「吉川さん、前に言ったよね」
「ん?」
「いつか俺が足を洗って、詐欺師でいる必要が無くなったら、俺の全部を受け止めてくれる名前と、家族になって生きていけるかもしれないって」
「うん、」
「少し前まで、そんなことはあり得ないと思ってた」

吉川さん宅で夕飯をご馳走様になり、挨拶を終えてからしばらく。

気付けば、いつの間に眠っていたのか。わたしは、静かな車内で、真剣に何かを話す彼の肩に頭を預けていた。


「名前と俺は、生きてる世界が違うから」
「………」
「名前は、俺と一緒にいたから運悪く事件の被害者になって、犯罪者の恋人になった」
「………」
「例えどんなに愛してても、いつかは手放して、普通の幸せを掴ませてあげなきゃって、ずっと……どっかで諦めてた」

それは、未だ覚醒しきらない頭に、ずっしりと響く重い言葉だった。


「好きだからこそ、大切にしたいってやつ?俺じゃ、名前を幸せにすることは出来ないって思ってたから」
「………」
「ずっと………あと少し、もう少しだけって、名前のこと縛り付けて、結局、離してあげられなかった」
「うん、」

言われなくても、いつもどこかで感じていた。

どんなに好きでも、思い合っていても。
彼は、いつかわたしを置いてどこかへ行ってしまうのではないか。

考える度、怖くて怖くて仕方なかった。


「ほんと、何でこんな好きになっちゃったんだろうね、」

静かに呟き、きゅっと握られていた手に力がこもる。


「きっと、名前がいなかったら、こんなに悩むこともなかったんだろうけど……名前がいなかったら、俺は、もう生きようとも思わなかった」

「刺されて、全部任せて……あぁ、もうこれで終わりだ、楽になれるって思ったのに……コイツ、俺がいなくなったら、別の男と結婚するとか言うからさぁ、そんなの、許せないじゃん」
「……黒崎らしいね」

それが、本気なのか、冗談なのかは分からない。

けれど、言葉と同時に、優しくわたしの方へもたれかかった体は、そのままピッタリとくっ付き、離れることはなかった。


「今でも、ずっと迷ってる。本当に俺でいいのかとか、俺に名前を幸せに出来るのかとか」
「………」
「でも、もしもこの先誰かと一緒に過ごす未来があるなら、俺が一緒に生きたいと願うのは………やっぱり、苗字名前だから」

「コイツだけは……一生離したくない」


鼻の奥がツンとして、今にも泣いてしまいそうだった。


「今さらだね」
「え?」
「そんなの、普段の黒崎を見てたら分かるよ」
「は、?」
「誰にも渡す気なんて無いくせに。ぐだぐた言い訳並べる前に、ちゃんと名前さんにその気持ち伝えてあげなよ」

しん、と静まり返った車内で、しばらくしてから、小さくうなずく彼の声が聞こえた。

「じゃあ、改めてちゃんと言おうかな」
「うん」

「名前」
「………」
「名前。起きてんでしょ?」
「え、」
「………」
「俺のこと騙そうなんて100年早いよ。もういいから目開けな」
「…、だめ……今開けたら…泣く、」
「もう泣いてんじゃん」

ふははっ、と楽しそうに笑う彼の声を聞いて、泣くのを我慢することなんて出来なかった。

「ね、めちゃくちゃ可愛くない?俺の彼女」
「はいはい」
「あぁー、吉川さんがいなかったら、今すぐ抱きしめてちゅーするんだけどな〜」
「ならここで降りますか?」
「すみません……」

以前は辛くてしょうがなかった二人のやり取りも、今は笑って見ていられる。

おそらく、もう二度と会うことは無い彼女の優しさに触れ、二人で笑い合うことが出来たこの時間を、わたしは、きっと一生忘れないだろう。