「名前ちゃん甘い物好きなの?」
「?うん」
「俺も」
最初の会話は、休み時間だった。
中学2年の春。偶然隣の席になった彼は、その整った容姿と明るいキャラクターで、誰からも好かれる人気者で。
わたしは、そんな彼が隣にいることが少し憂鬱だった。
「それ何味?」
「桃」
「じゃあ俺は苺にしよっと」
「………」
じゃあって何?
あなたも食べるの?
同学年の間では既に有名な彼から話しかけられたというだけでも緊張するのに。
どうして彼は当たり前のように隣にいるんだろう。
購買で買ったフルーツサンドを食べながら、嬉しそうに笑う彼を心底不思議に思った。
「名前ちゃんってさ」
「?」
「あ、ごめん。みんなが名前ちゃんって呼んでるから勝手にそう呼んでるけど、嫌じゃない?」
「あ、はい、」
「えっと……なんか、ごめんね、急に話しかけて」
「いや、」
クラスの女の子達が騒ぐのも分かる。
アイドルみたいに整った顔を歪ませ、申し訳なさそうに謝る姿に驚いた。
「ごめん、俺結構人見知りで、笑」
「え、見えない」
「よく言われる。でも実は今も凄い緊張してるからね?」
「嘘だ」
「嘘じゃねーから!笑」
あ、クリーム付いてる。
さっきよりも砕けた表情で言う彼の口元には、何故そんなにもべったりついてしまったのか聞きたいくなるほどのクリーム。
「黒崎くん」
「ん?」
「くちもと……ふふっ、」
「え?」
本当に分かってないんだ。
バッチリ目が合い、堪えきれずに笑っているわたしを見て、きょとんと首をかしげる姿が子どもみたいで可愛いと思った。
「口すごいよ」
「え、」
「クリーム」
「えぇ!?」
面白い人だなぁ。
力加減を間違えたのか。
慌てて口元を拭きながら、痛ぇ!と叫んでいる姿を見て、初めて彼といることが楽しいと感じた。
「名前ちゃん、おはよ!」
「あ、黒崎くんだ」
「そ。黒崎くんだよー」
初めて話した次の日。
彼は校門でわたしに声を掛けてきた。
「名前ちゃんのお弁当美味しそう。お母さん?」
「ううん。うち共働きで忙しいから」
「え、もしかして自分で作ってんの?」
「うん」
次の日も、その次の日も。
何かにつけて声を掛けてくる彼のことを、段々不思議に思わなくなってきた頃。
「名前ちゃん」
「ん?」
「そろそろ黒崎くんじゃなくて、高志郎って呼んでくんない?」
「えぇ……」
「えぇ、ってなに!何でそんな嫌そうな顔するの!」
嫌ではないけど、恥ずかしいだけ。
「ほら言ってみて。高志郎くん」
「………」
「もう!何でよ!笑」
子どもみたいに悔しがる姿が可愛くて、名前呼びはもう少し先でいいかなと思った。
「もう名前で呼んでくれるまで返事しないからね」
「えー、」
「ほんとにほんとだから!」
ムッと唇を尖らせる姿も子どもみたいで、いつの間にか、その顔を見ると嬉しくなった。
「え、ちょ、待ってよどこ行くの?」
「黒崎くんが返事してくれないなら他の人と話そうと思って」
「何でそうなるのー!」
「ふふ、」
広げていたお菓子を片付けて立ち上がると、ねぇ!ちょっと!と、慌てて着いてくる彼から逃げるように廊下を歩く。
「黒崎、また苗字のこと追いかけてんの?」
「あは、そうそう。名前ちゃんなかなか構ってくれないからさぁ」
「フラれるなら早くしろよー。後つかえてんだから」
「うっざ笑」
なんとなく、彼に好かれている自覚はあった。
けれど、そうなる心当たりもなければ、自信もない。
ただ気まぐれに話し掛けてくる彼に合わせて、なんとなく楽しいな、と思う以上は、考えないようにしていた。
「名前と黒崎くん、ほんと仲良いよね」
「うーん、そうなのかな、」
「え、違うの?」
「だって………まだ高志郎くんって呼ぶ練習中だもん」
「名前ちゃんっ………!」
「ふふ、」
付き合ってくれ、と言われても、なんと返せばいいか分からない。
あの頃。
向けられる好意に臆病で、どうしても素直になれなかったわたしにも、彼はひたすら真っ直ぐだった。
「多分、もう言わなくても分かってると思うんだけどさ、」
「うん、」
「俺、名前ちゃんのことが好き」
すぐに答えを出せとは言わないから、考えてみてほしい。
進級から一ヶ月。
そう言ってわたしのことを家まで送り届けてくれた彼にOKの返事をしたのは、それから3日後のことだった。
「なんか思い出してた?」
「ううん……」
嘘。
本当は、昔のことを思い出し、少し懐かしくなった。
「黒崎くん」
「ん?」
「わたしのこと、好きになってくれてありがとう」
理由は知らない。
キッカケさえ、聞いたことはないけど。
その気持ちに嘘がないということは知っている。
「どしたの。急に」
「ううん、ただ言いたくなっただけ」
「じゃあ俺も言っとこうかな。名前、俺を好きになってくれてありがとう」
「うん」
「……俺ね、最初から名前にベタ惚れだったんだよ」
「え、」
狭いベッドの中、体ごとこちらを向いていた彼が呟く。
「最初はクラス違って接点無かったけど、何回か見かけて可愛い子だなって思ったの覚えてる」
「そうなの、?」
「そうだよー。名前知らないでしょ。自分がモテてたの」
不満そうに眉を寄せながら、軽く頬を摘まれる。
「俺、必死だったでしょ?」
「うん……」
「なんとなく気になって子と偶然隣の席になれるなんてさ、これは運命だ!とか思っちゃって、頑張ったわけですよ」
「初めて聞いた」
「初めて言ったからね」
そもそも、そんな昔のことなんて忘れていると思っていた。
「あの時の俺、出来すぎだよね」
「ん、?」
「だってあそこで頑張らなかったら、今俺の隣に名前はいないじゃん」
頬を摘んでいた手が離れ、代わりに指の背でわたしのおでこにかかった前髪を避けてくれた彼が、儚げに笑う。
「まだちょっと潤んでんね、」
「そう、?」
「うん、可愛い」
言われて、ちゅ、と軽く瞼に触れた唇に目を閉じる。
一回、二回と。
そのまま場所を変えて何度も降りてくる口付けに笑っていると、同じように、ふふ、と笑う彼の声がすぐ近くで聞こえた。
「名前」
「ん、?」
名前を呼ばれ、今度こそ唇が重なると同時に、隣にいたはずの彼の体がわたしの体に覆い被さる。
そのまま至近距離で見つめられると落ち着かなくて、思わず目を逸らそうとすれば、頬にあった手がゆっくりと滑り、唇に触れた。
「言って」
「ん?」
「好きって」
「え……」
「俺のこと、まだ好きって」
……なにそれ。
どういうこと、?
「くろ……っ」
「………」
「んっ、…」
自分で言ったくせに、わたしの言葉は何も聞いてくれない。
これだけ好きだと伝えているのに、不安そうに揺れる瞳に、泣きたくなる。
「……名前、ごめん」
ぼんやりうつろな意識の中。
微かに聞こえた彼の声は、すぐにわたしの記憶から消えてしまった。