「名前さんは戻ってください」
『え、』
「閉じ込められて、一日目が覚めなかったって聞いてます。本当は、ここに来るのだって辛かったはずなのに……」
『大丈夫』
「でも、」
『友達だから』
「、……」
『愛莉はこうやってたまに暴走しちゃうけど、わしにとっては大切な友達なの』


日が暮れて、雨が降り始めても愛莉は見つからなかった。


「名前さん……」
『どうせここまで濡れちゃったら、もう同じだから』
「でもっ、」
『ありがとう、愛莉の為に必死になってくれて』


きっと、彼女のこういう真っ直ぐなところが、晴の心を動かしたんだろう。


土砂降りの雨の中、なんの関係も無い彼女がこんなにも愛莉の為を思ってくれているのだ。

友人であるわたしが諦めるわけにはいかないと、酷い寒気に襲われる体を庇いながら、もう何件目か分からない廃工場に足を踏み入れた時だった。


「———もうここに愛莉はいねーよ」


ずぶ濡れのわたし達と同じく、全身雨に濡れた晴が、上着を脱ぎながら呟いた。


「なに、アンタ結局来てたの」
「……悪いかよ」
「それならそうと、何で早く言ってくれないかな」
「うるせぇ。いいから早く行くぞ。外に車を待たせてある」

そう言って、軽く音ちゃんと言い合いをした晴が、脱いだばかりの上着をこちらに差し出した。


おそらく、羽織れということだろう。

意図は分かるが、なかなかそれを受け取らないわたしを不思議に思ってか。なんの躊躇いもなく近付いてくる晴から、思わず一歩後ずさってしまった。


「名前……?」
『……いい』
「お前な、この状況で何言って……」
『一緒にいたくない……』
「ぇ……」
『今は、晴の顔、見たくない……』

差し出された手を拒否して、目の前にいる晴から視線を逸らした。


だって、無理だと思ったから。

好きな人が好きな人と一緒にいるところを見て、平常心でいられる自信がない。

あんなにも冷たく突き放されて、何事も無かったかのように振る舞うなんて。そんな器用なこと、わたしには出来ないと思ったから。


「…………」
『……っや、!』

歩み寄ってくれた晴を拒絶し、そのまま一人で歩き出そうとした体は、すぐに後ろから捕まった。


『ッや、!何するのっ……!』
「お前を運ぶ」
『いやっ、!っやだ!離し、……!』
「断る」
『………っ』
「お前がなんつっても、俺は絶対に離さねぇ」
『…っ、……』
「………」


どんなに抵抗しても、暴れても。

晴は抱き上げたわたしの体を離さなかった。


「江戸川、お前は大丈夫か」
「うん」
「ワリィな、ほんとはお前もすぐ、」
「わたしは大丈夫だから。今は名前さんのこと心配してあげて」
「……あぁ」

うなずくと同時に、背中に回された手が、ぎゅっと冷えた体を抱き寄せた。


温かい。

本当は、今すぐにでもこの胸に顔を埋めて、目一杯泣いてしまいたいのに。

そんなことは出来ない。


もう晴に頼ることは出来ないんだからと、必死にあふれそうになる気持ちを抑えた。


「名前」
『…………っ』
「ごめんな。酷いこと言って」

打ち付ける雨の中、そう言ってわたしの方をジッと見つめる晴から視線を逸らした。


「もう顔も見たくないか………?」
『、っ……』

「……そうだよな。俺は、お前の気持ちにも、ずっと気付いてやれなかった」
『…っ、……』
「あんなに好きな奴がいたのに、俺がお前を縛り付けてたんだよな」


きっと、晴は紫耀くんのことを勘違いしている。

わたしが、好きな人の話をしたから。

その人の為に、晴との婚約を破棄したいなんて言ったから。


「俺がそばにいたせいで、ずっとお前のことを苦しめてた、」
『………っ、』
「そのことに気付いてやれなくてごめん。ずっと……そばにいたはずなのにな」

呟いて、ぎゅっとわたしの体を抱え直した晴が、小さく告げる。


「ちゃんと守ってやれなくてごめん………」
『………はると……っ…』
「もう我慢なんかしなくていい。お前は、俺に構わず、自由に生きていいから」



だから、アイツと幸せになれ———。



大好きだった。

いいや、今でも、大好きで大好きでたまらないのに。

どうして、そんな一言さえ、告げることが出来ないんだろう。


『…………っ、ぅ……』
「…………」


痛くて、苦しくて仕方ない。


本当は、ずっと晴のそばにいたかった。

幼なじみとしてでもいい。

ただの友達としてでも、晴の近くで、晴のことを思っていたかっただけなのに。


『………っ、……はると、っ……』
「ん、」


ねぇ、気付いて。

わたしは、あなた以外の誰かと幸せになんてなれないよ。