容姿端麗。
才色兼備。
俺の婚約者は、誰から見てもそんな言葉が似合うような、完璧で、心の優しい奴だった。
「晴、本当にこのままでいいの?」
「…………」
「名前、マジで離れてっちゃうよ」
親の決めた関係だ。
どうせ抗うことも出来ないと分かっていたから、相手が名前なら、それでいいと思っていた。
好きか嫌いかで聞かれれば、もちろん好きだ。
例え名前が俺のことを嫌いだとしても、その逆はありえない。
晴、晴、と。いつも優しく俺の名前を呼んでくれる名前の声が大好きだった。
「晴」
「………んだよ」
「もういい加減気付いてんじゃないの?」
怒気を含んだ愛莉の声に、黙って目を瞑る。
好き。
大好き。
嫌い。
触らないで。
晴、
晴ーーー……。
「ねぇ晴」
「………るせぇな」
閉じた視界に、嫌でも浮かぶ名前の姿が変わっていく。
最初は、笑って俺に歩み寄って来てくれる名前の姿。
そして、嬉しそうに俺の隣を歩く名前。
晴、と柔らかいその声がやがて小さく霞んで行き、涙声に変わる。
もう思い出せない。
日に日に短くなる。
笑って、幸せそうに俺の手を取ってくれる名前の姿が、どんどん霞んで、消えていく。
「…………名前……」
呟けば、胸の奥が締め付けられたように痛んだ。
「重症ね」
「……………」
「晴、もう分かってんでしょ、自分の気持ち。今考えてるのは誰のこと?」
幼なじみで、婚約者。
家族みたいに、ずっとそばでお互いのことを思いながら生きてきた。
けれど、それは名前が親の決めた相手だったから。
抗えない運命に従うしかなかったから。
「愛莉………」
「何よ」
「俺は、」
俺は、一体いつから間違えていたんだろう。
「どうしたらいい………俺、アイツのこと泣かしちまった」
誰かにとられるのが嫌で。
俺のそばから離れていくことが許せなくて。
名前の気持ちも考えず、酷く傷付けてしまった。
行くな。
嫌だ。
婚約の破棄なんてしたくない。
素直にそう言えば済んだかもしれないのに。
何故そんな風に思うのか、考えることからも逃げ続け、ずっと気付かないようにしていた。
「晴が名前のこと泣かせてんのなんかいつものことじゃん」
「………そんなに泣かせてたか、俺」
「最近は特にね」
なんとなく分かっていた。
名前と一緒にいれば満たされる心も。その笑顔を見れば安らぐ気持ちも。
だからこそ、他の誰かへ向けられた好意が許せなかった。
初めての拒絶に、胸が締め付けられるように痛んだのだ。
「晴、もういい加減、名前のこと傷付けるのはやめて」
「…………」
「ちゃんと認めて、幸せにしてあげてよ」
幼なじみだからじゃない。
家族だからでもない。
ただ、一人の女の子として名前のことが好きだった。
そんな簡単なことに、俺はずっと目を背けていたのだ。
「…………今さらすぎだろ、」
「ほっんーにね!愛莉だったらどんだけ待たせんのよってぶん殴ってるところだけど、名前は晴のそういうダメダメなところ、ちゃんと分かってくれてるじゃん」
「あぁ、」
「晴、もう時間ないよ」
愛莉に言われて、今まで一度もはめたことがなかったアイツとの婚約指輪を握り締めた。
学生の間は、指にはめられないから。そう言って、恥ずかしそうに笑った名前がチェーンに通したそれをシャツに隠した日のことを思い出す。
くっそ、
今さら、そんな名前のことを、こんなにも愛しいと思うなんて。
ごめんな、名前。
こめかみに伝う汗を拭いながら、普段は滅多に自分から連絡をしない執事に電話を掛けた。
叶うなら、どうかもう一度、俺の婚約者になってほしい。
今さらだけど、やっと気付いたんだ。
俺の好きな人は、お前しかいないんだって。
「ありがとう、紫耀くん」
なぁ、名前………。
「わたしで良ければ、付き合ってください」
視線の先で、恥ずかしそうに笑う名前の顔は、今まで、ずっと俺が独り占めしていたはずの可愛らしい笑顔だった。