、黒崎くんと一緒に、戦ってくれた……っ」
「……」
「ッ、ちゃんと、終わったんだよ……、っ」


長い、長い戦いだった。

6年前、病室で詐欺師になると告げられたあの日から、ずっと、立ち止まることなど許されなかった。


どんなに苦しくても、辛くても。

振り返ることなく走り続けた彼の人生が、ようやく大きな仇から解放されたのだ。


「名前……」
「ん、」
「顔、ちゃんとみせて…」

起きたてで、ぼんやりうつろな目をした彼がこちらに首を向ける。

近付けば、優しく笑って伸びてきたもう片方の手が、わたしの涙を拭ってくれた。

「泣かないで……」
「っ…、」
「笑ったかお、見してよ、」

こんな状況で、無茶なことを言ってくれる。

「笑ってほしいなら、ちゃんと……元気になって、」
「ん、」
「ずっと、そばにいるから……」
「うん、」
「一緒に、最後まで……黒崎くんと生きたいから、っ」
「うん、」
「生きててくれて、ありがとう」

涙が邪魔して、上手く笑えていたかは分からない。

それでも、言葉と同時に口角を上げるわたしを見て、彼も嬉しそうに微笑んだ。

「かわい、」
「…っ…いつもの黒崎くんだぁ、っ…」
「ふは、涙腺の決壊そこなんだ、」

相手は怪我人だったが、この際そんなことは気にしていられず。容赦なくその胸に顔を埋め、気が済むまで泣いた。


彼はここにいる。

わたしの手の届く場所で、きちんと生きている。

耳を澄ませは、しっかりと聞こえる鼓動にホッとした。