「お嬢様」
『ん、』
「愛莉様がお見えです。名前様に会いたいと」
『………』
「お帰ししますか?」
『ううん、大丈夫。通して』

晴の家から帰宅してすぐ。倒れ込むように枕へ顔を埋めると、それと時を同じくして、事前に連絡を入れておいた愛莉が会いに来た。

「ッちょっと名前!どういうこと?!何で婚約破棄なんてするの!?」
『晴に好きな人が出来たから』
「だからって、愛莉は名前じゃなきゃ嫌!名前だから晴のことも諦められたのに!何であんな貧乏人の為に名前が身を引くの?!」

一から十まで話したところで、きっと愛莉は納得してくれない。

当たり前だ。自分も晴のことが好きだったのに、わたしという婚約者がいたから。ずっとその気持ちを抑え、応援してくれていた。

それなのに、わたしは、その気持ちを知っていながら裏切った。

『ごめんね。愛莉』
「謝るくらいなら婚約破棄なんてしないでよ!」
『うん。でも、愛莉になら、わかるでしょ』
「なんにも分かんない!」
『好きな人の為に、出来ることをしただけだよ』

ズルイ言い方してごめんね。

最後に一言そう言うと、愛莉はしばらく黙った後、もういい!と部屋を出た。





























「良いんですか、あんな風に別れられて」
『今は何言っても同じだもん、』
「そうですか」

話したところで、解決なんてしないと思う。

ふかふかの枕に顔を埋め、拗ねたように呟くと、くすりと小さく笑う声と同時に、サイドテーブルに何かが置かれる音がした。

「ローズヒップティーです」

こんな時でも、執事はいつもと変わらない。

『ね、神宮寺』
「はい」
『わたし、間違ってたかな』

好きな人の好きという気持ちを受け入れられず、そばにいることから逃げてしまった。

「正しかったか間違っていたかは、きっとそのうち分かります」
『………』
「最初から答えの出ている問題なんてありません。間違っていたら、正せばいいんですから」

そう言って、優しく笑ってくれる神宮寺の姿に、モヤモヤしていた心が少しだけ晴れたような気がした。


「名前様」
『ん?』
「素敵な女性になられましたね」
『え、』

急になに。

思っていたことがそのまま顔に出ていたのか。黙り込むわたしに、再び小さく笑った神宮寺が答えてくれた。

「10年以上も、ずっとお慕いしていた晴様の為に、今回のことを決めたのでしょう」
『………』
「とてもお優しく、ご立派な決断だったと思います」

違う。
これは、そんな風に褒めてもらえるような、綺麗な気持ちではない。

『ただ……怖かっただけだよ』
「それでも、晴様のお気持ちを大事にされているからでしょう。本当に、何も知らないあの世間知らずには腹が立ちますけどね」

表情はいつも通り。とてもにこやかなのに。
そう言って、冗談なのか本気なのか分からない悪態をつく神宮寺に、少しだけ笑ってしまった。